2025-05-23

連歌のルール(7)~1回しか使えない語


濱千代清『連歌-研究と資料』
桜楓社、1988)

ここから個々の表現に関する各論になります。一座(一巻)の中で1回しか使ってはいけない表現、2回しか使ってはいけない表現...と使用数を決める例示が続きます。なぜそのような規制が設けられたのかという理由を考えることが大事でしょう。

一座一句物

一巻で1回しか使ってはならないという、重い題材です。注記として

一部の例だけ挙げる。とくに目につくものである。これらはどれも一座の中で一句にしか使えないものとする。挙げていないものもこれに準じる。 

とあります。数が多いので、表形式で一覧にしましょう。

用語分類・注記
若菜、款冬(カントウ=山吹)、躑躅、杜若、牡丹、橘、女郎花、檜原、櫨植物(うゑもの)
鶯、呼子鳥、貌鳥(春)、郭公(ホトトギス)、螢、蟬、日晩(ヒグラシ)、松虫、鈴虫、蛬虫(キリギリス)、熊、虎、龍、猪動物(うごきもの)
鬼、女鬼は生類と打越すことを嫌う。鬼は虫であるという旧説がある。しかし鬼神のことは理解しがたいものであるから、しいて議論すべきではない
昔、古、夕暮、昨日、夕立、急雨、雨、碪(きぬた)、嵐、木枯、朝月、夕月、隠家、外面(とのも)、なるこ、ひた、枢、閨雨と嵐は最近では一座二句物として扱われる
松虫、鈴虫、蛬、虫新式では、虫は一座一句物とされてきた。しかし近年では、単なる「虫」で一句、「松虫」「鈴虫」は懐紙を替えさえすれば(別の折にすれば)それぞれ一句ずつ使用できるとしている。「蛬」「機織」は面を替えれば使用できる
春雨、小雨、雨そそぎ、雨夜など「雨」をサメ、アマと読む場合は、雨とは別に一回使ってよい
馬と駒は同じである。ただし「意馬」「隙行く駒」など寓意的な意味で用いる場合は別物である。馬の代わりに駒を用いるのは、鶴とたづのようなケースと同じである
遅日「永日」とは併用できない
春寒「冴返る」などと表現を変えても併用は不可
秋寒「ややさむき」「夜寒」などと表現を変えても併用は不可
居所としては扱わない
鳥獣の床は別扱いとする

「松虫、鈴虫、蛬、虫」以下の項目は、それ以前の項目の注記ないし追加ということでしょう。最後の「床」のところに「鳥獣の床は別扱いとする」というのは、鳥の巣、獣の巣は人間の床とは別にするということだと思われます(「水鳥の玉藻の床」「臥猪の床」などと言う)

さて、「鬼」と「女」が同じグループに入れられているのが大問題です。これには猛然と抗議の声が聞こえてきそうです。そもそもなんで「女」だけが特別扱いされ、しかも「鬼」と一緒にされるのだと。(ただしあとで「男」も一座二句物として出てきます)

室町時代の女性観を現代の人権意識で評するのは無理がありますが、天文17年(1548)に里村紹巴の門弟であった宗巴が著した連歌新式注解では、「連歌では女はたいていの場合鬼に結びつけて詠まれる。安達ケ原の黒塚のごときである。また伊勢物語にも、女たちを鬼と詠んだ例がある」としています。

そもそも応安新式(1372)にはこの項目は入っていなかったのです。一条兼良改訂の連歌新式今案(1452)で鬼と女が入ってきた。謡曲「黒塚」が作曲されたのは今案成立と前後する時期でした。この能楽がヒットしたので、鬼だ女だということを連歌に使う人間が出てきて、それを規制するためにこのような定めを入れたのではないかと私は想像するのですが、どうでしょうか。

近年、謡曲の詞章に連歌が大きな影響を与えているということが明らかになっていますが、逆に謡曲が連歌のほうに影響を与えることがあったのではないかと考えてみたいのです。

一座一句物はどのようにして選ばれたのか

「一座一句物」は、おそらくは「あまり美意識の立った重い表現を何度も使うと、反復感が強まって連歌の流れが渋滞してしまう。印象が強い語は一回だけ使うことにしよう」ということで決められたのだと思います。

どの表現を「一座一句物」にしようというのは、どのようにして決められたのでしょうか。濱千代清先生は

「なぜ若菜や山吹が挙げられて、すみれやわらびがないのか、夕立が一句物で五月雨が二句物であるのは何を基準にしたかということになると、全く見当がついていない」(「一座一句物をめぐって」~『連歌-研究と資料』桜楓社、1988)

と問題を立てています。これについて、濱千代先生はいくつかの可能性を挙げています。まず、式目のこの条最初の注記に「一部の例だけ挙げる」「挙げていないものもこれに準じる」とあるところから、これらはあくまで「例示」であるというのです。雅趣のある表現は本来みな一座一句物なのであり、ここに挙がっているのはその一部でしかないと。例外として二句以上使ってよいものが、このあと「一座二句物、三句物...」と数え上げられていく。一句物は例示なので、ごく少数しが挙げていないが、二句物以下は具体的に指示する必要があるのでもっと数が多くなっていると。

もうひとつ、先生は「百首歌」の題との関連性を指摘しています。百首歌というのは、決めた主題(季語、恋のテーマなど)について百首の歌を詠進したもの。これらの主題に、一句物と共通するものがあるとしています。

例として、「堀河百首」(1106年頃)で立てられた主題を挙げてみましょう。赤字部分が連歌新式の一座一句物と重なるものです。

堀河百首の題
立春、子日、霞、鶯、若菜、残雪、梅、柳、早蕨、桜、春雨、春駒、帰雁、換子鳥、苗代、菫菜、杜若、藤花、款冬
更衣、卯花、葵、郭公、菖蒲、早苗、照射、五月雨、盧橘、螢、蚊遣火、蓮、氷室、泉、荒和祓
立秋、七夕、萩、女郎花、薄、刈萱、蘭、荻、雁、鹿、露、霧、槿花、駒迎、月、擣衣、虫、菊、紅葉、九月尽
初冬、時雨、霜、霰、雪、寒蘆、千鳥、氷、水鳥、網代、神楽、鷹狩、炭竈、埋火、除夜
初恋、不被知人恋、不遇恋、初遇恋、後朝、遇不遇恋、旅恋、思、片思、恨
暁、松、竹、苔、鶴、山、河、野、関、橋、海路、旅、別、山家、田家、懐旧、夢、無常、述懐、祝

うーむ、この程度では百首歌の主題と一座一句物の間に関連性があるかどうか、何とも言えないところです。

むしろ実作的に、地下連歌師たちから「これは一句物にしておいてほしい」と要請があったものが入っているような気がします。一句物に挙がった主題は優美なるものが多く、「できるだけ百韻の中で使ったほうがよい」表現として取り上げられているように見えますが、「熊、虎、龍、鬼」のように、激しい用語で、優美とは言えないものも混じっています。これらは「ひんぱんに使うと連歌が荒れてしまうから、使うとしても百韻に一句程度にしてもらいたい」と連歌師が望んだのではないかというのが、わが試論なのです。

採用の基準は必ずしも一定したものではなく、問題が起きるたびに一句物を追記していったような気がするのです。

2025-05-20

連歌のルール(6)~「体」と「用」について、および事物の分類

永山勇「連歌における体・用(ゆう)の説」
「国文学言語と文芸」4(1)、1962)

「体」と「用(ゆう)」とは何か

連歌新式の次の項目は非常にややこしい。式目を理解する上での最難関でしょう。さいわい永山勇先生は「連歌における体・用(ゆう)の説」「国文学言語と文芸」4(1)、1962)というすぐれた論考を発表されています。これを参考にします。

まずは式目の現代語訳を見てみてください。

「体」と「用(ゆう)」について

「春」を詠んだ句に「弓」と付けた場合、さらに次の句では「引く」「帰る」「押す」などという語を付けてはならない。これらの語は〈用であるからだ。「本」「末」などの語なら付けてよい、これらはであるからである。打越にの語があった時は、「本」「末」を付けてはならない。

「長」を詠んだ句の次に「縄」を詠んだ場合、さらに次の句では「短」を詠んではならない。これらすべてが〈体〉になってしまうからである。「繰る」「引く」などだったら、これは〈用〉であるから付けてもよい。 

「春」の句に「弓」を付けるとはどういうことでしょうか。これは、「春」は「張る」と同音意義語なので、その連想で「弓を張る」を想起し、付句で「弓」を描いたということなのです。掛詞(かけことば)を利用した付けです。

さて、ここで〈体〉と〈用〉ですが、物本来を示す語が〈体〉、その機能や様相を示す語が〈用〉となります。そうすると「張る」は弓の機能を示す語であるから〈用〉、「弓」は物本体を示すから〈体〉である。

ここで気をつけるべきは、「春(張る)」という語自体には体とか用といった特性はないということです。あくまで付句の「弓」との関係性によって〈用〉という性格が生まれる。

次の付句では、前々句の打越を避けるためにここには弓の〈用〉の語を持ってきてはならない、〈体〉を持ってこなくてはならない。「引く」「帰る」「押す」などは弓との関連で〈用〉を示すからここには持ってこれない。「弓を引く」「返し弓」「(弓の)押手」などの概念があるから、これらの動詞は弓の縁語であり〈用〉を示すのだ。

このへんまではわかりやすいでしょう。そして、ということは〈体〉とは体言(名詞など)で、〈用〉とは用言あるいは修飾語のことだなと早とちりする人がいるかもしれません。しかしコトはそう簡単ではない。

「春(張る)」→「弓」と来た次に、「本」「末」なら付けてよいという。弓の下部が「本」、上部が「末」と呼ばれ、これらも弓の縁語なので、付句に使用できる、これらは〈体〉を示す語だから「春(張る)」の〈用〉とは打越を嫌わないというのです。

まずこのへんでイライラする方がいるでしょう。「弓」に対して「春(張る)」「引く」「帰る」「押す」「本」「末」の6語が縁語であるなんて、いったいどこを調べたらわかるんだ--とむしゃくしゃするかもしれません。

それについては、連歌寄合書を見るのが参考になります。何度か紹介してきましたが、一条兼良の『連珠合璧集』は連歌の連想語をリストにしたもので、これを見ると単語の連想関係がわかってきます。試みに「弓」を引いてみると次のようなものが連想語として挙がっています。

引 本 末 いる はる そり つる 月 杯のかげ 狩人 武士 馬 あづさ をして(押し手) 高円山

上記の6語のうち5語が縁語として挙がっていますし、残る一つの「帰る」についても、「帰」の連想語を調べると「弓」が挙がっています。『連珠合璧集』は中世言語の連想網を知るうえで非常に貴重な資料だと言えます。

次に、「本」「末」が「弓」に対して〈体〉であるというのはどういうことなんだ、「本」も「末」も弓の一部の様相を指す語であるから、〈用〉ではないのかと疑問を持つ向きもあるでしょう。

それについて説明する前に、「連歌における事物の分類」ということについてお話ししたいと思います。

連歌における事物の分類(山類・水辺・居所)

この連載の第2回(百韻の構成、打越と去嫌とは何か)を読んでいただいた方には、連歌の各句の題材が「鳥、木、山類...」などというようにいくつかのカテゴリ(部立)に分類されるということを見てもらいました。題材を分類することで、似通った題材が打越関係で繰り返されないようにチェックしていくのです。

打越が問題とならないように、同種の題材は3句連続で繰り返してはなりません。ところが例外があって、「旅・神祇・釈教・述懐・山類・水辺・居所は三句まで続けてよい」ということになっているとご説明しました

3句続けてよいとはいっても、打越関係で輪廻が生じてしまうとまずい。それを避けるために重視されるのが、〈体〉と〈用〉の関係なのです。たとえ山類の句が3句続くとしても、打越関係で体と体、用と用が重ならないようにする。それによって変化・展開を作り出すようにしようということです。

連歌新式は事物を19通りぐらいに分類していますが、そのうち「山類」「水辺」「居所」については、何が〈体〉で何か〈用〉かを具体的に例示しています。その分類を以下に表にしてみます。

カテゴリ説明体・用の外カテゴリ外
山類山に関する事柄岡、嶺、洞、尾上、麓、坂、岨、谷、島、山の関梯、滝、杣木、炭竃
岩橋、杉、猿、薪、爪木、滝つ瀬、
水辺水に関する事柄海、浦、江、湊、堤、渚、島、沖、磯、干潟、岸、汀、沼、川、池、泉、洲波、水、氷、塩、氷室、清水がもと浮木、舟、流、塩焼、塩屋、水鳥類、蛙、千鳥、杜若、菖蒲、蘆、蓮、真菰、海松、和布、藻塩草、萍、海士、閼伽結、魚、網、釣垂、筏、手洗水、懸樋、下樋砂、苫屋、霞の網、鶴、鷺、螢、小田返す、布曝す
居所住居に関する事柄軒、床、里、窓、門、庵、戸、枢、甍、壁、隣、垣庭、外面(とのも)栖、住居、花のあるじ、露のやどり、簾、筵、懸樋

(肖柏の改訂版は記述を省略していて対比がわかりにくいので、連歌新式の原形の一つである『連理秘抄』を参考にして欠落部を青字で埋めてあります

先に、〈体〉と〈用〉はことば同士の関係性によって決まるので、「春(張る)」という語自体には体とか用といった特性はないと言いましたが、これら3ジャンルについては式目でそれぞれの語の体と用を決めてしまっています。

これらの規定を参照して、永山勇先生は体と用とは何かを解説しています。先生は〈体〉〉、体・用の外をそれぞれ次のように定義します。

  • 「体」とは、その物の実体、形体の一部分、(属性・形状・性質をも含む)あるいは相伴なって離れない関係や永続性を有するものであって、最も関連性が深いもの。
  • 「用」とは、流動性を有するもの、一時的な、臨時的、附加物的な関係のもの、したがって変化し易いものであって、体よりは関連が浅いもの。
  • 「体・用の外」とは、用よりさらに関連が疎遠なもの。(非山類物、非水辺物、非居所物をも含む)

最初の式目の記述に戻ると、「弓」に対してその「本」「末」は、実体・形体の一部分であり永続性を有するから、体であるということになります。一方「張る」「引く」「帰る」「押す」は一時的・臨時的な機能であるから用になります。

さらに、「縄」について「長い」「短い」というのは実体そのものの形状であるから体、「繰る」「引く」は一時的・臨時的な機能であるから用とされます。

3句の並びを「体体体」「用用用」「体用体」「用体用」というようにすると、打越と付句の機能が同じになってしまう。打越と付句は異なる機能にしなければならないというのが、この条項の意味するところです。

表の山類、水辺、居所の区分ですが、たとえば「岡」が体で「梯(かけはし)」が用であるというのはわかる。前者は実体で後者は附加物であるからです。しかし「洞」が体で「滝」が用だというのは理解しづらい。両者ともに山の地形じゃないか、どう違うんだと突っ込みたくなります。実際、これらの体と用の区分は時代により、式目により食い違っているのです。永山先生も「体・用の識別は、心理的なものであり、観念的なものであり、またおのずから主観的なものたらざるをえない」「関連の親疎・深浅という以上、そこに客観的基準というものを確立することは甚だ困難」と認めています。

〈体〉と〈用〉の区分はかなり便宜的なものだと言えるでしょう。

どちらにも区分されない〈体・用の外〉は、同一カテゴリではあるけれども打越を気にせず使用してよい題材。

〈カテゴリ外〉はそもそもその分類に含まれないもの(非山類物、非水辺物、非居所物)であるから、体・用に関して打越が問題になることはない。ただし、例えば山類から非山類に移ったら、次はもう山類に戻れない(山類の打越になるから)ということになります。

実例を一つ見てみましょう。飯尾宗祇らの『水無瀬三吟』(1488)より、脇句から第四までを引用します。

 行く水とほく梅にほふ里      肖柏
川かぜに一むら柳春みえて      宗長
 舟さすおとはしるき明がた     宗祇

「行く水」「川かぜ」「舟さす」と水辺が3句続くのですが、「水」は〈用〉、「川」は〈体〉です。では「舟」はといえば、体・用の外〉ですから、これは気にしなくてもよいということです。

ところが他の式目書では「舟」を〈用〉にしてある場合もあるのです。そうなると「水」の〈用〉と打越が嫌うことになってしまってまずいですね。こんな具合で、体と用の区分は結構危ういところがある

その他の事物の分類

「連歌新式は事物を19通りぐらいに分類している」と述べましたが、山類・水辺・居所以外の16ジャンルも一覧表にしておきましょう。これらのジャンルについては体と用の区分は記述されていません。実際問題として、体と用の関係が問題になるのは、使用頻度の高い上記3ジャンルに限られていたということでしょうか。

具体的な用語の例は連歌新式では一部を除き系統立って挙げられていないので、『連珠合璧集』や『無言抄』(応其編、1603頃)の分類を参照して青字で補足してみました。

カテゴリ説明用語の例カテゴリ外
人倫人間に関する事柄人、我身、友、父、母、誰、関守、主、独、媒、親子月をあるじ、花をあるじ、僧都、山姫、木玉、ふたり
旅に関する事柄旅、宿、中宿、便の文
神祇神社や神に関する事柄神、社、鳥居、しめ、ぬさ、夏祓、野宮、神楽、下照姫、など
釈教仏教に関わる事柄仏、御名、寺、法、尼、弥陀、弥勒、鶴の林、あか水、罪、など
述懐世に生き永らえることの辛さを述べること世、墨染、命、玉の緒
懐旧昔を懐かしむ心情老、思い出、古、昔
無常死や葬送に関わる心情霞の谷、塩干山、かへらぬ道、ながき別、無名の煙、古枕、古衾
恋愛に関すること恋、思、涙、書、名、待心、逢心、別心、面影、独寝、恨、など
光物天体として光るもの月、日、星
降物空から降るもの雨、露、霜、雪、霰
聳物空にたなびくもの霞、霧、雲、煙
名所詩歌に詠まれる著名な場所(多数)
植物(「草」と「木」に分かれる場合も)若草、竹、竹の子、篠、若菜、杜若、菫、山吹、藤、葵、あやめ、まこも、蓮、撫子、夕顔、萩、女郎花、朝顔、葛、荻、すすき、菊、菅、浅茅、蓬、浮草、玉藻、忍草、蘆、葎、なのりそ、みるめ、瓜、若木、老木、朽木、ははきぎ、梅、桜、花、柳、李、卯花、橘、紅葉、桂、松、槙、椿、杉、柏木、榊、柴、その他多数
生類/動物(「鳥」「獣」「虫」「魚」「貝」などに分かれる場合も)鳥、百千鳥、鶯、ほととぎす、雁、雉、雲雀、燕、鶉、鴫、千鳥、鴨、鶏、烏、雀、鷲、鷹、山鳥、鷺、都鳥、鹿、馬、駒、牛、犬、猿、虎、狐、虫、松虫、鈴虫、きりぎりす、蟬、空蝉、螢、蛙、蝶、ささがに、龍、魚、鮎、亀、貝、その他多数
衣裳衣服に関すること衣、袖、唐衣、きぬた、衾、帯、綾、糸、綿、布など
夜分夜の風景螢、蚊遣火、筵枕、床、又寝、神楽、夕闇、いさり

2025-05-03

連歌のルール(5)~本歌取について

二条良基像

本歌取のルール

本歌取(ほんかどり)とは何か、皆さんご存知でしょう。和歌や連歌で、別の作品を下敷きにして新しい歌を作り直すことです。百人一首の歌で、本歌取の技法を使っているものを2つ紹介しましょう。

絶え果てば絶え果てぬべし玉の緒に君ならむとは思ひかけきや 和泉式部

玉のをよ絶えなばたえねながらへば忍ぶる事のよわりもぞする 式子内親王

 

さむしろに衣かたしきこよひもや我を待つらむ宇治の橋姫   よみ人知らず

きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかもねん 藤原良経

いずれも上が本歌、下がそれを踏まえた歌です。

本歌取を連歌ではどのようにやればいいかというのが、今回のテーマです。連歌新式の規定を読んでみましょう。

本歌について

本歌取は、同じ本歌から三句連続でことばを採ってはならない。(歌だけではなく、物語や故事を踏まえる場合も同様である)

ただし逃げ歌があればこの禁則を適用しない。

本歌は新古今集以後の歌人の作をとるべきではない。本歌は堀河院百首までの作者のものをとるべきである。(だが続後撰集までの作者はとってもよいとのルールも定められた)

ただし近代の作者の歌でも、證歌になら使ってもよい。 

たとえ近代の和歌集に収録された歌であっても、堀河院百首の時代までの歌人のものであれば、本歌にとってよい。

広く歌人たちが知らないような歌は、本歌にとるべきではない。(證歌になら場合によっては引用してもよい)

二条良基公が書き残されたことによれば、源氏物語は大部の書であるから、いったん引用したら三句連続すべきだ、ただし同じ個所からの引用は二句続きまでにとどめるべしという。(このような説があるとは言え、望ましい考えだとは思われない。故事を本歌として用いることについては、よくよく慎重に考えるべきである。まして源氏物語の場合はなおさらである) 

「本歌取は、同じ本歌から三句連続でことばを採ってはならない」という書き出しですが、まず二句連続で採るのはどういう場合でしょうか。山田孝雄博士の『連歌概説』には次のような例が挙がっています。

 うぐひすのねも氷とけけり
雪のうちもいづる日かげはのどかにて

この二句は、次の歌を引用しているというのです。

雪の内に春はきにけりうぐひすこほれる涙今やとくらむ 二条のきさき

前句も付句も、両方とも同一の元歌からことばを引用している。これが二句連続の場合です。しかし三句連続で同じ歌から採ってはいけないという。

ところが逃げ歌があればその禁は適用されない。この「逃げ歌」とは何でしょうか。これは、「おまえ、それは同じ本歌から3連続で採っているぞ」と言われた場合に、「いやいや、そちらではなく別の歌から本歌取してるんですよ」と言い逃れできる別歌があるということなのです。

岩波書店の『連歌論集 俳論集』(日本古典文學大系 66、1961)で、木藤才蔵先生が次のような例を挙げておられます。(元の出典は1600年頃に制作された『連歌新式抜書』)

 月にこゝろやひかれゆくらん
あしなみもなづめる駒の秋の夜に
 岩ふみたどるあふ坂のやま

これらの句は

あふ坂の関の清水にかげみえて今や引らんもち月の駒 紀貫之

からの本歌取。三句目について、3句連続して同じ歌から採ってしまってるじゃないかと、論難を受けた。すると三句目の作者は、いやいや私の句は

あふ坂の関の岩かどふみならし山たち出るきりはらの駒 大弐高遠

からの本歌取だから、同一句からの3連続引用ではありませんよと言い逃れた。これが逃げ歌ということです。たしかに大弐高遠の歌には(一句目のような)月が詠まれていませんから、こちらを基準にすれば3連続にはならないということですね。

「近代」はいつごろから始まった?

次が面白いところで、本歌として認められるような、古典として価値が定まった歌はどの時代のものまでかという論議です。二条良基は堀河院百首までである、新古今集以降は近代和歌だから本歌にしてはダメだという。これに対して肖柏は、続後撰集までの時代は古典として認めるというようにルールが拡大されてきているという。

これらの和歌集が何年に編纂されたかを並べてみましょう。

堀河院百首(1105年ごろ)
新古今和歌集(1210年)
続後撰集(1251年)

それぞれの年代が何を意味するかですが、堀河天皇は賢帝という評判が高かった人で、このころまでが摂関政治が落ち着いて機能していた時代なのです。次の鳥羽天皇以降、徐々に武士の力が強まり、やがて保元・平治の乱へと突入していきます。堀河天皇は和歌への造詣も深かった人で、だから『堀河院百首』は古き良き時代を象徴する和歌集であるわけです。

新古今和歌集は源平合戦(1180~1185)から承久の乱(1221)へと移行する時代に編まれましたが、これ以降完全に武士が権力を握る社会になります。天皇を中心とした貴族社会の構造が壊れてしまった。新古今の編纂にかかわったのは承久の乱の当事者である後鳥羽上皇でした。また和歌の世界では、藤原俊成・定家の親子が改革を推し進めた時期でもありました。だから二条良基から見れば、新古今以後の世界は「近代」であり、古典としての評価が定まっていない作品世界であるとされたのでしょう。

牡丹花肖柏は二条良基よりも123歳年下です。一世紀以上経って、もう少し後の歌人まで古典として認められるようになっていると、彼は言っています。彼が挙げる続後撰集が編まれた1251年はどういう年だったか。蒙古の最初の襲来である文永の役は1274年であり、これ以後社会は再び不安定化し、やがて南北朝時代が到来します。だから肖柏にとっては蒙古襲来以降というのが「近代」として認識されていたのではないでしょうか。

本歌と證歌の違い

続いて式目には「ただし近代の作者の歌でも、證歌になら使ってもよい」とあります。「本歌」と「證歌」はどこが違うかですが、本歌取は本歌の作意をくみとって、それを変奏しようという試みです。しかし證歌は一句の仕立て・ことばづかい・固有名詞などを真似しただけで、本歌の作意まで応用しようとは思っていない場合を言います。「そんな表現、聞いたことがないぞ」と論難された場合、「いやいやこういう先例がありますよ」と証拠に使う、その程度のものが證歌であるということです。

実際には、どこまでが本歌でどこからが證歌かという境界は微妙ですけれどね。

次の「たとえ近代の和歌集に収録された歌であっても、堀河院百首の時代までの歌人のものであれば、本歌にとってよい」という部分ですが、これは古典と近代の区分は作者ごとに決まるのであって、所収する和歌集ごとに決まるわけではないということです。たとえば新古今和歌集には紫式部(970年頃~1020年頃)の歌が14首収録されていますが、彼女は古典時代の作者です。二条良基から見れば新古今自体は近代の和歌集であるとしても、そこに収録された紫式部の歌を本歌としても問題ないということ。

さらに次の「広く歌人たちが知らないような歌は、本歌にとるべきではない。(證歌になら場合によっては引用してもよい)」という個所は説明不要でしょう。

源氏物語好きの連歌師たち

二条良基は行阿(ぎょうあ、俗名は源知行)という学者に就いて源氏物語の奥義を学んでいました。だから猛烈な源氏物語ファン。式目には「二条良基公が書き残されたことによれば、源氏物語は大部の書であるから、いったん引用したら三句連続すべきだ、ただし同じ個所からの引用は二句続きまでにとどめるべし」と、良基が源氏から引用を採ることを勧めた話が引かれています。

山田孝雄が次のような実例を挙げています。「大原野十花千句 第一」からの抜粋です。これは1571年に、細川藤孝(幽斎)が里村紹巴らの参加を得て主催した大連歌会の作。

 忍ぶとするも見しがあやしき  三条西実澄
誰となき契の末を求ばや     里村昌叱    
 すつる身さぞな蓬生の奥    飛鳥井雅敦

最初の二句は、「人目を避けて暮らしているのをちらりと見てしまったが、なんとも不思議なことだ」「どの女性と自分は結ばれることになるのだろう、その結末を知りたい」ということになりますが、これは源氏物語の「若紫」の巻で、光源氏が紫の上をのぞき見して心惹かれ、誘拐してしまうエピソードを踏まえています。

後半の二句をとると、「誰と結んだとも言えない曖昧な約束の行く末はどうなるのでしょう」「世を捨てた身はさぞかし草深い土地の奥に埋もれてしまうことでしょう」となります。こちらは「蓬生」の巻の引用で、末摘花という女性が源氏に愛されず、荒れ果てた邸に住み暮らしているさまを描きました。

このように3句連続で源氏を本歌にしつつも、同じ巻からは2句しかとらないという、二条良基の指針どおりのはこびになっています。良基は源氏物語から連歌に使えそうな表現を片っ端から抜き書きした労作、『光源氏一部連歌寄合』を残しています。

一条兼良もまた源氏物語についての著作をいくつも残した大学者でした。彼が作った寄合書(連歌の付の例を示したアンチョコ)『連珠合璧集』には、源氏からの引用がぎっしり詰まっていますが、彼も源氏の内容を連歌に盛り込むのに熱心でした。

それらに対して牡丹花肖柏は「ほどほどに」という気持を抱いていたようで、「このような説があるとは言え、望ましい考えだとは思われない。故事を本歌として用いることについては、よくよく慎重に考えるべきである。まして源氏物語の場合はなおさらである」と注をしています。

実際、良基が加わった連歌を見ても、3句連続で源氏から引用しているケースはあまり見当たらないようです。良基笛を吹けど連衆は踊らず、といったところでしょうか。

2025-05-01

連歌のルール(4)~輪廻と遠輪廻

 
福井久蔵『連歌の道』(大東出版社、1941)より、輪廻・遠輪廻の解説

打越を避けるためのテクニック

「連歌新式」の読解、今回は「輪廻」と「遠輪廻」についてのルールです。このシリーズの第2回において、付句は前々句と違う世界を描かなければならないということを説明しましたが、それについて具体例による解説がされています。

輪廻について

「薫(たく)」ということを詠んだ句の次に「こがる」ということを付けた場合、その次では「紅葉」を詠んではならない。「舟」を詠んで付けるべきである。「こがる」には「焦がる」「漕がる」の二通りの表記があるためである。

「煙」を詠んだ句の次に「里」を付けた場合、さらにその次で「柴焼」など薪に関連する語を詠んではならない。「夕立」に「雲」を付けた場合、打越で「雷」などを詠んではならない。「雪」に「富士」を付けた場合、打越で「氷室」などと詠んではならない。

最近のルールでは、「夢」の句に「面影」と付けた場合、次では「月」「花」を詠んではならないとされている。「夢」「月」「花」などは「面影もの」として同じ範疇の語とされるようになったからである。かつてはそうした決まりはなく、避けられてはいなかったのだが。

最初の段落は、同音異義語を使って付句を展開するテクニックについて語っています。「薫物(たきもの)」に対して「焦がる」は同じグループに属する語である(香は燃やすものであるから)。一方「焦がる」と「紅葉」も同じグループである(紅葉は「燃えるような」と例えられるから、両者は縁語になる)。だから薫~焦がる~紅葉と続けるのは狭い連想の中をぐるぐる回ってしまうのでよろしくない。このように狭い連想の中で循環してしまうことを「輪廻」と呼びます。仏教で、いつまでも解脱できずに生死の循環を繰り返すことを「輪廻」と呼ぶのにひっかけた用語です。

ところが「こがる」には「漕がる」という同音異義語がある。そちらに転じて、意味を読み替えて「舟を漕ぐ」ことにしてしまうという技があるというのです。

実作品の例を見てみましょう。「看聞日記紙背 何人」と呼ばれる、1425年6月の連歌より、名残表の12~14句目です。

 蘆間(あしま)をわくる船のほかくれ  梵祐
うき思(おもひ)こがるる胸のよしなきに 長資
 これもかたみにのこるたき物      慶寿丸

最初の二句は、「蘆の間を進む船の帆に隠れて」「漕いでゆきながら恋の物思いに胸は狂おしくどうにもしかたない」という意味になりますが、後の二句は「恋の思いに胸が焦げるさまはどうにもしかたない」「私の袖に残るあなたが焚いた薫物の香りを形見と思うからです」となります。「漕がるる」を「焦がるる」に読み替えた、上とは反対の例です。

式目の次の部分はわかりやすいでしょう。

「煙」→「里」→「柴焼」
「夕立」→「雲」→「雷」
「雪」→「富士」→「氷室」

というような 狭い範囲の用語でぐるぐる回してはいけないということ。

その後の、「最近のルールでは、『夢などは面影ものとして同じ範疇の語とされるようになった」というのは二条良基の応安新式や一条兼良の連歌新式今案には見られない条項で、牡丹花肖柏が付け加えた一文です。15世紀半ばまではそんなルールはなかったものが、16世紀ぐらいから採用されるようになったのでしょう。ことばのグルーピングというものが時代によって変わることがよくわかる話です。

同じパターンの再利用はダメ

遠輪廻について

たとえば花の句に対して、次に「風」とか「霞」などと付けた場合、これと同じ付を再度やってはならない。打越に限らず、数句を隔てた場合でも許されないし、一座の中でも繰り返してはならない。

花に「風」や「霞」を付けるという場合が問題にされるケースは最近あまり見ないが、やはり新式の決まりは守るべきだろうか。

また、「竹」の句に「世」を付けたら、それ以降では竹に「夜」を付けてはいけない。

これらが遠輪廻に関する規則である。 

この条は打越ではなく、連続する2句についての決まりです。

なぜ「花」に対する付が例に挙がったかというと、百韻の連歌だと花を4回詠まなければならない。そうすると付に同じパターンを繰り返してしまう失敗が多かったから、とくに注意したのではないかと思います。

もちろん、花の句に限らず、同じパターンの付というのは一座(=一巻)の中で2回使ってはいけない。同じ付を繰り返してしまうことを遠輪廻と呼ぶ。

「花に『風を付けるという場合が問題にされるケースは最近あまり見ない」以降の部分は応安新式にはなく、一条兼良が連歌新式今案で追加した部分です。

の句にを付けたら、それ以降では竹にを付けてはいけない」というのは、竹の節のことを「よ」と呼ぶんですね。節が一つしかない尺八のことを「一節切(ひとよぎり)」なんて称したりします。それで、掛詞(かけことば)を連想に使って、「竹」の句に「世」の句を付けるということをやる。そうなると、「竹」に「夜」を付けるというのは同じ手口になってしまうので、これはもうやってはいけないということになるのです。

竹→(節)→世(よ)
竹→(節)→夜(よ)

という発想は同パターンの遠輪廻と見なされるということです。

2025-04-26

連歌のルール(3)~句留めについて

 
金子金治郎編『連歌研究の展開』(勉誠社、1985)

韻字って何だ!?

さて、今回から「連歌新式追加並新式今案等」の本文を読んでいきます(以下「連歌新式」)。茶色で書いた部分が、私の現代語訳ですが、逐語訳ではなく、わかりやすいように翻案してあります。

最初の項目は「韻字事」と題されているのですが、ここからして非常に難解です。多くの学者の方々もこの項目の説明を避けているほどです。さいわい、本規則については金子金治郎先生が「連歌韻字考」(『連歌研究の展開』勉誠社、1985)という論考を発表されているので、参考にします。

句留め(韻字)について

名詞(物名)留と用言(詞字)が打越になるのは問題ない。名詞と名詞が打越になるのは避けなければならない。

「つつ」「けり」「かな」「らん」「して」 のようなめは、同じ語を打越で使ってはならない。

最近は「かな」は発句以外では使わないことになっている。ただし願望を意味する「もがな」だけは使ってもよいが、その場合にも同じ懐紙で使うのは避けること。

(注)物名には「朝」「夕」のような語も含まれる。
(注)名詞同士であっても、「時雨」と「夕暮」というような場合は最近では嫌わない。 

タイトルの「韻字」ですが、この場合は音韻のことを述べているのではありません。一句をどういう語(品詞)で留めるかについて述べているのです。

A句、B句、C句...というように付いていく場合、A句が名詞留だったらC句は名詞留にしてはならない。用言留なら構わないとしています。

またA句が「らん」で終止する場合は、C句は「らん」留にしてはならない。

ということですが、実際はもっとややこしい。まず「物名」を「名詞」、「詞字」を「用言」と訳しましたが、果たして物名=名詞なのか、詞字=用言と限定してよいのかが問題です。

詞字」は用言だけではなく、助詞や助動詞もそこに含めているのです。つまり物名以外はおおよそ詞字」というわけです。

「『つつ』『けり』かな』『らん』『して』 のようなめ」というのも、詞字に含まれる、ただし、これら助詞・助動詞の一部は、テニハ(てにをは)としてとくに意識する。

何をテニハ留と考えるかについては、他の文献に次のような言及があります。これらのテニハも打越で使うことを忌避されていたかもしれません。(名詞でもテニハとされているものもある)

  • 「ぬ」の用法はよくよく考えるべきである(順徳院『八雲御抄』)
  • 「に」留の句の次の句を「て」留にしてはならない(二条良基『僻連抄』)
  • テニハ留には「よ」「つつ」「ず」「ば」「らめ」「かた(夕つかた)」「き」「つる」「つ」「かな」「かは」「せん」「そ」「も」などがある(二条良基『撃蒙抄』)
  • 「ころ」「ほど」というテニハは重要である(伝宗祇『連歌秘伝抄』)

テニハ留については、後年いくつかの連歌論で問題とされていますが、式目の解説としてはここまでにしておきます。

本文の「最近はかな留は発句以外では使わないことになっている」という部分は、鎌倉時代には平句(=発句以外の句)でも「かな」を使っていたけれどもいまどきはやらないよ、ということでしょう。また、古文では濁音を表記しないので「もがな」は「もかな」と書かれていましたが、この「かな」は許容されると言っています。

実例によって句留めを見てみよう

実際の連歌を例にとって、句の留めがどのように推移しているかを見てみましょう。「至徳二年石山百韻」(1385)という石山寺で張行された作品で、これも二条良基が参加しているものです。最初の10句(初裏2句目)まで並べてみます。

初表 月は山風ぞしぐれににほの海     良基公
    さざ波さむき夜こそふけぬれ    石山座主坊
   松一木あらぬ落葉に色かへで     周阿
    花のすぎてものこる秋草      通郷
   露ながら野や初霜になりぬらん    師綱
    きぬたのおとは遠里もなし     季伊朝臣
   柴の庵あれたる庭に鹿鳴きて     千若丸
    刈田の後の山ぞさびしき      右大弁三位
初裏 すててわがこころとや身をわするらん 任阿
    猶さめがたき夢のよの中      忠頼朝臣
 
発句は「にほの海」(琵琶湖)なので物名留。
脇の「ふけぬれ」は詞字留。
第三、「変へで」で詞字留。
四句目、「秋草」は物名。
五句目、「らん」は特殊な詞字留。
六句目、「なし」は詞字留。
七句目、「鳴きて」は詞字
八句目、「さびしき」は詞字留。
初裏一句目、「らん」は特殊な詞字留。五句目に「らん」が出ていましたが間に三句はさまっていて、打越ではないからセーフ。
初裏二句目、「よの中」は物名留。

以上の並びから見て、やはり名詞留(物名留)が打越に来ることはありません。

詞字留のほうは、特定のテニハ留を除けば打越になっても問題なしとされています。

ところが金子金治郎によると、名詞留が打越で出る事例はひんぱんに見られるというのです。たとえば飯尾宗祇らによる有名な『水無瀬三吟』(1488)でも、名詞留が打越に来ている例が12例もあるといいます。その二表の一部を引用します。

 それも友なるゆふぐれの空     宗祇
雲にけふ花散りはつる嶺こえて    宗長
 きけばいまはの春のかりがね    肖柏
おぼろげの月かは人もまてしばし   宗祇
 かりねの露の秋のあけぼの     宗長
すゑ野なる里ははるかに霧たちて   肖柏
 ふきくる風は衣うつこゑ      宗祇
さゆる日も身は袖うすき暮ごとに   宗長
 たのむもはかなつま木とる山    肖柏   

「空」「かりがね」「あけぼの」「こゑ」「山」と、打越の名詞留が4連発で発生しているのです。

名詞留の打越についての禁則は事実上有名無実化していたと言わざるをえません。ただし、金子はこうした禁則破りが、一の折では少なく、二の折以降に多いことを指摘しています。このことは、少なくとも一の折では韻字の禁則を守ろうという意識が連歌師たちにあったように思われるというのです。

これは感覚的によくわかる話です。われわれが連句を巻くときには、最初は句末の形が打越で同じにならないように気を配るのですが、後半になってくるとさまざまな制約が増えてくるので、配慮し切れずにだんだんグチャグチャになってくるのです。連歌師たちも同じだったのではないかなあと思います。

名詞留の打越を避けるのが理想ではある、ただし守り切ることが難しいので、厳密には問題視しないといったあたりが現実の落としどころだったのではないでしょうか。

物名と詞字の区分

韻字の式目に付された2つの注を見てみましょう。

物名にはのような語も含まれる」という注は、物名とは物体・物質や固有名詞だけではなく、「朝」「夕」のような概念語も含みますよ、という意味ではないかと思います。

どこまでを物名とするかは、当時の感覚は今とかなり違っていて、たとえば『連歌秘伝風聞躰』(日意[1444~1519]作?)では次のような語は詞の字になるとしています。

はるか・明がた・暮がた・おもふ中・つらき中・気色

名詞であってもどこか気持が入っているようなものは詞字だよ、と言っているような感じです。連歌新式の注で「朝」「夕」は物名であると言っているのは、「明がた・暮がたというのは詞字だが、朝・夕は物名だよ」と微妙な違いを示唆しているのかもしれません。

次の注、「名詞留同士であっても、時雨夕暮というような場合は最近では嫌わない」というのは、金子金治郎は、これらは「しぐれる」「夕ぐれる」というように動作を連想させるので物名から外してもよいということであろうとしています。名詞留の打越禁則が有名無実化しているならば、わざわざこうした特殊な例外を挙げるのも無意味ですが、いちおう物名と詞字の区分について見解を示したというところでしょう。