ここから個々の表現に関する各論になります。一座(一巻)の中で1回しか使ってはいけない表現、2回しか使ってはいけない表現...と使用数を決める例示が続きます。なぜそのような規制が設けられたのかという理由を考えることが大事でしょう。
一座一句物
一巻で1回しか使ってはならないという、重い題材です。注記として
一部の例だけ挙げる。とくに目につくものである。これらはどれも一座の中で一句にしか使えないものとする。挙げていないものもこれに準じる。
とあります。数が多いので、表形式で一覧にしましょう。
「松虫、鈴虫、蛬、虫」以下の項目は、それ以前の項目の注記ないし追加ということでしょう。最後の「床」のところに「鳥獣の床は別扱いとする」というのは、鳥の巣、獣の巣は人間の床とは別にするということだと思われます(「水鳥の玉藻の床」「臥猪の床」などと言う)。
さて、「鬼」と「女」が同じグループに入れられているのが大問題です。これには猛然と抗議の声が聞こえてきそうです。そもそもなんで「女」だけが特別扱いされ、しかも「鬼」と一緒にされるのだと。(ただしあとで「男」も一座二句物として出てきます)
室町時代の女性観を現代の人権意識で評するのは無理がありますが、天文17年(1548)に里村紹巴の門弟であった宗巴が著した連歌新式注解では、「連歌では女はたいていの場合鬼に結びつけて詠まれる。安達ケ原の黒塚のごときである。また伊勢物語にも、女たちを鬼と詠んだ例がある」としています。
そもそも応安新式(1372)にはこの項目は入っていなかったのです。一条兼良改訂の連歌新式今案(1452)で鬼と女が入ってきた。謡曲「黒塚」が作曲されたのは今案成立と前後する時期でした。この能楽がヒットしたので、鬼だ女だということを連歌に使う人間が出てきて、それを規制するためにこのような定めを入れたのではないかと私は想像するのですが、どうでしょうか。
近年、謡曲の詞章に連歌が大きな影響を与えているということが明らかになっていますが、逆に謡曲が連歌のほうに影響を与えることがあったのではないかと考えてみたいのです。
一座一句物はどのようにして選ばれたのか
「一座一句物」は、おそらくは「あまり美意識の立った重い表現を何度も使うと、反復感が強まって連歌の流れが渋滞してしまう。印象が強い語は一回だけ使うことにしよう」ということで決められたのだと思います。
どの表現を「一座一句物」にしようというのは、どのようにして決められたのでしょうか。濱千代清先生は
「なぜ若菜や山吹が挙げられて、すみれやわらびがないのか、夕立が一句物で五月雨が二句物であるのは何を基準にしたかということになると、全く見当がついていない」(「一座一句物をめぐって」~『連歌-研究と資料』桜楓社、1988)
と問題を立てています。これについて、濱千代先生はいくつかの可能性を挙げています。まず、式目のこの条最初の注記に「一部の例だけ挙げる」「挙げていないものもこれに準じる」とあるところから、これらはあくまで「例示」であるというのです。雅趣のある表現は本来みな一座一句物なのであり、ここに挙がっているのはその一部でしかないと。例外として二句以上使ってよいものが、このあと「一座二句物、三句物...」と数え上げられていく。一句物は例示なので、ごく少数しが挙げていないが、二句物以下は具体的に指示する必要があるのでもっと数が多くなっていると。
もうひとつ、先生は「百首歌」の題との関連性を指摘しています。百首歌というのは、決めた主題(季語、恋のテーマなど)について百首の歌を詠進したもの。これらの主題に、一句物と共通するものがあるとしています。
例として、「堀河百首」(1106年頃)で立てられた主題を挙げてみましょう。赤字部分が連歌新式の一座一句物と重なるものです。
うーむ、この程度では百首歌の主題と一座一句物の間に関連性があるかどうか、何とも言えないところです。
むしろ実作的に、地下連歌師たちから「これは一句物にしておいてほしい」と要請があったものが入っているような気がします。一句物に挙がった主題は優美なるものが多く、「できるだけ百韻の中で使ったほうがよい」表現として取り上げられているように見えますが、「熊、虎、龍、鬼」のように、激しい用語で、優美とは言えないものも混じっています。これらは「ひんぱんに使うと連歌が荒れてしまうから、使うとしても百韻に一句程度にしてもらいたい」と連歌師が望んだのではないかというのが、わが試論なのです。
採用の基準は必ずしも一定したものではなく、問題が起きるたびに一句物を追記していったような気がするのです。