句数について
連歌では2句前(打越句)と類似した事物を詠んではならないことになっています。ということは、3句同じ世界を扱ってしまうと自動的に打越と重複するので、同一のテーマは2句までしか続けられないことになります。
ところが、特定のテーマに関しては3句以上続けてもかまわない、あるいは続けなければいけないという決まりがあります。それがこの「句数」と題された規定です。
春の句、秋の句、恋の句は五句まで続けてよい。春の句、秋の句は三句は続けて詠むこと。恋の句が一句で終わってしまうのは残念なことだとの意見がある。
夏の句、冬の句、旅、神祇、釈教、述懐(懐旧と無常はこの内に含まれる)、山類、水辺、居所は三句まで続けてよい。
春と秋は3~5句続けること、恋は2~5句続けることと決められています。ただし、一度春・秋を離れたら間に7句以上を挟まないと同じ季節には戻れませんし、恋を離れたら間に5句挟まないと次の恋は詠めません。これについては第12回で説明しました。
夏と冬は春秋に比べて情趣に乏しい季節とみなされているので、3句が上限、1句で終わりにしてもかまいません。旅、神祇、 釈教、述懐、山類、水辺、居所も同様です。述懐には次のような別規定があって
述懐(懐旧・無常)は三句続けることができる。同じ句に述懐と釈教の両方の要素が入っている場合は、釈教のほうを優先して付けること。
となっているのですが、これは必ずしも守られていなかったのではないでしょうか。たとえば「宗伊宗祇湯山両吟」(1482)の三折表には次のような付合があります。
仏やたのむ声をしるらむ 宗祇
老いてなほくる玉のをのかずかずに 宗伊
前句は「仏さまは亡き人の声を知っているであろう。その声をもう一度聞きたいのだ」という意味で、述懐であると同時に釈教にもなります。この場合、上の規定によれば、付句として釈教のほうが優先されるはずですが、付句は「年老いて玉を繰りながら、なおも寿命を願っている」ということで、むしろ述懐のほうを優先して詠んでいます。
さて、式目の本文の解説はほぼ終了です。このあと、付則、および和漢聯句の場合の式目が続くのですが、それはいったん措いておいて、次回からは式目とは別のもう一つのルールである「賦物(ふしもの)」について、規定を見ることにします。