「連歌新式」の式目の後には、「連歌初学抄」という一章が設けられていて、一条兼良/宗砌編の同名の書からいくつかの条目が引用されています。賦物に関する決まりその他です。これも参考になる規定ですから、現代語に訳してみましょう。
賦物に関する条項
鎌倉時代には、賦物は題と考えられていた。百韻なり五十韻なりのすべての句にその賦物が適用された。近年は発句のみ賦物を課すことになっている。脇句以下の句ではまったくこれを取らない。今となっては何の意味もないようなものであるが、昔の習わしを忘れないようにしているのみである。
発句に賦物を取るにあたっては、二通りの解釈ができるような取り方をすべきではない。たとえば、「賦何人」に対して発句で「山桜」を詠むべきではない。「山人」として取ったのか「桜人」として取ったのか、どちらとも解されてしまうからである。三通りの解釈ができてしまう取り方もだめである。
最初の段落は、前回までに解説した賦物の歴史の話です。
次の段落は読んでいただければわかる内容でしょう。
一字露顕の賦物はとくに面白みがあるため、近年でも百韻連歌のすべての句にこれを適用する。二字反音、三字中略、四字上下略に関しては、千句連歌の発句にのみ採用する場合がある。
一字露顕だけは全百句に適用するとなっています。しかし実際には、室町時代後半にはそのようなことはなくなっていたようです。
二字反音、三字中略、四字上下略については、通常の百韻連歌ではもう採用されないけれども、千句連歌の際には変化をつけるために途中の百韻で設定されることがあるとしています。
鎌倉時代には、賦物の字は百韻の間に使用することはできないとなっていた。南北朝時代には面八句(おもてはっく)の間は使用してはならないとされていた。近年ではその決まりがなくなっているのはいささか残念である。それでも、最近でも第三句までは賦物の字に配慮すべきだとの意見もある。
鎌倉時代までは、賦物が「山何」 だったら百韻の間じゅう「山」の字は使えなかった。それが初折表八句の間は使えないということに短縮され、今ではそのタブーすらなくなったということです。ただし編者は、第三までは配慮するべきだと考えていたようです。
発句と脇句で使った字
同字は五句嫌う決まりにはなっているが、発句と脇句で使用した漢字および物名に限っては、面八句ではたとえ五句を挟んだとしてもこれを使えない。
物名については第3回で触れましたが、要するに形式名詞以外の、実質のある名詞と思ってよいでしょう。発句と脇句で使用した漢字と名詞は、初折表では使えないということです。
面十句(おもてじゅっく)
一の懐紙の裏二句目までは、恋・述懐・名所などを詠んではならない。
初折裏の最初の二句目まで、つまり発句から十句の間の決まりについて語られています。この最初の十句を面十句と呼びます。これは連歌本式で初折表が十句だったことの名残りとされます。
恋・述懐・名所に限らず、神祇・釈教も面十句では嫌われたようです。面十句は「序・破・急」の構成で言えば「序」に当たるので、あまり激しい題材は扱わないほうがよろしいという考えでしょう。