2023-02-05

横井也有 荷風も認めた名文家(7) 『鶉衣』を読む①

 
1781年3月9日に名古屋・長栄寺で開催された「尚歯会」(詩歌人を集めた敬老会)。
赤矢印が也有(『尾張名所図会』第2巻、1844年刊行)

俳文集『鶉衣』を現代語訳する

永井荷風が横井也有の俳文集『鶉衣』を「日本文の模範」と呼んで絶賛していることをすでに書きましたが、この文集から数編を選び、今回から数回にわたって現代語訳して紹介していこうと思います。

『鶉衣』を現代語訳するというのは、実は神をも恐れぬ暴挙と言えます。也有の名文は原文で読んでこそその滋味が感じられるので、現代語で理屈っぽく訳してしまうと気韻が大幅に減じられてしまいます。しかし今日の普通の読者が也有を原文で読むというのはなかなか容易ではない。私自身、原文だけを読むと大意は理解できるものの、ところどころつまずいてしまって正確に細部を把握するのが困難です。

「鶉衣は原文で読め!」と頑固に言っていると、也有という宝物がほとんどの人の目に触れないままで終わってしまいます。まずは私のつたない現代語訳で読んでいただき、興味を引かれたら原文に当たってもらうのがいいのではないかと思います。

「猫を描いた」

ではさっそく訳していきます。まずは「猫を描いた」(原題「猫ノ自画賛」)を紹介しましょう。40歳ごろに書いた文章です。ところどころ区切って、私のコメントを入れていきます。

猫を描いた  福岡氏の求めに応じて

この小襖が白くて淋しいので、何か描いてくださいと頼まれたが、何を描いたらいいか思いつかない。だが辞退しても許されそうもない状況であることがわかったので、よしそれなら、この棚に鼠が出てこないまじないをしようと、こざかしいことであるが筆をとり描いたのだけれど、これは何であろうか。私は猫だと思って描いたのだが、上流階級の皆さまはどう言うだろうか。

福岡氏という知人から、襖に絵を描いてくれと言われた話です。也有は人に頼みごとをされると断れない性格だったようで、絵や書や文章を書いてくれとしょっちゅう頼まれては求めに応じています。

昔、巨勢の金岡が障子に描いた馬は、夜な夜な萩の絵が描かれた戸を食い荒らしたそうだ。あるいはどこかの名人が筆をとって、四条の川床の涼みや清水寺の花見などを派手な絵にした屏風や襖があったら、たくさんの人が毎晩絵から出てきて、食事の世話もしきれないであろう。私が描いた袋棚の戸襖の猫は、たとえ千年経って古びて汚れても怪猫が赤手拭いで踊を踊るようなこともできないであろう。まして魚を仕舞った棚をあさるようなこともしないから、持ち主にとっては安心だろう。朧月夜に恋猫となって浮かれたりしないのが欠点といえば欠点だ。下手な絵描きが虎を描くと必ず猫だなあと言って笑われるので、私が猫を描いたら虎に似てくるはずなのだが、杓子には小さく耳かきには大きいということわざどおり、どっちつかずになってしまったかもしれない。

巨勢金岡はやまと絵の始祖と言われる平安時代の絵師。彼が描いた馬が障子を抜け出したというエピソードは『古今著聞集』に出てくる話です。也有の俳文は古今の詩歌や文章を引用してちりばめるのが読ませどころ。「巨勢金岡」の話なんかが出てくると、也有ファンは「也有節、待ってました」とヤンヤと喝采です。ほかにも平家物語や徒然草からの引用が原文には埋め込んであるのですが、そのあたりは訳出困難。

こう言ってしまうと鼠対策にも役立たなそうだが、鼠にも白いのと黒いの、賢いのと愚かなのがいて、子日の白鼠は縁起がよいといって主人も憎まないだろうから、賢い鼠が見破って避けようとしないのもいいだろう。性根の悪い鼠のみこの絵でも怖れることだろう、なぜなら落武者は芒の穂すら人だと思いこむから、それと同様、あるいはそれ以上の効果はあるだろう。

いい鼠には効かないが悪い鼠には効くという、理屈にならない屁理屈(笑)。

そうであってみれば、「牡丹の睡猫」の画題のように夢の中で蝶々を驚かせるよりは、この棚に眠って、くだんの悪鼠を𠮟りつけるべしと、猫に教示の一句を示す。

  ゆだんすな鼠の名にも廿日草

「牡丹の睡猫」というのは日本画でよく描かれる画題で、牡丹のそばで猫が眠っている。猫は蝶のことを夢で見ているとされるので、猫のまわりには蝶が描かれます。

最後の句、「廿日草(はつかぐさ)」というのは牡丹の異名。「猫よ、廿日といえば牡丹だと思って油断して眠りこけるなよ、鼠にも廿日鼠というのがいるのだから」という意味です。

軽妙な叙述が楽しいエッセイでした。

「茄子の話」

次は「茄子の話」(原題「茄子説」)です。茄子は也有の好物で、「茄子」というタイトルの仮名詩も書いているほど。

茄子の話

桜は散り鳥は老い蝶は去って、豆腐も出回らなくなったころ、茄子というものが出てきて世の助けとなる。色は弁慶の顔もかくやというようなごついもので、へたには棘があるが、麒麟の角は先端に肉が付いていて他を害することがないというのと同じで、物を傷めることはない。

豆腐の旬は1月~2月だそうです。収穫した原料となる大豆を寝かせて乾燥させてから製造にとりかかるからだそうです。江戸時代には豆腐は秋・冬・春は出回るけれども夏は少なかったらしい。也有は豆腐も好きでしたが、それが無くなる夏に、茄子が出てくるのを喜んでいます。

同じ季節にいろいろな瓜の種類が競い出て負けじと肩を並べようとするが、茄子とは比べ物にならない。甜瓜(まくわうり)は仰々しく印鑑のような威勢で鉢の中に威張っていて、進物台では網をかぶせて飾ったりするなどいかめしい感じだが、それはある一面しか賞翫されようがないのだ。まして姥瓜(うばうり)なぞは赤ら顔で、立ち居振る舞いが苦しくなるほど太っていて、中風にかかってどうなることかと心配される。胡瓜や白瓜は気弱に生まれついて、ふだん何か心配事があるのだろうか、色が悪く、さしこみの病気があるような顔つきもうっとうしい。これらはどれもご馳走の供には合いにくい。

さまざまな瓜類を比較した品評です。ウバウリはマクワウリの別名ですが、也有はとくに赤いマクワウリをそう呼んでいるらしい。
東海林さだおに「野菜株式会社」というエッセイがあって、野菜を社員に見立てて人事考課を行うというすごく笑える話でしたが(『
笑いのモツ煮込み』所収)、也有サンはそれを先取りしています。胡瓜好きの私としては也有の低評価が残念です。

ただ茄子だけは裏切らない。そもそもまだ小さい初なりの季節にかわいらしく吸い物椀に泳がせるのはとりわけ、大事な客のもてなしとなる。さらに旬の時期になれば、蓼酢味噌を加えた刺身、すりごまを用いた味噌煮込みのほか、澄まし汁は涼しく、雑炊は温かいのである。鴫焼と言われる焼き茄子は、動物の名がついているが、清らかな僧も忌みはしない。漬物となれば朝顔のお株を奪う色を見せる。

初なりの小茄子の吸い物、いいですねえ。茄子好きの人にとっては読んでいるだけで唾がたまりそうな描写です。

食わせない用途があるのは、どんな意地悪な風流人が考えたのだろう。七夕の台に飾られてのち、盂蘭盆の迎えに選ばれて、夕顔は馬、茄子は牛と見立てられるのは少々本意ではないかもしれん。
その頃から「秋茄子」と一字を加えられ、嫁に食わすなと言われるのがなぜかは知らない。

七夕に茄子や胡瓜を供えたり食べたりするのは、今でも行われるようですね。旧暦だと七夕とお盆が近いので、両方の風習は連続することになります。

花は虫歯の薬となり、茎は墨焼きにして便利に使われる。
ただ不幸なのは、薬として痔に押しこめられて身をけがすところで、その憂き目には哀れを催してしまう。それも韓信が恥をしのんでならず者の股をくぐったのと同様、立派なますらお心を持っているからであろうか。
茄子よどんどん生れ、偉大なるかな茄子、種茄子として軒下でぶらぶらすることがあっても、瓢箪の真似をして許由に捨てられたりするなよ!

知らなかったのですが、茄子を練り込んだ歯磨きって、今でもあるんですね。ただし歯磨きは花ではなくヘタの漬物を黒焼きにして作るとか。痔のほうもナスを使った民間薬があるようですが、これもヘタの黒焼きを使うそうです。昔は痔の人が多かったから、也有も黒焼きを使っていたのかもしれません。

韓信というのは漢の劉邦に仕えた古代中国の武将で、若いころならず者に「オレの股をくぐってみろ」と難癖をつけられた。彼は自分の将来を考えて、ぐっとこらえて相手の股をくぐったという有名な話です。

許由も中国の伝説時代の隠者で、山の中で何一つ財産無く暮らしていた。彼が水を手ですくって飲んでいるのを見た人が、器代わりにヒョウタンを呉れてやった。それを木の枝に掛けておいたら風に吹かれて鳴るのがうるさいので、捨ててしまって元どおり手ですくって水を飲んだという話。

たかが茄子の話に、韓信のますらお心だの許由の瓢箪だの、大げさな引用を使って笑わせるのが也有の得意な書きっぷりです。26歳ぐらいで作った文章ではないかと思われますが、すでに老巧を尽くしています。

終わりのほうはお下劣な話になってスミマセン。