穎原退蔵『連歌史Ⅰ』
1933年に穎原博士が京都大学で行った特殊講義「連歌史」に用いた講義ノートで
連歌研究の基礎を作り上げた名著である(『穎原退蔵著作集』第2巻所収)
今回扱うのは、「分別すべき物(個別に配慮すべきもの)」というタイトルの章です。内容は補完・追記であったり、これまでの繰り返しであったりといった感じで、いわば「補遺編」。この章は長いため、前後編に分けて説明します。
いろいろな決まりがあちらこちらバラバラに書き連ねられていてわかりにくいので、同類の条項を集めた上で説明します。
にせものの扱いについて
にせものの扱いについて 以下のとおり、にせものの扱いは一様ではない。今のところこういう扱いになっている。二つの要素が混合している場合は両方に嫌い、混合していない場合は片方は嫌わないとすべきか |
用語 | 扱い方 |
花の波、花の滝 | 〈植物〉と〈水辺〉の両方で打越を嫌う |
花の雲 | 〈植物〉と〈聳物〉の両方で打越を嫌う |
松風の雨、木の葉の雨 | 〈植物〉と〈降物〉の両方で打越を嫌う |
河音の雨 | 〈水辺〉と〈降物〉の両方で打越を嫌う |
月の雪、月の霜 | 〈光物〉と〈降物〉の両方で打越を嫌う ただし夏季を示す表現が入っている場合は降物とは見なさない |
桜戸 | 〈植物〉と〈居所〉の両方で打越を嫌う |
木葉衣 | 〈植物〉と〈衣裳〉の両方で打越を嫌う |
花の雪 | 〈植物〉に嫌い、〈降物〉に嫌わない |
涙の雨 | 〈降物〉に嫌わない |
浪の雪(冬季) | 〈水辺〉と〈降物〉の両方で打越を嫌う |
波の花 | 〈水辺〉に嫌い〈植物〉には嫌わない |
袖の露 | 〈恋〉と〈降物〉として扱うが、涙の心がない句については恋とすべきではないという意見あり |
泪の露 | 〈降物〉との打越を嫌う |
涙の時雨 | 冬季を示す表現がある場合は〈降物〉との打越を嫌う 一巻の中で冬の時雨が詠まれた後では「涙の時雨」と詠むのを避けるべきだろうか |
本当の波ではない波や本当の雨ではない雨など、いわゆる「にせもの」の扱いについての解説です。一部、にせものではないが二つの要素が混合しているものも混じっています。
「花の波」「花の滝」は花が激しく降るさまを波や滝にたとえたもの。
「花の雲」は桜が咲き連なるさまを雲にたとえたもの。
「松風の雨」は松林に風が吹き付けて立てる音を雨音にたとえたもの。
「木の葉の雨」は木の葉が落ちるさまを雨にたとえたもの。
「河音の雨」は川音を雨の音にたとえたもの。
「月の雪」「月の霜」は月光が白く照らすさまを雪や霜にたとえたもの。ただし夏季として詠まれている場合は、実際の雪や霜でないことは自明であるから、〈降物〉として扱う必要はないということでしょう。
「桜戸」は桜の木のほとりにある家のこと。
「木の葉の衣」とは仙人などが着る、木の葉や木の皮を編んで作った衣。
「花の雪」は花が散るさまを落花に見立てたもの。
「浪の雪」は波に雪が降りかかるさま。
「波の花」は波が泡立つ様子を花に見立てたもの。
体用の説の補完と、事物の分類の補完
次は「水辺体用の事」と題されていて、第6回で解説した体と用の話とダブっています。
もし「波」の句に「浦」の句を付けた場合は、その次の句では水、塩などを詠んではならない。芦、水鳥、舟、橋などを用いるのは構わない。同じ水辺でも別物だからである。
第6回の表を見ればわかるとおり、「波」は用、「浦」は体であるから、その次は水や塩のような用の語は使えない。「芦、水鳥、舟、橋」は体・用の外であるから使えるということです(第6回の表では橋について規定していませんでしたが、この表現からして、橋は水辺ではあるが体・用の外に分類されているようです)。
続いて、個別に事物の分類を詳述しています。黒字は私の注、茶色字は原文の注です。
カテゴリ | 用語 | 注釈 |
山類 | 山の関 | 第6回の表では山類の体に分類 |
泊瀬寺 | 山の関に準じて山類。類似するものは皆同様 |
鷲嶺 | 山類にはもとは嫌わなかったという意見もある |
富士、浅間、葛城 | 山類であり体・用の外とすべきである |
非山類 | 岩橋、薪、爪木、猿、滝津瀬、杣人、炭焼、雪山、蓬杣 | |
宇治河島 | 川の中の島はおおむね非山類 |
木曽路、鈴鹿路 | 小野や吉野の奥が山類ではないのに準じる |
室八島 | 山類とは嫌わない。水辺とも嫌わない |
松島 | 山類としては用いない。ただし、郡名以上でないものは山類あるいは水辺であると最近決められたという |
田蓑島、三島(摂州、伊豆) | |
恋山 | 句によっては名所とならない |
山がつ、山鳥 | 「山」字とは五句嫌う |
すそ野 | 山類と組み合わせなくても山裾の意味に用いる |
水辺 | 須磨、明石 | 上野岡は非水辺。類似するものは皆同様 |
杜若、菖蒲、芦、蓮、薦、閼伽結、懸樋、氷室、手洗水、都鳥、浦の関 | 第6回の表では氷室が用と規定され、杜若、菖蒲、芦、蓮、薦、閼伽結、懸樋、手洗水、都鳥が体・用の外となっていた 浦の関には言及がないが、山の関との対比で水辺の体か? |
清見寺 | 浦の関に準じて水辺。類似するものは皆同様 |
非水辺 | 難波、難波寺、志賀、篷屋(とまや)、霞網、小田返、布曝、硯水、涙川、月の氷、袖行水、たるひ、軒玉水、苗代、早苗、横川、鷺、菅 | |
居所 | 簾 | 用である 第6回の表では『連理秘抄』に基づき非居所としていた |
床、御座 | |
非居所 | 塩屋、宮居、寺、家を出、里神楽 | 「家を出」は釈教である |
都、御階、百敷、雲上、九重 | 非居所であり、非名所である |
植物 | 軒菖蒲、末松山、篠枕、稲筵、苔筵、蓬宿、葎宿、夕顔宿、草筵、草を苅る | |
鶴林 | 植物にはもとは嫌わなかったという意見もある |
非植物 | 草枕、柴戸、松門、杉窓、菅笠、篠庵、浮木、流木、妻木、柴取、木を伐る、しほり、芦鴨、あしたづ、竹宮 | 竹宮は名所である |
絵に描かれた草木 催馬楽のタイトルの草木 衣裳の色名としての草木 | 絵に描かれた草木や催馬楽のタイトルの草木は季節がある場合は季物となる 衣裳の色名はその名によっては季物となる |
夜分 | 水鶏、螢、蚊遣火、筵、枕、床(とこ)、又寝、神楽、夕闇、いさり | 水鶏は水辺でもある 床(ゆか)は昼である |
非夜分 | 浮寝の鳥、心の月、鶉の床、心のやみ、其暁、夢世、常灯、明はてて、明過て、朝ぼらけ、三日月の出、有明の入、鐘のかすむ | 心の月は釈教 |
たく火、夕月夜 | たく火はその影を言っても夜分とはならない |
非時分 | 宵、夜のふくる、露更て | |
衣裳 | 下紐、ひれ | |
非衣裳 | 帯、冠、沓、佐保姫の衣 | |
衣々(きぬぎぬ) | 衣とは打越を嫌うべきという意見あり |
木類 | 躑躅、卯花 | |
草類 | 藤 | |
神祇 | 東遊、求子、野宮 | |
非神祇 | 佐保姫、龍田姫、山姫 | 佐保姫は春、龍田姫は秋 |
非動物 | 神楽のタイトルとしての蛬(きりぎりす) | 秋季としては扱わず、神楽のほうを主として考える |
龍 | 獣類として用いられたこともあるが、別の種類であろう。孔子も「龍のことは私はわからない」と言っている |
旅 | 舟 | 海を行く船は旅だが、句体によっては旅とすべきではない |
名所 | 国の海 | 伊勢の海、のたぐい |
非名所 | 名神 | 天照神、日吉神、のたぐい |
泊瀬寺(長谷寺)が山の関に準じて山類、清見寺が浦の関に準じて水辺となっています。清見寺は静岡県の清見ケ関に置かれた寺だったので浦の関に準じるというのはわかりますが、奈良県の長谷寺ももともとは関所だったのでしょうか?
鷲嶺とは古代インドのマガダ国首都で、釈迦が説法した地。実際の山ではないので、天文十七年の宗巴注では山類とするのは間違いだとしています。
蓬杣(よもぎがそま)は蓬が生い茂って杣山のようになった場所。また、自分の家を謙遜して言う語。
木曽路、鈴鹿路、小野、吉野の奥は山類ではないとなっています。宗巴注によれば郡名以上の地名の場合には山類や水辺に扱わない。なぜなら郡以上の広さを持つ土地なら、山も海辺も複数あるから特定の山や海を指すことにならないということのようです。松島のほうは郡名ではないから、最近では山類として扱うべきという意見が出ていると記されていますね。
室八島は「室八島に立つ煙」という慣用的な言いかたがあって、具体的な地名として使われないので山類にはしていません。
田蓑島は大阪市佃あたりにかつてあったとされる島。三島は静岡県の三島市のほか、大阪府高槻市南西部の歌枕でもあります。
恋山(こひのやま)は「積る恋の思いを高い山にたとえた」ものなので非山類ですが、山形県の湯殿山を「恋山」とも呼ぶ場合があるとのことなので、その場合は山類。
須磨、明石は源氏物語に登場する重要な海辺の地名で、郡名ではありますが水辺としています。上野岡とは、明石入道が娘の明石の君を住まわせていた「岡辺の宿」のことを指すのではないかと思いますが、岡と言ってしまったらもう水辺にはならない。
難波、志賀は海・湖のほとりではあるけれども、郡名以上の地名であるし、古都としての印象が強いので水辺とはなりません。難波寺は四天王寺のこと。
涙川は涙がどっと流れること。水辺ではありませんが、伊勢に涙川という歌枕がありますのでその場合は水辺。
月の氷は澄んで氷のように見える月のこと。
簾は第6回の表では『連理秘抄』を参照して非居所にしておきましたが、こちらでは居所の用に分類されています。
鶴林とは釈迦が亡くなった場所のこと。
竹宮は多気宮。伊勢国多気にあった斎宮の宮殿のこと。
東遊(あずまあそび)は東国発祥の神事舞、求子はそこで歌われる歌曲の一つ。
四季の詞
次は春夏秋冬の季節ごとの用語です。今日の季寄せのような感じですが、すべての季語を網羅的に挙げているわけではなく、とくに迷いそうなものだけを取り上げて区分を示したものです。
四季の事物 |
季節 | 事物 | 注釈 |
春 | 遅桜、松花、荻焼原、氷のひま、荒玉年、あがためし、あらればしり、心の花、白尾鷹、継尾鷹、菜摘、水のぬるむ | |
鳥巣 | 水辺の巣は夏 鶴の巣は雑 |
雉子(きぎす)、きじ | 狩場の雉は冬 |
春日祭、南祭、須磨の御祓 | 春日祭は正式には春秋2回 南祭とは石清水の臨時祭 須磨の御祓は上巳の日に行う |
桜鯛、桜貝 | 名前にちなんで春とすべきという意見あり |
桜人、桜田 | 〈植物〉でもある |
夏 | 神祭、榊取、毛をかふる鷹、毛をかふる鳥、鳥屋鷹、平野祭、鶯(時鳥と結びつけて言った場合) | |
杜若、牡丹 | 杜若と牡丹は春の歌題とする場合があるが、実際の咲く様子から夏とする |
鮎 | 若鮎は春、さびあゆは秋 |
清水結ぶ | 単なる「清水」あるいは「水を結ぶ」は雑 |
若葉 | 春という説と夏という説の両方あり。花と結びついた場合は春とする。夏が必要な場合は夏とすべきという意見あり |
ねらひがり | 獣のことである |
秋 | 日晩(ひぐらし)、稲妻、鳩吹、楸、桐、裏枯、蔦、芭蕉、忍草、穂屋つくる、初鳥狩、鳥屋出、小鷹狩、萱、枯野の露、草枯に花残る、初嵐、露霜、露時雨、つかさめし、相撲、千鳥(雁と結びつけて言った場合)、夜寒、身にしむ、初塩、色鳥 | |
鶉衣 | 鶉衣は非動物 |
放生 | 〈神祇〉でもある |
星月夜 | 「月」という字と5句以上挟むこと |
秋去衣(あきさりごろも)、願糸 | 七夕の題材 |
鵙草茎(もずのくさぐき) | 鵙草茎は植物 |
扇を置 | 秋にするかどうかは句による |
冷 | 物によっては秋とすべきではないとする説もあるが、どうしても秋としたい場合に強いて用いた例がある |
紅葉の橋 | 天の川に架かる橋であるから〈植物〉とはしないが、句によっては〈植物〉との打越を嫌う |
思草 | 〈植物〉でもある |
忍摺 | 〈植物〉ではない |
冬 | 淡雪、泪の時雨、庭火、木葉衣、紅葉散て物をそむる、北祭、豊明節会、小忌衣、日蔭糸、年内立春 | 北祭は賀茂の臨時祭 豊明節会は夜分ではない 小忌衣と日蔭糸は神祇 |
雑 | 椿、柏、蓬、浅茅、忘草、蜻蛉(かげろふ)、鷗、鳰、鳰浮巣、野遊、詞(ことば)の花 | |
松緑 | 緑立、若みどりは春 |
志賀山越 | 春とする説があるが、近年では春とはしない |
あたたかなる | 「日が暖かい」のは春という意見あり |
かすむる(掠むる) | ことばのつながりによって霞への連想がある場合は〈聳物〉を嫌うべきであろうか。霞への暗示を含む場合は春季 |
須磨の長雨 | 夏ともされたが、理由が不明のため雑とする |
恋草 | 〈植物〉ではない |
頭雪、眉の霜 | 〈降物〉ではない |
今日の区分とはかなり異なるところがあります。
いろいろ注釈を加えたいところですが、数が多すぎてきりがありませんので今回は見送らせていただきます。
中で目を引くのは椿が「雑」とされている点です。これは明確に椿の花を詠まないと春にはならない、単なる樹木名の場合は雑ということではないかと思います。
補遺編、次回に続きます。