連歌新式には最後に「和漢篇」という一章が付属しています。和漢聯句の式目を定めたものです。和漢聯句とは和文の句と漢詩の句を混ぜて作る連歌です。のちに俳諧(連句)の式目は和漢篇からの影響を大きく受ける(服部土芳の『三冊子』にその指摘あり)ので、連句人にとってはこちらも重要です。読んでみましょう。
和漢聯句とは何か
聯句は中国で行われた形式で、複数の作者が漢詩を共同制作するものです。日本にも輸入されて、平安時代には聯句の会があり、藤原公任や藤原斉信などがこの詩形を試みていました。
やがて鎌倉時代になって、文永(1264~75)の頃から、日本語の句と漢文の詩を混ぜ合わせる和漢聯句が始まりました。日本語から始まる場合は和漢聯句、漢文から始まる場合は漢和聯句と称します。
和漢聯句については、能勢朝次先生の「聯句と連歌」(『能勢朝次著作集 第七巻』所収)にわかりやすい解説が収められていますので、それを参考にします。まずは実作品の例として、「後小松院御独吟和漢聯句」(1394年)を読んでみましょう。後小松天皇が一人で詠んだ百韻聯句で、これも能勢先生の著書からの引用です。
和漢聯句の場合、百韻なら百句、五十韻なら五十句で構成されるのですが、和と漢の比率が定まっているわけではなさそうです。全部読むのはたいへんなので、初折表のみにしておきましょう。
全体の構成ですが、まず「和」の部分は奇数番目に来た場合は長句(五七五)、偶数番目に来た場合は短句(七七)で詠むことになっています。「漢」のほうは、一行五字(五言)で詠み、偶数番目に来た場合には脚韻を踏む(赤字で韻を示しています)という形になっています。季の配置規則は連歌に準じているようです。
ちる雪の花にいとはぬ嵐哉
歳寒梅独芳
「この嵐、吹きすさぶ雪も落花だと思えば厭わしくはない」「寒い歳末になったが、 梅だけはかぐわしく咲いている」
北窓晨呵筆
南陌暁霑裳
「そんな寒い朝、北窓に向かい筆先を息で温める」「南の街路では明け方の露が人の裳裾を濡らしている」ここは対句になっています。
霧薄き外山の月に旅だちて
秋かぜ遠く分る草むら
「前句で裳裾を濡らしていたのは旅人なのであろう。うっすらと霧がかかる外山に月が残る暁に旅立つのだ」「旅人の眼前の草むらを、秋風が遠くまで吹き分けていく」
断続乱蛩響
去来飛鳥忙
「秋風の草むらではコオロギが断続的に乱れ鳴きする声が響く」「空では飛ぶ鳥が行ったり来たりして忙しい」ここも対句になっています。
和→漢、漢→和とつながるところでは、前句のムードを引き継ぐことを重視していますが、漢(奇数)→漢(偶数)の個所は対句技法を使って対比的に作っていますね。
和漢聯句とはこんなものだ、と理解していただいたところで、次回は和漢聯句の式目を見ていきます。