誹諧歌
前回は万葉集のユーモア歌を取り上げましたが、今回は古今和歌集(10世紀初めに編纂)巻第十九の「誹諧歌(ひかいか)」の章を読んでいきます。
「俳諧」と「誹諧」は同じなのか別物なのかというのは昔から議論があって、非常にややこしいのですが、ここでは区別せずに話を進めていきます。
この誹諧歌の章、いかにもユーモア狙いの歌もありますが、どこが笑えるのかよくわからない歌も多くあります。いったい誹諧歌とは何なのか、1100年頃にはにはよくわからなくなっていたようで、源俊頼が著した歌論書『俊頼髄脳』(1113年)には次のように書いてあります。
次に誹諧歌といへるものあり。これよく知れるものなし。又髄脳にも見えたることなし。古今についてたづぬれば、ざれごと歌といふなり。よく物いふ人の、ざれたはぶるゝが如し。
「誹諧歌についてよく知っている人はいない。奥義書の類にも見当たらない。古今集について見てみると、冗談の歌ということだ。口数の多い人がふざけて冗談を言うようなものだ」と言い、さらにこの後では「古今集の誹諧歌にはいかにもそれらしい歌があるものの、そうでもなくてきちんとした表現の歌も混じっている。何か人に知られぬ理由があるのだろうか」といぶかしがっているのです。
誹諧歌の章には公的な場所で詠まれた歌も入っていたりして、猥雑な歌を集めたわけでもないようなのですが、今日はどこが冗談なのかはっきりしている歌を読んでみましょう。
(1) ダジャレの歌
梅の花見にこそ来つれうぐひすのひとくひとくと厭ひしもをる
よみ人知らず
今ではうぐいすは「ホーホケキョ」と鳴くことになっていますが、この歌では「ひとくひとく」と鳴くことになっている。これに「人来る人来る」をひっかけて、「梅の花見に来たのだが、うぐいすめ、人が来る人が来ると言って嫌がっている」という歌です。
山吹の花色衣ぬしやたれ問へど答へずくちなしにして 素性法師
「山吹色の衣、持ち主は誰かと尋ねたけれども答えはない。くちなしの実で染めた衣だったから」というのです。 今でも、「ああ、くちなしの花が咲いている」などと言おうものなら「死人に口無し」とダジャレを言いたがる人がいるものですが、まあ同じレベルの発想ですね。
ねぎ事をさのみ聞きけん社こそ果(はて)はなげきの森となるらめ 讃岐
「(大隅国にはなげきの森という神社があると言うが)人々の願い事をたくさん聞く神社では、嘆きが木になって森をなしていることでしょう」。 「嘆き」を「投げ木」(焚きつけに使う木)にひっかけて、嘆きが森になるとシャレを言っているわけです。
(2)本来上品なことを俗っぽく言う歌
七月六日、たなばたの心を、よみける
いつしかとまたぐ心を脛にあげて天の河原を今日やわたらむ 藤原兼輔
「明日は七夕という日、彦星は早く逢いたいと心がはやり、裾をたくしあげて今日にも天の河原を渡ろうとするのだろうか」ということで、本来みやびな七夕の物語を俗っぽく実況中継風に言ってみせた歌。たくしあげすぎて変なモノまで見えたりしませんように、というような感じでしょうか。
(3)おおげさなことや突飛なことを言う歌
世の中の憂きたびごとに身を投げば深き谷こそ浅くなりなめ よみ人知らず
「世の中がつらいと思うごとに人が身投げをしていたら、遺体が積もって深い谷も浅くなることだろう」と大げさなことを言って面白がっています。
もろこしの吉野の山にこもるともをくれむと思ふ我ならなくに 左大臣
「もしあなたが、中国の吉野山に籠ってしまったとしても、後に残っていようと思う私ではないのに(どこまでもついていく)」。中国に吉野山があるわけはないのですが、そういう奇抜なことを考えてみせたという歌です。今風に言うなら、「もしあなたがニューヨークの比叡山に籠ったとしても」といった感じ。
(4)小理屈をもてあそぶ歌
思へども思はずとのみいふなればいなや思はじ思ふかひなし よみ人知らず
我を思ふ人を思はぬむくいにやわが思ふ人の我を思はぬ
あまり語釈をしても意味がない歌だと思いますので解釈はしませんが、要するに「思ひ」ということをいろいろに言いなしてことば遊びを試みたものでしょう。
巻第十「物名」の歌
古今集でも物名歌はさかんに詠まれていますが、それらは巻第十の「物名(もののな)」に集められています。
薔薇(さうび)
我はけさ初(うひ)にぞ見つる花のいろをあだなる物といふべかりけり 貫之
「薔薇」という題に対して、「さうひ」と詠みこみをしています。万葉集の時代は単純に物の名を入れるという詠み方だったの対して、古今集ではこのように文節をまたがって物名を嵌めこんでいて、手がこんでいます。
百和香(はくわかう)
花ごとに飽かず散らしし風なればいくそばくわが憂しとかは思ふ よみ人知らず
「百和香」というのは香の一種なのですが、その音を「ばくわが憂」と無理矢理入れてみせた歌。歌の技巧がずいぶんアクロバティックになっていますね。
中国の誹諧と日本の誹諧
前々回のブログで、中国における「滑稽」「俳諧(誹諧)」の語には日本人が「滑稽」「俳味」というようなことばから連想するような、「だじゃれ」「飄逸」「下ネタなどのエログロ」といったニュアンスは見られないということを書きましたが、古今集を見るとやはり日本の誹諧にはことば遊びの面が強く、中国のものとはかなり違う感じがします。ということは、誹諧歌というのは中国から輸入されたアイデアではなく、もともと日本には独自のユーモア歌があったのだと考えたほうが自然でしょう。紀貫之はそういう歌を集めた上で、彼には十分な漢籍の素養があったので、中国古典の「誹諧」という語を借用して章題に使ったのではないかと思います。
だじゃれとか語呂合わせの文学というのは、世界のいろいろな国・民族で見られるものですが、とりわけ日本では昔から今日までことば遊びが多用されてきています。私見ですが、これは日本語には同音異義語が多くしゃれが言いやすいということが影響しているのではないでしょうか。
だじゃれを軽蔑する人もいますが、しゃれ、語呂合わせには、詩的連想をことばの意味だけではなく音のつながりでもひろげていくという効能があるので、ある意味たいへん有力な表現手段だと思います。詩歌の創作にたずさわる人はダジャレに関心を持つべし、というのが私の考えです。