2022-05-06

はじめに

おがたまの花

子規・虚子が切り捨てたもの

江戸時代までの俳諧を読むブログを始めます。

俳句をつくる人は、20歳代、30歳代のうちは近現代の俳句を勉強しておけばよいけれども、40歳を過ぎたら江戸時代以前の俳諧を読むように努力したほうがいい。

明治以降の俳句は、正岡子規と高濱虚子がその基礎を作ったのですが、2人はもともと俳諧がもっていたさまざまな要素を整理して、近代人の生活や思考に合うように形式の性質を変えてきたと言えます。今日われわれが比較的容易に俳句に親しむことができているのは、2人が俳句をわかりやすく近代化させた功績によるところが大きいでしょう。

しかしその近代主義的な改革の中で、江戸時代の俳諧が持っていた教養性、誇張、感覚表現の多様性などが切り捨てられ、難解なものは遠ざけられ、結果として俳句の表現範囲が制限されてきたことも否定できません。

現在の俳壇で流行している俳句の多くは子規・虚子路線の延長線上にあると言えるのですが、それらを読んでいると多くがマンネリ化してきていると感じられます。もちろん、この2人が設計した近代俳句の価値を否定するつもりはありませんし、それらの俳句から学ぶべきものは実に多い。しかし、次の一歩を踏み出すためには、子規・虚子が切り捨てたものをもう一度見直してみる必要がある。そのためには江戸俳諧に着目することが大事なのです。

俳諧の勉強はタイヘン

では、俳諧の歴史を勉強するぞ~、と山崎宗鑑、荒木田守武、貞門俳諧、談林...と読んでいくと、だいたい蕉門(芭蕉の一門)を通過したぐらいのところで挫折しちゃう人が多い。

というのは、昔も今も同じですが俳句というのはとにかく人数が多い。そのため俳諧史というと人の名前がたくさん出てくる。するとだんだん分厚い電話帳を読まされているような感じになってきて、いったいどの俳人が何者でどんな俳諧を作っていたのか、さっぱり頭に入らなくなってしまうのですね。

そこでこのブログでも、時系列でしらみつぶしに歴史を見ていくのではなく、気の向くままに自分が興味を持った俳人を拾い読みしていきます。時代は飛んだり戻ったりすることになるでしょう。どこまでの頻度で更新できるかわかりませんが、よろしければお付き合いください。

私は俳文学者でもなければ古典文学に詳しくもありません。自分の勉強のためにこのブログを書いてみようと思っていますので、内容には誤りも多いと思います。その点は自覚していますので、間違いがあったとしても、罵倒したり馬鹿にしたりといったことはなにとぞゴカンベンを。