2025-05-03

連歌のルール(5)~本歌取について

二条良基像

本歌取のルール

本歌取(ほんかどり)とは何か、皆さんご存知でしょう。和歌や連歌で、別の作品を下敷きにして新しい歌を作り直すことです。百人一首の歌で、本歌取の技法を使っているものを2つ紹介しましょう。

絶え果てば絶え果てぬべし玉の緒に君ならむとは思ひかけきや 和泉式部

玉のをよ絶えなばたえねながらへば忍ぶる事のよわりもぞする 式子内親王

 

さむしろに衣かたしきこよひもや我を待つらむ宇治の橋姫   よみ人知らず

きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかもねん 藤原良経

いずれも上が本歌、下がそれを踏まえた歌です。

本歌取を連歌ではどのようにやればいいかというのが、今回のテーマです。連歌新式の規定を読んでみましょう。

本歌について

本歌取は、同じ本歌から三句連続でことばを採ってはならない。(歌だけではなく、物語や故事を踏まえる場合も同様である)

ただし逃げ歌があればこの禁則を適用しない。

本歌は新古今集以後の歌人の作をとるべきではない。本歌は堀河院百首までの作者のものをとるべきである。(だが続後撰集までの作者はとってもよいとのルールも定められた)

ただし近代の作者の歌でも、證歌になら使ってもよい。 

たとえ近代の和歌集に収録された歌であっても、堀河院百首の時代までの歌人のものであれば、本歌にとってよい。

広く歌人たちが知らないような歌は、本歌にとるべきではない。(證歌になら場合によっては引用してもよい)

二条良基公が書き残されたことによれば、源氏物語は大部の書であるから、いったん引用したら三句連続すべきだ、ただし同じ個所からの引用は二句続きまでにとどめるべしという。(このような説があるとは言え、望ましい考えだとは思われない。故事を本歌として用いることについては、よくよく慎重に考えるべきである。まして源氏物語の場合はなおさらである) 

「本歌取は、同じ本歌から三句連続でことばを採ってはならない」という書き出しですが、まず二句連続で採るのはどういう場合でしょうか。山田孝雄博士の『連歌概説』には次のような例が挙がっています。

 うぐひすのねも氷とけけり
雪のうちもいづる日かげはのどかにて

この二句は、次の歌を引用しているというのです。

雪の内に春はきにけりうぐひすこほれる涙今やとくらむ 二条のきさき

前句も付句も、両方とも同一の元歌からことばを引用している。これが二句連続の場合です。しかし三句連続で同じ歌から採ってはいけないという。

ところが逃げ歌があればその禁は適用されない。この「逃げ歌」とは何でしょうか。これは、「おまえ、それは同じ本歌から3連続で採っているぞ」と言われた場合に、「いやいや、そちらではなく別の歌から本歌取してるんですよ」と言い逃れできる別歌があるということなのです。

岩波書店の『連歌論集 俳論集』(日本古典文學大系 66、1961)で、木藤才蔵先生が次のような例を挙げておられます。(元の出典は1600年頃に制作された『連歌新式抜書』)

 月にこゝろやひかれゆくらん
あしなみもなづめる駒の秋の夜に
 岩ふみたどるあふ坂のやま

これらの句は

あふ坂の関の清水にかげみえて今や引らんもち月の駒 紀貫之

からの本歌取。三句目について、3句連続して同じ歌から採ってしまってるじゃないかと、論難を受けた。すると三句目の作者は、いやいや私の句は

あふ坂の関の岩かどふみならし山たち出るきりはらの駒 大弐高遠

からの本歌取だから、同一句からの3連続引用ではありませんよと言い逃れた。これが逃げ歌ということです。たしかに大弐高遠の歌には(一句目のような)月が詠まれていませんから、こちらを基準にすれば3連続にはならないということですね。

「近代」はいつごろから始まった?

次が面白いところで、本歌として認められるような、古典として価値が定まった歌はどの時代のものまでかという論議です。二条良基は堀河院百首までである、新古今集以降は近代和歌だから本歌にしてはダメだという。これに対して肖柏は、続後撰集までの時代は古典として認めるというようにルールが拡大されてきているという。

これらの和歌集が何年に編纂されたかを並べてみましょう。

堀河院百首(1105年ごろ)
新古今和歌集(1210年)
続後撰集(1251年)

それぞれの年代が何を意味するかですが、堀河天皇は賢帝という評判が高かった人で、このころまでが摂関政治が落ち着いて機能していた時代なのです。次の鳥羽天皇以降、徐々に武士の力が強まり、やがて保元・平治の乱へと突入していきます。堀河天皇は和歌への造詣も深かった人で、だから『堀河院百首』は古き良き時代を象徴する和歌集であるわけです。

新古今和歌集は源平合戦(1180~1185)から承久の乱(1221)へと移行する時代に編まれましたが、これ以降完全に武士が権力を握る社会になります。天皇を中心とした貴族社会の構造が壊れてしまった。新古今の編纂にかかわったのは承久の乱の当事者である後鳥羽上皇でした。また和歌の世界では、藤原俊成・定家の親子が改革を推し進めた時期でもありました。だから二条良基から見れば、新古今以後の世界は「近代」であり、古典としての評価が定まっていない作品世界であるとされたのでしょう。

牡丹花肖柏は二条良基よりも123歳年下です。一世紀以上経って、もう少し後の歌人まで古典として認められるようになっていると、彼は言っています。彼が挙げる続後撰集が編まれた1251年はどういう年だったか。蒙古の最初の襲来である文永の役は1274年であり、これ以後社会は再び不安定化し、やがて南北朝時代が到来します。だから肖柏にとっては蒙古襲来以降というのが「近代」として認識されていたのではないでしょうか。

本歌と證歌の違い

続いて式目には「ただし近代の作者の歌でも、證歌になら使ってもよい」とあります。「本歌」と「證歌」はどこが違うかですが、本歌取は本歌の作意をくみとって、それを変奏しようという試みです。しかし證歌は一句の仕立て・ことばづかい・固有名詞などを真似しただけで、本歌の作意まで応用しようとは思っていない場合を言います。「そんな表現、聞いたことがないぞ」と論難された場合、「いやいやこういう先例がありますよ」と証拠に使う、その程度のものが證歌であるということです。

実際には、どこまでが本歌でどこからが證歌かという境界は微妙ですけれどね。

次の「たとえ近代の和歌集に収録された歌であっても、堀河院百首の時代までの歌人のものであれば、本歌にとってよい」という部分ですが、これは古典と近代の区分は作者ごとに決まるのであって、所収する和歌集ごとに決まるわけではないということです。たとえば新古今和歌集には紫式部(970年頃~1020年頃)の歌が14首収録されていますが、彼女は古典時代の作者です。二条良基から見れば新古今自体は近代の和歌集であるとしても、そこに収録された紫式部の歌を本歌としても問題ないということ。

さらに次の「広く歌人たちが知らないような歌は、本歌にとるべきではない。(證歌になら場合によっては引用してもよい)」という個所は説明不要でしょう。

源氏物語好きの連歌師たち

二条良基は行阿(ぎょうあ、俗名は源知行)という学者に就いて源氏物語の奥義を学んでいました。だから猛烈な源氏物語ファン。式目には「二条良基公が書き残されたことによれば、源氏物語は大部の書であるから、いったん引用したら三句連続すべきだ、ただし同じ個所からの引用は二句続きまでにとどめるべし」と、良基が源氏から引用を採ることを勧めた話が引かれています。

山田孝雄が次のような実例を挙げています。「大原野十花千句 第一」からの抜粋です。これは1571年に、細川藤孝(幽斎)が里村紹巴らの参加を得て主催した大連歌会の作。

 忍ぶとするも見しがあやしき  三条西実澄
誰となき契の末を求ばや     里村昌叱    
 すつる身さぞな蓬生の奥    飛鳥井雅敦

最初の二句は、「人目を避けて暮らしているのをちらりと見てしまったが、なんとも不思議なことだ」「どの女性と自分は結ばれることになるのだろう、その結末を知りたい」ということになりますが、これは源氏物語の「若紫」の巻で、光源氏が紫の上をのぞき見して心惹かれ、誘拐してしまうエピソードを踏まえています。

後半の二句をとると、「誰と結んだとも言えない曖昧な約束の行く末はどうなるのでしょう」「世を捨てた身はさぞかし草深い土地の奥に埋もれてしまうことでしょう」となります。こちらは「蓬生」の巻の引用で、末摘花という女性が源氏に愛されず、荒れ果てた邸に住み暮らしているさまを描きました。

このように3句連続で源氏を本歌にしつつも、同じ巻からは2句しかとらないという、二条良基の指針どおりのはこびになっています。良基は源氏物語から連歌に使えそうな表現を片っ端から抜き書きした労作、『光源氏一部連歌寄合』を残しています。

一条兼良もまた源氏物語についての著作をいくつも残した大学者でした。彼が作った寄合書(連歌の付の例を示したアンチョコ)『連珠合璧集』には、源氏からの引用がぎっしり詰まっていますが、彼も源氏の内容を連歌に盛り込むのに熱心でした。

それらに対して牡丹花肖柏は「ほどほどに」という気持を抱いていたようで、「このような説があるとは言え、望ましい考えだとは思われない。故事を本歌として用いることについては、よくよく慎重に考えるべきである。まして源氏物語の場合はなおさらである」と注をしています。

実際、良基が加わった連歌を見ても、3句連続で源氏から引用しているケースはあまり見当たらないようです。良基笛を吹けど連衆は踊らず、といったところでしょうか。

2025-05-01

連歌のルール(4)~輪廻と遠輪廻

 
福井久蔵『連歌の道』(大東出版社、1941)より、輪廻・遠輪廻の解説

打越を避けるためのテクニック

「連歌新式」の読解、今回は「輪廻」と「遠輪廻」についてのルールです。このシリーズの第2回において、付句は前々句と違う世界を描かなければならないということを説明しましたが、それについて具体例による解説がされています。

輪廻について

「薫(たく)」ということを詠んだ句の次に「こがる」ということを付けた場合、その次では「紅葉」を詠んではならない。「舟」を詠んで付けるべきである。「こがる」には「焦がる」「漕がる」の二通りの表記があるためである。

「煙」を詠んだ句の次に「里」を付けた場合、さらにその次で「柴焼」など薪に関連する語を詠んではならない。「夕立」に「雲」を付けた場合、打越で「雷」などを詠んではならない。「雪」に「富士」を付けた場合、打越で「氷室」などと詠んではならない。

最近のルールでは、「夢」の句に「面影」と付けた場合、次では「月」「花」を詠んではならないとされている。「夢」「月」「花」などは「面影もの」として同じ範疇の語とされるようになったからである。かつてはそうした決まりはなく、避けられてはいなかったのだが。

最初の段落は、同音異義語を使って付句を展開するテクニックについて語っています。「薫物(たきもの)」に対して「焦がる」は同じグループに属する語である(香は燃やすものであるから)。一方「焦がる」と「紅葉」も同じグループである(紅葉は「燃えるような」と例えられるから、両者は縁語になる)。だから薫~焦がる~紅葉と続けるのは狭い連想の中をぐるぐる回ってしまうのでよろしくない。このように狭い連想の中で循環してしまうことを「輪廻」と呼びます。仏教で、いつまでも解脱できずに生死の循環を繰り返すことを「輪廻」と呼ぶのにひっかけた用語です。

ところが「こがる」には「漕がる」という同音異義語がある。そちらに転じて、意味を読み替えて「舟を漕ぐ」ことにしてしまうという技があるというのです。

実作品の例を見てみましょう。「看聞日記紙背 何人」と呼ばれる、1425年6月の連歌より、名残表の12~14句目です。

 蘆間(あしま)をわくる船のほかくれ  梵祐
うき思(おもひ)こがるる胸のよしなきに 長資
 これもかたみにのこるたき物      慶寿丸

最初の二句は、「蘆の間を進む船の帆に隠れて」「漕いでゆきながら恋の物思いに胸は狂おしくどうにもしかたない」という意味になりますが、後の二句は「恋の思いに胸が焦げるさまはどうにもしかたない」「私の袖に残るあなたが焚いた薫物の香りを形見と思うからです」となります。「漕がるる」を「焦がるる」に読み替えた、上とは反対の例です。

式目の次の部分はわかりやすいでしょう。

「煙」→「里」→「柴焼」
「夕立」→「雲」→「雷」
「雪」→「富士」→「氷室」

というような 狭い範囲の用語でぐるぐる回してはいけないということ。

その後の、「最近のルールでは、『夢などは面影ものとして同じ範疇の語とされるようになった」というのは二条良基の応安新式や一条兼良の連歌新式今案には見られない条項で、牡丹花肖柏が付け加えた一文です。15世紀半ばまではそんなルールはなかったものが、16世紀ぐらいから採用されるようになったのでしょう。ことばのグルーピングというものが時代によって変わることがよくわかる話です。

同じパターンの再利用はダメ

遠輪廻について

たとえば花の句に対して、次に「風」とか「霞」などと付けた場合、これと同じ付を再度やってはならない。打越に限らず、数句を隔てた場合でも許されないし、一座の中でも繰り返してはならない。

花に「風」や「霞」を付けるという場合が問題にされるケースは最近あまり見ないが、やはり新式の決まりは守るべきだろうか。

また、「竹」の句に「世」を付けたら、それ以降では竹に「夜」を付けてはいけない。

これらが遠輪廻に関する規則である。 

この条は打越ではなく、連続する2句についての決まりです。

なぜ「花」に対する付が例に挙がったかというと、百韻の連歌だと花を4回詠まなければならない。そうすると付に同じパターンを繰り返してしまう失敗が多かったから、とくに注意したのではないかと思います。

もちろん、花の句に限らず、同じパターンの付というのは一座(=一巻)の中で2回使ってはいけない。同じ付を繰り返してしまうことを遠輪廻と呼ぶ。

「花に『風を付けるという場合が問題にされるケースは最近あまり見ない」以降の部分は応安新式にはなく、一条兼良が連歌新式今案で追加した部分です。

の句にを付けたら、それ以降では竹にを付けてはいけない」というのは、竹の節のことを「よ」と呼ぶんですね。節が一つしかない尺八のことを「一節切(ひとよぎり)」なんて称したりします。それで、掛詞(かけことば)を連想に使って、「竹」の句に「世」の句を付けるということをやる。そうなると、「竹」に「夜」を付けるというのは同じ手口になってしまうので、これはもうやってはいけないということになるのです。

竹→(節)→世(よ)
竹→(節)→夜(よ)

という発想は同パターンの遠輪廻と見なされるということです。

2025-04-26

連歌のルール(3)~句留めについて

 
金子金治郎編『連歌研究の展開』(勉誠社、1985)

韻字って何だ!?

さて、今回から「連歌新式追加並新式今案等」の本文を読んでいきます(以下「連歌新式」)。茶色で書いた部分が、私の現代語訳ですが、逐語訳ではなく、わかりやすいように翻案してあります。

最初の項目は「韻字事」と題されているのですが、ここからして非常に難解です。多くの学者の方々もこの項目の説明を避けているほどです。さいわい、本規則については金子金治郎先生が「連歌韻字考」(『連歌研究の展開』勉誠社、1985)という論考を発表されているので、参考にします。

句留め(韻字)について

名詞(物名)留と用言(詞字)が打越になるのは問題ない。名詞と名詞が打越になるのは避けなければならない。

「つつ」「けり」「かな」「らん」「して」 のようなめは、同じ語を打越で使ってはならない。

最近は「かな」は発句以外では使わないことになっている。ただし願望を意味する「もがな」だけは使ってもよいが、その場合にも同じ懐紙で使うのは避けること。

(注)物名には「朝」「夕」のような語も含まれる。
(注)名詞同士であっても、「時雨」と「夕暮」というような場合は最近では嫌わない。 

タイトルの「韻字」ですが、この場合は音韻のことを述べているのではありません。一句をどういう語(品詞)で留めるかについて述べているのです。

A句、B句、C句...というように付いていく場合、A句が名詞留だったらC句は名詞留にしてはならない。用言留なら構わないとしています。

またA句が「らん」で終止する場合は、C句は「らん」留にしてはならない。

ということですが、実際はもっとややこしい。まず「物名」を「名詞」、「詞字」を「用言」と訳しましたが、果たして物名=名詞なのか、詞字=用言と限定してよいのかが問題です。

詞字」は用言だけではなく、助詞や助動詞もそこに含めているのです。つまり物名以外はおおよそ詞字」というわけです。

「『つつ』『けり』かな』『らん』『して』 のようなめ」というのも、詞字に含まれる、ただし、これら助詞・助動詞の一部は、テニハ(てにをは)としてとくに意識する。

何をテニハ留と考えるかについては、他の文献に次のような言及があります。これらのテニハも打越で使うことを忌避されていたかもしれません。(名詞でもテニハとされているものもある)

  • 「ぬ」の用法はよくよく考えるべきである(順徳院『八雲御抄』)
  • 「に」留の句の次の句を「て」留にしてはならない(二条良基『僻連抄』)
  • テニハ留には「よ」「つつ」「ず」「ば」「らめ」「かた(夕つかた)」「き」「つる」「つ」「かな」「かは」「せん」「そ」「も」などがある(二条良基『撃蒙抄』)
  • 「ころ」「ほど」というテニハは重要である(伝宗祇『連歌秘伝抄』)

テニハ留については、後年いくつかの連歌論で問題とされていますが、式目の解説としてはここまでにしておきます。

本文の「最近はかな留は発句以外では使わないことになっている」という部分は、鎌倉時代には平句(=発句以外の句)でも「かな」を使っていたけれどもいまどきはやらないよ、ということでしょう。また、古文では濁音を表記しないので「もがな」は「もかな」と書かれていましたが、この「かな」は許容されると言っています。

実例によって句留めを見てみよう

実際の連歌を例にとって、句の留めがどのように推移しているかを見てみましょう。「至徳二年石山百韻」(1385)という石山寺で張行された作品で、これも二条良基が参加しているものです。最初の10句(初裏2句目)まで並べてみます。

初表 月は山風ぞしぐれににほの海     良基公
    さざ波さむき夜こそふけぬれ    石山座主坊
   松一木あらぬ落葉に色かへで     周阿
    花のすぎてものこる秋草      通郷
   露ながら野や初霜になりぬらん    師綱
    きぬたのおとは遠里もなし     季伊朝臣
   柴の庵あれたる庭に鹿鳴きて     千若丸
    刈田の後の山ぞさびしき      右大弁三位
初裏 すててわがこころとや身をわするらん 任阿
    猶さめがたき夢のよの中      忠頼朝臣
 
発句は「にほの海」(琵琶湖)なので物名留。
脇の「ふけぬれ」は詞字留。
第三、「変へで」で詞字留。
四句目、「秋草」は物名。
五句目、「らん」は特殊な詞字留。
六句目、「なし」は詞字留。
七句目、「鳴きて」は詞字
八句目、「さびしき」は詞字留。
初裏一句目、「らん」は特殊な詞字留。五句目に「らん」が出ていましたが間に三句はさまっていて、打越ではないからセーフ。
初裏二句目、「よの中」は物名留。

以上の並びから見て、やはり名詞留(物名留)が打越に来ることはありません。

詞字留のほうは、特定のテニハ留を除けば打越になっても問題なしとされています。

ところが金子金治郎によると、名詞留が打越で出る事例はひんぱんに見られるというのです。たとえば飯尾宗祇らによる有名な『水無瀬三吟』(1488)でも、名詞留が打越に来ている例が12例もあるといいます。その二表の一部を引用します。

 それも友なるゆふぐれの空     宗祇
雲にけふ花散りはつる嶺こえて    宗長
 きけばいまはの春のかりがね    肖柏
おぼろげの月かは人もまてしばし   宗祇
 かりねの露の秋のあけぼの     宗長
すゑ野なる里ははるかに霧たちて   肖柏
 ふきくる風は衣うつこゑ      宗祇
さゆる日も身は袖うすき暮ごとに   宗長
 たのむもはかなつま木とる山    肖柏   

「空」「かりがね」「あけぼの」「こゑ」「山」と、打越の名詞留が4連発で発生しているのです。

名詞留の打越についての禁則は事実上有名無実化していたと言わざるをえません。ただし、金子はこうした禁則破りが、一の折では少なく、二の折以降に多いことを指摘しています。このことは、少なくとも一の折では韻字の禁則を守ろうという意識が連歌師たちにあったように思われるというのです。

これは感覚的によくわかる話です。われわれが連句を巻くときには、最初は句末の形が打越で同じにならないように気を配るのですが、後半になってくるとさまざまな制約が増えてくるので、配慮し切れずにだんだんグチャグチャになってくるのです。連歌師たちも同じだったのではないかなあと思います。

名詞留の打越を避けるのが理想ではある、ただし守り切ることが難しいので、厳密には問題視しないといったあたりが現実の落としどころだったのではないでしょうか。

物名と詞字の区分

韻字の式目に付された2つの注を見てみましょう。

物名にはのような語も含まれる」という注は、物名とは物体・物質や固有名詞だけではなく、「朝」「夕」のような概念語も含みますよ、という意味ではないかと思います。

どこまでを物名とするかは、当時の感覚は今とかなり違っていて、たとえば『連歌秘伝風聞躰』(日意[1444~1519]作?)では次のような語は詞の字になるとしています。

はるか・明がた・暮がた・おもふ中・つらき中・気色

名詞であってもどこか気持が入っているようなものは詞字だよ、と言っているような感じです。連歌新式の注で「朝」「夕」は物名であると言っているのは、「明がた・暮がたというのは詞字だが、朝・夕は物名だよ」と微妙な違いを示唆しているのかもしれません。

次の注、「名詞留同士であっても、時雨夕暮というような場合は最近では嫌わない」というのは、金子金治郎は、これらは「しぐれる」「夕ぐれる」というように動作を連想させるので物名から外してもよいということであろうとしています。名詞留の打越禁則が有名無実化しているならば、わざわざこうした特殊な例外を挙げるのも無意味ですが、いちおう物名と詞字の区分について見解を示したというところでしょう。

2025-04-24

連歌のルール(2)~百韻の構成、打越と去嫌とは何か

 
山田孝雄『連歌概説』(岩波書店、1937)

先日の連句の会「草門会」で、連句の先輩である山地春眠子さんから山田孝雄博士の『連句概説』を貸していただきました。連句を読解するための必読書と言われる名著で、小説家の石川淳も「連歌の方式を知るためには、山田孝雄氏の『連歌概説』を読むがよい」とお勧めしている一冊です。

今まで歯が立たなかった連歌の式目も、この本を命綱にしてようやく理解できるようになってきました。それがこのブログで式目の解説を書いてみようと思い立ったきっかけです。

式目を解読していくに先立って、連歌の常識と言うべき懐紙構成、および去嫌(さりぎらい)の考え方について説明しておきます。今回は予備知識の解説なので、式目の解説は次回からになります。連歌について十分わかっているよという方は読み飛ばしてもらって結構。

百韻の懐紙構成

連句(俳諧連歌)の場合は36句の「歌仙」が標準形式とされていますが、連歌では100句構成の「百韻」が標準とされています。以下の解説も、百韻を前提として叙述することにします。

連歌は紙を横長に折った懐紙に記入していきますが、百韻ではこれを4枚使います。最初の紙を初折(しょおり)、次は二の折、三の折と呼び、最後は名残の折(名残)と呼称します。

初折の表には8句、裏には14句、次が二表、二裏、三表、三裏、名残表と続きそれぞれ14句ずつ記入、名残裏は8句を記します。合計100句というわけです。初折表の8句をとくに「表八句」といい、その一句目を「発句」、二句目を「脇」と呼びます。

初折表、初折裏、二折表……と続く各パートが「面(おもて)」となります。百韻の場合は8・14・14・14・14・14・14・8という八面の構成になります。全体は途切れずに連続的に推移していきますが、折単位、あるいは面単位でのまとまりが意識される場合もあります。

100句の間に花を詠み、月を詠み、恋を詠んでいきます。また春・夏・秋・冬の季節を当てはめ、途中を雑(無季)の句でつないでいきます。

打越と去嫌とは何か

句を付けていくうえでいちばん重要なのは、同じ題材や表現を繰り返さないということです。その際にキーとなるのは、「打越を嫌う」という考え方。

連句でA句、B句、C句...というように付いていく場合、A句とB句はひとつの世界を作る必要がある。またB句とC句もひとつのまとまりを作る。ところがA句とC句は全然別のことを述べなければならない。AとCが似ていると、狭い表現領域をぐるぐる回ってしまうことになるからです。連歌は川の流れのように、とどまることなく進んでいかなければなりません。

後ろから見て、C句を付句、B句を前句、A句を打越と呼びます。C句においてA句と似た題材や表現を嫌うことを、「打越を嫌う」と言う。

とくに似かよった題材の場合には、二句前(打越)を嫌うだけではなく三句前(大打越)と近づくのも嫌いますし、場合によっては「同じ面で再使用してはいけない」「一巻の中で一回しか使ってはいけない」などという制約がある題材もあります。このような、繰り返しについての禁則ルールを「去嫌(さりぎらい)」と言い、連歌式目の大半は去嫌について具体的な例を示したものだと言えます。

実例で懐紙構成を確認

実際の連句に例をとって、百韻がどう構成されているかを確認してみましょう。以下に示すのは、「文和千句第一百韻」(1355)の連歌から、季節と事物区分を抜き取って進行表にしたものです。

初表初裏
11旅、人倫
22春花
3山類、水辺3
4秋月光物、夜分、山類4降物、山類
5光物、聳物5冬月光物、夜分、水辺
6降物、聳物6水辺
7降物、衣裳7水辺、鳥
8居所、衣裳8旅、人倫
9述懐、人倫
10述懐
11秋恋降物、衣裳
12秋恋夜分
13木、草
14水辺、草
二表二裏
1旅、水辺1釈教
2旅、聳物、山類2人倫
33衣裳、虫
44述懐、降物、衣裳
5春月神祇、光物、夜分、居所、衣裳5秋恋夜分
6春花木、人倫6秋月恋光物、夜分
77旅、水辺
88旅、山類
9述懐、降物9聳物
10雑恋10居所、人倫
11雑恋11述懐、人倫
12雑恋12述懐、降物
13夜分13夜分
14釈教、居所14人倫
三表三裏
1旅、山類1
2秋月光物、夜分2夜分
3光物3秋恋降物、人倫
44雑恋
5降物、草5水辺
66
7居所、木7神祇
8述懐、衣裳8雑月神祇
9雑恋夜分、人倫9神祇
10雑恋恋、鳥10山類
11旅、山類11述懐、居所
12山類12述懐、居所
13春花水辺、木13人倫
14光物、木14聳物、草
名残表
名残裏
11
2降物2述懐、人倫
33
4秋月光物、夜分、聳物4
5述懐5水辺
66釈教
77神祇、山類、水辺
8雑恋8神祇、木
9雑恋
10雑恋
11雑恋
12
13春花聳物、山類、木
14春月光物

この連歌は二条良基邸で張行(ちょうぎょう)されたもので、良基自身も加わっています。現存する連歌の中では比較的古い作品です。

「鳥、木、山類...」などと記したところは、それぞれの句で詠まれた事物を連歌の分類に沿って区分してみたものです。分類については別途説明しますので、今のところはこんなものかと思っていてください。

見ていってわかるのは、同じ事物を打越で詠むのが避けられているということです。二句続けて似た題材を詠むのはかまわないのですが、三句目はそこから離れなければなりません。一句おきに似た題材を詠むのもダメです。

ただし、三裏の7句目から9句目にかけて三句連続で神祇(神社や神に関することがら)が出てきていることに気づくでしょう。ここは例外規則があって、恋句は五句まで続けてよい、旅・神祇・釈教・述懐・山類・水辺・居所は三句まで続けてよいとされているのです。(詳しくは別の回に説明します)

月の句は、すべての面で詠む、ただし名残裏だけは詠まなくてもよいという規則になっています。上の例では8回詠まれていますね。気になるのは、三裏の8句目、「雑月」と書いておきましたが、これは「月読宮」という神社をテーマとしていて、実際の月を詠んだわけではありません。こういう場合は月を詠んだことにならないのですけれど、二条良基はどう考えていたでしょうか。

俳諧(連句)では月の座が決められていて、たとえば歌仙なら表5句目、裏8句目、名残表11句目が目安となっていますが、連歌ではそのような定座は決まっていません。それぞれの面で一回(以上)詠めばいいのです。

花の句は、すべての折で詠む。上の例では4回詠まれています。俳諧(連句)では花の座が決められていて、たとえば歌仙なら裏11句目、名残裏5句目と定まっているのですが、連歌では自由で、折のどこかで出せばよいのです。

さあ、連歌についての基礎常識については説明しましたので、次回からいよいよ「連歌新式追加並新式今案等」を読んでいきます。