2025-06-08

連歌のルール(14)~個別に配慮すべきもの(後半)


『能勢朝次著作集第7巻 連歌研究』
能勢先生の著作としては『連句芸術の性格』がとくに著名だが、
連歌についてもその起源を中国の聯句にさかのぼって重要な研究をされている

「分別すべき物(個別に配慮すべきもの)」の章の続きです。

次は去嫌についての規定の補完・追記です。つまり付句、打越等で使用してはいけない/かまわない語の組み合わせの事例です。

原文を読んでいて迷ってしまうところがあります。これらの規定では、「AにB、可嫌之(これを嫌うべし)」「不可嫌之(これを嫌うべからず)」というような書きかたがしばしばされています。これはAとBが

(a) 打越に来ることを問題にしているのか
(b) 付句として並ぶことを問題にしているのか
(c) 打越でも付句でも問題なのか

がよくわからないのです。はっきり区別が書いてある場合もありますが、書いていない場合が多い。常識的に考えれば、似たような題材が並ぶことが問題とされるでしょうから(c)と理解するのが適切でしょうが、私の理解に間違いがあるかもしれないとお断りしておきます。

三句の渡りについて

連歌の去嫌の規定は前句と付句、打越と付句というように2句間の規定なのですが、打越~前句~付句の3句間の関係について述べた部分がありますので、それをまず紹介します。こうした3句間の関係を俳諧(連句)のほうでは「三句の渡り」と呼んでいます。

三句の渡りについての禁制
禁制注釈
平秋に恋の秋を付けて、その次にまた平秋を付けてはいけない平秋とは恋句ではない秋の句のこと
「朽木」という句に「杣」を付けて、その次に杣の名所を付けてはならない
生田という句に「森」を付けて、その次に森の名所を付けてはいけない。隠し題でもだめである

最初の平秋/恋の秋についての項は、秋を詠む場面に入って、恋句がはじまったらその後は秋の間じゅう恋を詠みなさいという定めです。それなら春や夏や冬はどうなんだという疑問が出ます。ところがいろいろな連歌書を見ても「平春」「平夏」等についての言及がほとんどないのです。

連載の第2回では「文和千句第一百韻」(1355)の推移表を作って紹介しましたが、ここでも恋は秋か雑のいずれかで詠まれていて、春夏冬には見ることができません。他の連歌ではたとえば恋が夏季で詠まれている場合もありましたが少数でした。どうやら連歌では秋こそが「恋の季節」であるようです。

朽木と杣の項ですが、杣の名所とは良材が採れる林業の名所ということ。実は滋賀県高島市に「朽木(くつき)」という地名(歌枕)があって、それ自体杣の名所であるわけです。

生田は現在の神戸市三宮生田神社の付近。「生田の森」は名所とされてきました。「隠し題」とは同音異義を使って別の語として詠むことで、たとえば「なげきの森」という鹿児島県の名所を「投げ木」と表現するようなケースです。そのような用い方もダメということ。

打越/付句の去嫌

去嫌については第11回で解説していますが、そこに漏れたものがここで追加されています。

打越を嫌うもの
用語嫌うもの、注釈
海士の小船の泊瀬山〈水辺〉
「海士の小船の」は「泊」の字を出すための枕詞だが、「舟」の連想によって〈水辺〉を嫌う
さかづきの光このように「月」と「光」を合わせたような表現は、月とは間に2句以上挟むこと
秋として扱う
国名国名
間に3句以上挟むこと
付句に嫌うもの
テニヲハ留めの句に対し、同じテニヲハで留まる句を付けてはいけない

テニヲハの用法については連歌の世界でいろいろ論じられているようですが、式目ではこのような記述になっています。

打越にも付句にも嫌わないもの
用語打越を嫌わないもの、注釈
日晩(ひぐらし)
時雨「時」の字
春日(名所)「春」「日」の字

こういう定めになっているとはいえ、打越にも付句にも嫌うべきである
槿(あさがほ)「朝」の字
ただしその理由については不明確という意見あり
稲妻月、日
「木」の字
真木柱、真木戸と「木」の字の間は5句以上挟むこと。良木であるからである
「川」の字
つれなき「無」の字
いさり
舟、海士など
夕ま暮「間」「真」の字
山の雫、軒の雫〈降物〉

嫌うとする考えもあるが、そのいわれははっきりしない。若年、壮年等の年代は順を追って移るものである。親と子、弓と矢を嫌うのとは異なるべきだろう
深き
遠き
浅き
近き
このように「き」で終わる対照語は多く、嫌おうとする傾向があるが、正しくない。打越だけではなく付句でも嫌わない
「何」の字「幾」の字
付句では嫌う。打越では嫌わない
さ夜、さを鹿小船、小篠などの「小」の字
付句では嫌う。打越では嫌わない

付句では嫌わない
民のかまど〈居所〉
夜の明る戸をあくる
付句には嫌う

「打越にも付句にも嫌わないもの」という表題にしましたが、原文ではどちらに嫌わないのかわかりにくいものがあります。とりあえずどちらにも嫌わないと解釈しておきました。

2025-06-07

連歌のルール(13)~個別に配慮すべきもの(前半)

 
穎原退蔵『連歌史Ⅰ』
1933年に穎原博士が京都大学で行った特殊講義「連歌史」に用いた講義ノートで
連歌研究の基礎を作り上げた名著である(『穎原退蔵著作集』第2巻所収)

今回扱うのは、「分別すべき物(個別に配慮すべきもの)」というタイトルの章です。内容は補完・追記であったり、これまでの繰り返しであったりといった感じで、いわば「補遺編」。この章は長いため、前後編に分けて説明します。

いろいろな決まりがあちらこちらバラバラに書き連ねられていてわかりにくいので、同類の条項を集めた上で説明します。

にせものの扱いについて

にせものの扱いについて
以下のとおり、にせものの扱いは一様ではない。今のところこういう扱いになっている。二つの要素が混合している場合は両方に嫌い、混合していない場合は片方は嫌わないとすべきか
用語扱い方
花の波、花の滝〈植物〉と〈水辺〉の両方で打越を嫌う
花の雲〈植物〉と〈聳物〉の両方で打越を嫌う
松風の雨、木の葉の雨〈植物〉と〈降物〉の両方で打越を嫌う
河音の雨〈水辺〉と〈降物〉の両方で打越を嫌う
月の雪、月の霜〈光物〉と〈降物〉の両方で打越を嫌う
ただし夏季を示す表現が入っている場合は降物とは見なさない
桜戸〈植物〉と〈居所〉の両方で打越を嫌う
木葉衣〈植物〉と〈衣裳〉の両方で打越を嫌う
花の雪〈植物〉に嫌い、〈降物〉に嫌わない
涙の雨〈降物〉に嫌わない
浪の雪(冬季)〈水辺〉と〈降物〉の両方で打越を嫌う
波の花〈水辺〉に嫌い〈植物〉には嫌わない
袖の露〈恋〉と〈降物〉として扱うが、涙の心がない句については恋とすべきではないという意見あり
泪の露〈降物〉との打越を嫌う
涙の時雨冬季を示す表現がある場合は〈降物〉との打越を嫌う
一巻の中で冬の時雨が詠まれた後では「涙の時雨」と詠むのを避けるべきだろうか

本当の波ではない波や本当の雨ではない雨など、いわゆる「にせもの」の扱いについての解説です。一部、にせものではないが二つの要素が混合しているものも混じっています。

「花の波」「花の滝」は花が激しく降るさまを波や滝にたとえたもの。

「花の雲」は桜が咲き連なるさまを雲にたとえたもの。

「松風の雨」は松林に風が吹き付けて立てる音を雨音にたとえたもの。

「木の葉の雨」は木の葉が落ちるさまを雨にたとえたもの。

「河音の雨」は川音を雨の音にたとえたもの。

「月の雪」「月の霜」は月光が白く照らすさまを雪や霜にたとえたもの。ただし夏季として詠まれている場合は、実際の雪や霜でないことは自明であるから、〈降物〉として扱う必要はないということでしょう。

「桜戸」は桜の木のほとりにある家のこと。

「木の葉の衣」とは仙人などが着る、木の葉や木の皮を編んで作った衣。

「花の雪」は花が散るさまを落花に見立てたもの。

「浪の雪」は波に雪が降りかかるさま。

「波の花」は波が泡立つ様子を花に見立てたもの。

体用の説の補完と、事物の分類の補完

次は「水辺体用の事」と題されていて、第6回で解説した体と用の話とダブっています。

もし「波」の句に「浦」の句を付けた場合は、その次の句では水、塩などを詠んではならない。芦、水鳥、舟、橋などを用いるのは構わない。同じ水辺でも別物だからである。

第6回の表を見ればわかるとおり、「波」は用、「浦」は体であるから、その次は水や塩のような用の語は使えない。「芦、水鳥、舟、橋」は体・用の外であるから使えるということです(第6回の表では橋について規定していませんでしたが、この表現からして、橋は水辺ではあるが体・用の外に分類されているようです)。

続いて、個別に事物の分類を詳述しています。黒字は私の注、茶色字は原文の注です。

カテゴリ用語注釈
山類
山の関第6回の表では山類の体に分類
泊瀬寺山の関に準じて山類。類似するものは皆同様
鷲嶺山類にはもとは嫌わなかったという意見もある
富士、浅間、葛城山類であり体・用の外とすべきである
非山類
岩橋、薪、爪木、猿、滝津瀬、杣人、炭焼、雪山、蓬杣
宇治河島川の中の島はおおむね非山類
木曽路、鈴鹿路小野や吉野の奥が山類ではないのに準じる
室八島山類とは嫌わない。水辺とも嫌わない
松島山類としては用いない。ただし、郡名以上でないものは山類あるいは水辺であると最近決められたという
田蓑島、三島(摂州、伊豆)
恋山句によっては名所とならない
山がつ、山鳥「山」字とは五句嫌う
すそ野山類と組み合わせなくても山裾の意味に用いる
水辺
須磨、明石上野岡は非水辺。類似するものは皆同様
杜若、菖蒲、芦、蓮、薦、閼伽結、懸樋、氷室、手洗水、都鳥、浦の関第6回の表では氷室が用と規定され、杜若、菖蒲、芦、蓮、薦、閼伽結、懸樋、手洗水、都鳥が体・用の外となっていた
浦の関には言及がないが、山の関との対比で水辺の体か?
清見寺浦の関に準じて水辺。類似するものは皆同様
非水辺難波、難波寺、志賀、篷屋(とまや)、霞網、小田返、布曝、硯水、涙川、月の氷、袖行水、たるひ、軒玉水、苗代、早苗、横川、鷺、菅
居所
用である
第6回の表では『連理秘抄』に基づき非居所としていた
床、御座
非居所
塩屋、宮居、寺、家を出、里神楽「家を出」は釈教である
都、御階、百敷、雲上、九重非居所であり、非名所である
植物
軒菖蒲、末松山、篠枕、稲筵、苔筵、蓬宿、葎宿、夕顔宿、草筵、草を苅る
鶴林植物にはもとは嫌わなかったという意見もある
非植物
草枕、柴戸、松門、杉窓、菅笠、篠庵、浮木、流木、妻木、柴取、木を伐る、しほり、芦鴨、あしたづ、竹宮竹宮は名所である
絵に描かれた草木
催馬楽のタイトルの草木
衣裳の色名としての草木
絵に描かれた草木や催馬楽のタイトルの草木は季節がある場合は季物となる
衣裳の色名はその名によっては季物となる
夜分水鶏、螢、蚊遣火、筵、枕、床(とこ)、又寝、神楽、夕闇、いさり水鶏は水辺でもある
床(ゆか)は昼である
非夜分
浮寝の鳥、心の月、鶉の床、心のやみ、其暁、夢世、常灯、明はてて、明過て、朝ぼらけ、三日月の出、有明の入、鐘のかすむ心の月は釈教
たく火、夕月夜たく火はその影を言っても夜分とはならない
非時分宵、夜のふくる、露更て
衣裳下紐、ひれ
非衣裳
帯、冠、沓、佐保姫の衣
衣々(きぬぎぬ)衣とは打越を嫌うべきという意見あり
木類躑躅、卯花
草類
神祇東遊、求子、野宮
非神祇佐保姫、龍田姫、山姫佐保姫は春、龍田姫は秋
非動物
神楽のタイトルとしての蛬(きりぎりす)秋季としては扱わず、神楽のほうを主として考える
獣類として用いられたこともあるが、別の種類であろう。孔子も「龍のことは私はわからない」と言っている
海を行く船は旅だが、句体によっては旅とすべきではない
名所国の海伊勢の海、のたぐい
非名所名神天照神、日吉神、のたぐい

泊瀬寺(長谷寺)が山の関に準じて山類、清見寺が浦の関に準じて水辺となっています。清見寺は静岡県の清見ケ関に置かれた寺だったので浦の関に準じるというのはわかりますが、奈良県の長谷寺ももともとは関所だったのでしょうか?

鷲嶺とは古代インドのマガダ国首都で、釈迦が説法した地。実際の山ではないので、天文十七年の宗巴注では山類とするのは間違いだとしています。

蓬杣(よもぎがそま)は蓬が生い茂って杣山のようになった場所。また、自分の家を謙遜して言う語。

木曽路、鈴鹿路、小野、吉野の奥は山類ではないとなっています。宗巴注によれば郡名以上の地名の場合には山類や水辺に扱わない。なぜなら郡以上の広さを持つ土地なら、山も海辺も複数あるから特定の山や海を指すことにならないということのようです。松島のほうは郡名ではないから、最近では山類として扱うべきという意見が出ていると記されていますね。

室八島は「室八島に立つ煙」という慣用的な言いかたがあって、具体的な地名として使われないので山類にはしていません。

田蓑島は大阪市佃あたりにかつてあったとされる島。三島は静岡県の三島市のほか、大阪府高槻市南西部の歌枕でもあります。

恋山(こひのやま)は「積る恋の思いを高い山にたとえた」ものなので非山類ですが、山形県の湯殿山を「恋山」とも呼ぶ場合があるとのことなので、その場合は山類。

須磨、明石は源氏物語に登場する重要な海辺の地名で、郡名ではありますが水辺としています。上野岡とは、明石入道が娘の明石の君を住まわせていた「岡辺の宿」のことを指すのではないかと思いますが、岡と言ってしまったらもう水辺にはならない。

難波、志賀は海・湖のほとりではあるけれども、郡名以上の地名であるし、古都としての印象が強いので水辺とはなりません。難波寺は四天王寺のこと。

涙川は涙がどっと流れること。水辺ではありませんが、伊勢に涙川という歌枕がありますのでその場合は水辺。

月の氷は澄んで氷のように見える月のこと。

簾は第6回の表では『連理秘抄』を参照して非居所にしておきましたが、こちらでは居所の用に分類されています。

鶴林とは釈迦が亡くなった場所のこと。

竹宮は多気宮。伊勢国多気にあった斎宮の宮殿のこと。

東遊(あずまあそび)は東国発祥の神事舞、求子はそこで歌われる歌曲の一つ。

四季の詞

次は春夏秋冬の季節ごとの用語です。今日の季寄せのような感じですが、すべての季語を網羅的に挙げているわけではなく、とくに迷いそうなものだけを取り上げて区分を示したものです。

四季の事物
季節事物注釈
遅桜、松花、荻焼原、氷のひま、荒玉年、あがためし、あらればしり、心の花、白尾鷹、継尾鷹、菜摘、水のぬるむ
鳥巣水辺の巣は夏
鶴の巣は雑
雉子(きぎす)、きじ狩場の雉は冬
春日祭、南祭、須磨の御祓春日祭は正式には春秋2回
南祭とは石清水の臨時祭
須磨の御祓は上巳の日に行う
桜鯛、桜貝名前にちなんで春とすべきという意見あり
桜人、桜田〈植物〉でもある
神祭、榊取、毛をかふる鷹、毛をかふる鳥、鳥屋鷹、平野祭、鶯(時鳥と結びつけて言った場合)
杜若、牡丹杜若と牡丹は春の歌題とする場合があるが、実際の咲く様子から夏とする
若鮎は春、さびあゆは秋
清水結ぶ単なる「清水」あるいは「水を結ぶ」は雑
若葉春という説と夏という説の両方あり。花と結びついた場合は春とする。夏が必要な場合は夏とすべきという意見あり
ねらひがり獣のことである
日晩(ひぐらし)、稲妻、鳩吹、楸、桐、裏枯、蔦、芭蕉、忍草、穂屋つくる、初鳥狩、鳥屋出、小鷹狩、萱、枯野の露、草枯に花残る、初嵐、露霜、露時雨、つかさめし、相撲、千鳥(雁と結びつけて言った場合)、夜寒、身にしむ、初塩、色鳥
鶉衣鶉衣は非動物
放生〈神祇〉でもある
星月夜「月」という字と5句以上挟むこと
秋去衣(あきさりごろも)、願糸七夕の題材
鵙草茎(もずのくさぐき)鵙草茎は植物
扇を置秋にするかどうかは句による
物によっては秋とすべきではないとする説もあるが、どうしても秋としたい場合に強いて用いた例がある
紅葉の橋天の川に架かる橋であるから〈植物〉とはしないが、句によっては〈植物〉との打越を嫌う
思草〈植物〉でもある
忍摺〈植物〉ではない
淡雪、泪の時雨、庭火、木葉衣、紅葉散て物をそむる、北祭、豊明節会、小忌衣、日蔭糸、年内立春北祭は賀茂の臨時祭
豊明節会は夜分ではない
小忌衣と日蔭糸は神祇
椿、柏、蓬、浅茅、忘草、蜻蛉(かげろふ)、鷗、鳰、鳰浮巣、野遊、詞(ことば)の花
松緑緑立、若みどりは春
志賀山越春とする説があるが、近年では春とはしない
あたたかなる「日が暖かい」のは春という意見あり
かすむる(掠むる)ことばのつながりによって霞への連想がある場合は〈聳物〉を嫌うべきであろうか。霞への暗示を含む場合は春季
須磨の長雨夏ともされたが、理由が不明のため雑とする
恋草〈植物〉ではない
頭雪、眉の霜〈降物〉ではない

今日の区分とはかなり異なるところがあります。

いろいろ注釈を加えたいところですが、数が多すぎてきりがありませんので今回は見送らせていただきます。

中で目を引くのは椿が「雑」とされている点です。これは明確に椿の花を詠まないと春にはならない、単なる樹木名の場合は雑ということではないかと思います。

補遺編、次回に続きます。

2025-06-01

連歌のルール(12)~間をおいて使うべき表現

 
二条良基編『連理秘抄』
連歌新式の基となった連歌理論書だが、
式目に関する部分の記述はかなり簡素

「三句隔つべき物」は間を3句以上空ける

前回はおもに打越を嫌う、つまり間に2句以上を挟まなければ使えない組み合わせの表現について説明しましたが、今回は3句以上、5句以上、7句以上を挟まなければ使えない組み合わせについて説明します。

連歌の式目に「三句隔(へだ)つべき物」とあるのは俳諧(連句)では「三句去(さり)」と呼びます。間に3句以上挟まないと使えないということです。また付句から見て3句前(打越句のひとつ前)の句を「大打越」と呼びます。

整理すると

打越を嫌う物=二句去り=間に2句以上挟まないと使えない
三句隔つべき物(大打越を嫌う物)=三句去り=間に3句以上挟まないと使えない
五句隔つべき物=五句去り=間に5句以上挟まないと使えない
七句隔つべき物=七句去り=間に7句以上挟まないと使えない

ということになります。

ここで挙げられた事物や文字は連歌の中核となるような重要な題材なので、間隔を空けて使うよう注意を求めています。

では一覧表にしていきましょう。

用語三句隔つべき物、注釈
〈光物〉〈光物〉
光物とは月、日、星など
〈降物〉〈降物〉
降物とは雨、露、霜、雪、霰など
〈聳物〉〈聳物〉
聳物とは霞、霧、雲、煙など
〈木類〉〈草類〉
〈虫類〉〈鳥類〉
〈鳥類〉〈獣類〉
〈名所〉〈名所〉
七夕月、日
七夕は星の名であるため

第6回で示した事物の19分類では、木と草はどちらも「植物」、虫と鳥と獣はどれも「動物」にひとくくりにしていましたが、ここではそれぞれを区別しています。これは次の項目と関係しています。

用語五句隔つべき物、注釈
[同字][同字]
日と日、風と風、雲と雲、野と野、山と山、浦と浦、浪と波、水と水、道と道、夜と夜のように同じ漢字同士
ただし煙と煙は七句隔つべき
〈木類〉〈木類〉
〈草類〉〈草類〉
〈鳥類〉〈鳥類〉
〈獣類〉〈獣類〉
〈虫類〉〈虫類〉
〈恋〉〈恋〉
〈旅〉〈旅〉
〈水辺〉〈水辺〉
〈居所〉〈居所〉
〈述懐〉〈述懐〉
述懐を示す語としては、昔・古・老・生死・世・親子・苔衣・墨染袖・隠家・捨身・憂身・命などがある
述懐の意の句であっても、中にこれらの用語があらわれていなければ述懐として用いられたことにならない
「生るる」は述懐とすべきではない
「墨染袖」は釈教として扱うべきだという意見が最近出ている。しかし墨染袖は仏弟子ではなくともまとうことがある。これは衣の色である
藤原基俊の著作では墨染と苔衣を同じものとしている
結局のところ、従来の定めを守るべきであろう
〈神祇〉〈神祇〉
〈釈教〉〈釈教〉
〈衣裳〉〈衣裳〉
山の名所
浦の名所

松原、篠原などと言い換えて5句を挟むこと
朝づく日、夕づく日月日
ただし「朝の日」「夕の日」と表現すべきだとの意見あり

[同字]の項、同じ漢字を使うには5句間を隔てる必要があります。ただし例外が次の七句隔つべきものの項で示されます。「煙」だけ七句去なのにここに登場しますが、これは「雲」が前に出てきているので、同じ〈聳物〉でも「煙」は七句だよと、ここで断り書きしたものと思われます。

同じ植物で、木類と草類というように異なる場合は三句去、同じ類の場合は五句去となります。動物の場合も鳥類・獣類・虫類に関して同様の扱い。

別の回で再述しますが、〈恋〉は5句まで連続することができる、〈旅〉〈水辺〉〈居所〉〈述懐〉〈神祇〉〈釈教〉は3句まで連続することができるという決まりがあります。ただし、いったん連続が途切れたら、次にまた同じテーマを始めるまでに間を5句以上空けなければいけないということです。

「原」の項はわかりにくいのですが、天文17年の宗巴注によれば、単なる「原」は一座一句物である、ただし松原、篠原などと言い換えれば5句を挟んで使えるということらしい。

「朝づく日、夕づく日」の項、原文は「朝月日」「夕月日」となっています。「づく」を「月」とする誤った書きかたが根付いてしまっているので「月日」と障りが生じるのです。注記で「朝の日」等と表記すべきかと、わざわざ言っています。

用語七句隔つべきもの、注釈
[同季]
「船」、「舟」の字
天盤舟、天河舟等は七句隔てるべきであり、水辺と見なすべきではない
舟岡山、御舟山等は「舟」の同字として五句を隔てるべき
「衣」の字「衣」の字
霞衣、織女衣などは七句隔てるべきであるが、衣類としては扱わない
衣河、衣手杜は「衣」の同字として五句を嫌う
「松」の字「松」の字
松島、松浦山などは「松」の同字として五句を嫌う
「竹」の字「竹」の字
竹田、竹河などは「竹」の同字として五句を嫌う

[同季]の項、これも別の回で詳述しますが、春の句と秋の句はそれぞれ5句まで連続できる、夏の句と冬の句はそれぞれ3句まで連続できると決められています。ただし、いったん連続が途切れたら、次にまた同じ季節を始めるまでに間を7句以上空けなければいけないということです。

「船」の項、「天盤舟(あまのいわふね)」とは神武天皇が高天原から下りてくる際に乗った船のこと。「天河舟(あまのかわふね)」とは天の川に浮かぶという想像上の船。

「衣の字」の項、霞衣とはたちこめた霞を衣に見立てた語。織女衣とは羽衣のことか? 衣河は陸奥国の、衣手杜は山城国の歌枕。

「松の字」の項、松島は陸奥国の、松浦山は肥前国の歌枕。

「竹の字」の項、竹田は山城国の歌枕。「竹河」は源氏物語の巻名。