2025-05-31

連歌のルール(11)~打越で使ってはいけない組み合わせ

 
混空編『産衣(うぶごろも)』
歌語から式目の条文を検索する逆引き辞書
山田孝雄, 星加宗一編『連歌法式綱要』(岩波書店、1936)に収録

打越で使ってはいけない語

次は「打越を嫌うべきもの(付・懐紙を替えるべきもの)」の条項です。

本連載の第2回で、「打越を嫌う」という考えを説明しました。連歌の付句は、2句前と同じ世界を詠んではならないのです。これが連歌の基本中の基本の原理であるといえます。

ではどういう題材や語を使うと、打越関係と判断されるのかということを細かく規定したのが本項になります。打越だけではなく、付句としてもダメな組み合わせ、同じ面や同じ折では使えないものも挙がっています。

以下の表で〈〉でくくった用語は、第6回で説明した事物の分類(部立)です。各分類に入る諸事物を指します。部立が右に来たり左に来たりして表記が統一されていませんが、式目の記述順に従います。

用語打越を嫌うもの、注釈
岩屋、関戸、隠家、栖、住居〈居所〉
〈居所〉田庵、村、霧籬、浜庇
(一説では、句によっては浜庇は居所を嫌うという)
皇居の故郷(ふるさと)〈居所〉(とくに「里」とは間に5句以上挟むこと)
〈降物〉
松の煙、竹の煙、草の煙、水の煙など〈聳物〉
雲上人、雲居庭など、胸の煙、思煙〈聳物〉
霰ばしり〈降物〉
〈時分〉〈時分〉(夕暮と曙など)
日次(ひなみ)の日
月次(つきなみ)の月
種蒔、野の色付、冬枯の野山など〈植物〉(うゑもの)
埋木〈植物〉
山色、野色〈植物〉(ただし句体にもよる)
〈植物〉草かり、秣(草の字とは間に2句はさむこと)、園、藪、秋田など
(秋田は、田に雁、田に鹿などというように素材を加えた場合は植物との打越は問題ない。「鹿追ふ」などと言った場合にはこれを嫌う)
草木
心の松、心の杉〈植物〉
苗代、下もえ〈植物〉とは嫌わないとされているが、間に2句はさむべきだという意見もある
冬枯の芦屋、芦火〈水辺〉
浮島原〈山類〉。ただしこの語自体は山類として扱うべきではない
〈人倫〉〈人倫〉
碪(きぬた)〈衣裳〉。「きぬ」と「きぬた」は間に5句以上挟むこと
〈生類〉贄。贄は句体によっては神祇として扱うべきという意見あり
〈生類〉放生。この語は水辺でもある
〈生類〉駅、馬のはなむけ。これらの語は馬、駒とは同じ面で使わないこと
津の国のなにはのこと、山しろのとはぬ、など〈名所〉
忍のうらみ侘、などという句〈水辺〉
〈名所〉とは間に3句挟むこと
懐紙が替れば「忍の山」「忍の岡」などと言ってもよいが、「忍の浦」と言ってはならない。他もこれに準じる

まだまだ続きますが、数が多いのでいったんここで切って注を加えます。

〈居所〉の項、「浜庇」とはもともと、波が砂をえぐって庇が出たような地形になっていることを言いましたが、後年「浜辺の家の庇」を指すようになりました。後者の場合のみ居所を嫌うということです。

皇居の故郷の項、ふるさととはもともと昔のさびれた都を指すということは、以前ご説明しました。

松の煙、竹の煙、草の煙、水の煙とは、松林、竹林、草、水などが遠くに霞んで見えることを言います。実例を『大原野十花千句 第十』(1571)の初折4~5句目で見てみましょう。

 田中に道はあぜのかたはら     里村昌叱
一むらや竹の煙にこもるらん       了玄

〈時分〉は第6回の事物の19分類では説明しなかった部立です。時刻、昼夜、朝暮などを示す語を指します。19分類中の〈夜分〉は時分の一部と見ることができるでしょう。

心の松は「松」を「待つ」にかけて「心中に期待すること」。心の杉は「正直、誠実な心のたとえ」。

月の項の日次の日とは一日とか二十日といった暦の日のこと(太陽ではない)。

浮島原(うきしまがはら)とは静岡県東部、愛鷹山の南方の低湿地。歌枕です。愛鷹山や富士山を連想させる地名なので山類との打越はダメだが、この語自体は山類とは見ないということでしょう。

津の国のなにはのこと、山しろのとはぬについては、次のような例歌があります。

津の国の難波(なには)のことか法(のり)ならぬあそびたはぶれ待てとこそきけ          遊女宮木(『後拾遺集』)
つのくにのみつとないひそやましろのとはぬつらさは身にあまるとも      宮内卿(『新勅撰集』) 

前歌は、性空上人が遊女からの喜捨を受け取ることを一瞬ためらったのに対して彼女が詠んだ歌。「摂津の国の難波で身体を売っている私ですが、それが仏法に反するなどということがあるでしょうか。遊び戯れる業も仏の道につながると聞いていますが」ということ。

後歌は、「摂津の国に御津があり、山城の国には鳥羽がありますが、「見つ(見たよ)」なんておっしゃらないで。「とはぬ(訪ねてくださらない)」ことの辛さは身にこたえますのよ」というダジャレの歌。

こうした先歌がもとになって「津の国のなにはのこと」「山しろのとはぬ」などという表現が慣用句のようになっているけれども、あくまで元は地名であるから名所と打越にならないようにということ。

信夫(しのぶ)とは現在の福島県福島市のあたり。そこに「浦」という地名があって、実際は内陸なのですが、海辺と誤解されて「しのぶの浦」という水辺の歌枕になっていました。「忍のうらみ侘」というのは、恋のつらさを我慢し恨み悩むということを「信夫」とひっかけて言っているのですが、あくまでもとは歌枕であることを意識して、水辺や名所を嫌うようにという定めです。福島には「信夫山」という山がありますが、忍のうらみ侘」ということを言ってしまった場合、「忍の山」「忍の岡」は懐紙が替れば言ってもよいが、「忍の浦」という表現はもう使えません。

付句としても使ってはいけない語

次の事例は打越だけではなく、付句としても嫌われるものである
用語打越・付句を嫌うもの、注釈
くもる
温日長閑(のどか)
身にしむ
故郷
子の日
声、響
声、響に音羽山、音無川などは嫌わないが、句体にもよる
春の暮、秋の暮
樵夫「木」の字
かげ
もと、下、かくれ
「影」の字は「もと、本」と嫌わない
陰に「下」は場合によっては嫌わない
袖ぬるる
袖の露

鳥獣の鳴くのは別のことである

恋に関することでなければ嫌わない
衣々(きぬぎぬ)
恋として用いる場合は面を替えること

句体にもよる

否定の「ぬ」同士の場合は、打越では嫌わず、付句として嫌うとの説あり
過去の助動詞「し」過去の助動詞「し」
うつつ
ね覚
今日昨日、明日

弓張月、年の矢などは折を替えること
夕立「暮」という字
明暮「夕」という字
朝夕「暮」という字
しののめあした
夕時分とは嫌わない
たそがれ「夕」という字
遠きをち
ことわざ詞、いふわざ
くらき
光陰よるひる、月日
月か日の片方だけなら嫌わない。夜と昼も同様
野分「野」「分」の字
木枯「木」の字
家風
木曽「木」の字
野辺、山辺ほとり
淡路
山路に対しては間に5句以上を挟むこと
晨明(ありあけ)「有」の字
「明」の字とは間に5句以上を挟むこと
入相「入」「逢」の字
荻の声
風という表現がなくても和歌同様に「荻の声」だけで成り立つという意見あり
歎(なげき)を木に掛けた場合〈植物〉
みそじ、よそじ(年齢)「年」の字
「玉」の字
魂のことを「わが玉のを」と言った場合は「玉」字とは間に5句挟むこと
ながめ
目とは嫌わない
形見
形見にながめは嫌わない
努々(ゆめゆめ)
努々は夜分とは扱わない
物思「物」「思」の字
うき懶(ものうし)
つらき、かなしき
名残「名」「残」の字
思やる「思」の字
すくなき「無」の字
はかなき「無」の字
付句として嫌うのであって打越では嫌わないとのルールもある
物のしるし・しるべ
あらまし「有」の字
一説では打越に嫌わないとも
いづく、いつ、なに、なぞ、など、いかに、いづれお互いに嫌う
どれも「何」を含む語であるから
なりなり
なれなれ
なるなる
なり、なれ、なるお互いに付句として嫌う。打越では嫌わない。「成」字を用いた場合は打越で嫌う
たどる
ただし句による
玉章(たまずさ)詞(ことば)
句体によっては嫌わない
ことの葉
句体によっては嫌わない
敷島の道
同じ折を嫌うという意見もあり
生死

句体によっては嫌わない
字余りの句字余りの句に字余りは付句としても打越としても嫌うべきであろうか。和歌の書にも無用の字余りはよろしくないとある

ここからは打越だけではなく、付句としても避けるべき組み合わせになります。

「歎(なげき)を木に掛けた場合」というのは、「歎き」を「投げ木」に掛けるという技法を使っている場合は〈植物〉と嫌うことになります。

「字余りの句」の項は、原文は「可相双条如何。及打越可有斟酌歟。凡無用文字余不可然之由見和歌抄矣」とあるのをこう訳してみたのですが、今一つ自信がありません。知見の士のアドバイスを求む。

同折、同面で使ってはいけない語

次の事例は打越、付句だけではなく、同じ折を嫌われるものである
用語打越を嫌うもの、注釈
日晩(ひぐらし)
紅梅
紅葉
浮世、世中
前世後世
捨世、捨身など「捨」の字
東路東屋

次の事例は打越、付句だけではなく、同じ面を嫌われるものである
用語打越を嫌うもの、注釈
寝覚閨、ぬる
「ね」という字

これらの例については、とくに注釈は必要ないでしょう。

同じ折や面を嫌われるものについての追記
用語同折・同面を嫌うもの、注釈
さゆる
両者が冬季を意味する場合は折を替えること
捨世桑門の世すて人
このような場合は同じ面を嫌うが、同じ折を嫌うべきだとする意見もあり
〈恋〉、世〈述懐〉、〈釈教〉、世
面を替えること
「一」の字使わざるをえない場合が多いが、面を替えて使用すべきだという意見がある。
「一」以外の他の数字は折を替えるべきである。「一」とそれ以外では扱いが違うのは、それなりの理由があるからである
三文字の仮名互いに同じ面を嫌う
「御」の字場合にもよるが、「御座(みまし)、御階(みはし)」などは面を替えるべきか
「比(ころ)」の字句末に使う場合は折を替える
単なる「比」の字は同字に関する定め(後述)に従う
白髪
面を替える
筆跡鳥跡
同じ折を嫌う
「跡」の字「跡」の字
「古跡」の類は折を嫌うこと。他の場合は同字に関する定めに従う

同じ折を嫌う
真砂石、岩
同じ面を嫌う
篠(ささ)しの
同じ面を嫌う
すず
間に二句挟むこと
神楽
同じ面を嫌う
九重
同じ折を嫌う
大宮
同じ折を嫌う

「三文字の仮名」とは、わかれとわかれ、かへるとかへる、のこるとのこるというような同表現のこと。

以上で打越、同面、同折に関する去嫌の条項の解説は終わりです。実に膨大で煩雑な決め事です。「基本原則だけ決めておいて、あとは宗匠がその場その場で判断すればいいじゃないか」と思う人もいるでしょう。実際、俳諧(連句)のほうでは芭蕉はそのような方針をとっていました。

しかし、これは私の想像ですが、連歌の会はしばしば貴人の前で催されますし、場合によっては足利将軍もそこに参加していました。そんな場所で式目違反を指摘されるのはメンツにかかわることでもあったでしょう。そうなると見解の食い違いから争論が起きることもありえます。また地下連歌の場合は、すぐれた付句に賞品が出るというような賭け事としての性格がありましたから、判定基準をはっきりさせる必要があったかとも思います。そうやって問題になった判例を積み重ねていくうちに膨大な規定となったのでしょう。

連歌の会には「執筆(しゅひつ)」という人がいて、式目違反を発見して指摘する役を担っていました。ある意味宗匠よりも重要な立場です。執筆は膨大なルールを承知している必要があったので、容易ではない仕事でした。

式目記憶用の式目和歌というものがあります。三条西公条・周桂による約600首からなる『式目和歌』(16世紀後半)などはその代表的なものです。

また各用語から関連する規定を逆引きできる辞書のような本が作られました。木食応其による『無言抄』(1586年)、混空による『産衣』(1698年)などが知られています。