連歌式目の条項には、2とおりの流れがあるように思います。
一つは原理原則から出発して全体を規制しようというルール。もう一つは実際に起こった問題ごとにどう解決するか個別に定めたルール。法律の用語で言えば前者が成文法的、後者が判例法的。数学の用語で言えば前者が演繹的、後者が帰納的ということになりましょう。
ここまで解説してきた式目の条項で言えば、韻字の決まりとか体と用の定めなどは、前者であるように思います。大原則を述べようとする。対して前回から説明している個別の用語についての定めは後者でしょう。
前者の決まりは論理体系的ですが、実際には守りきれずに例外やルール改訂が頻発しています。後者のほうは実践的ですが、個別に新しい定めを追加していくので煩雑です。前者はおもに堂上連歌(公家中心の連歌)、後者はおもに地下連歌(それほど身分の高くない専門家による連歌)によって発案されてきたのではないかという気がしますが、どうでしょうか。
連歌の式目にはこのような二重性があるということを把握しておくと理解しやすいように思います。
一座二句物
さて今回は、一巻で2回まで使用できる「一座二句物」の解説です。一句物とほぼ同じレベルで重要な語群ですが、言い換えたり使う場所を替えたりすることで変化をつけることが可能なため、二句までOKということになったと思われます。
あくまで2回「使ってもよい」ということであって、必ず使うべきだというわけではありません。
数が多いので、表形式にしてサクサク説明していきましょう。
いくつか注記します。
「暁」の項の「其暁」とは、弥勒が釈迦入滅後5億7千万年後にこの世界に現れるという、その暁のこと。
「五月雨」の項、当時はさみだれのほうが主で、つゆは少ない表現だった。なぜ「梅の雨」と言うのだろう、梅の青い実がこのころ落ちるのを梅の雨と言ったのだろうかといぶかるニュアンス。
「故郷(ふるさと)」の項、故郷は本来は「昔の都の跡」の意味になります。
「雁」の項、「残る雁」とは本来、北に残って南に渡らない雁(秋)と、南に残って北へ帰らない雁(春)の両方を指しました。「日本国語大辞典」で調べても、「残る雁」は春と秋の両方の季語としていますが、今日の俳句歳時記が春としてしか扱わないのは問題。
「老」の項、「鳥・木などに用いて1回」というのは老鶯、老木などを指すのでしょう。
「男」の項、「桂男」というのは月の別称です。月には桂(モクセイ)の大木が生えていて、呉剛という男がそれを伐ろうとしているという伝説に基づきます。
「時雨」の項、時雨は万葉集や古今集では秋のものとして詠まれていました。それが徐々に冬のものとして詠まれるようになったわけで、連歌ではこの時代、秋冬両方で扱われていました。実例を挙げます。「文和千句第三百韻」(1355)より、まず初折5~6句目の秋の時雨を挙げます。
もみぢせぬ木ずゑの露の先(まづ)落て 永運
のちはしぐれの山のあさ霧 周阿
前句は「紅葉」「露」と秋の句になっており、後句でも「朝霧」が出てきますから、「時雨」が秋を指していることは明らかです。
同じ連歌の二折表14句目~二折裏1句目には冬の時雨が出てきます。
なみにはふらぬ橋のしら雪 周阿村雲は時雨なからのとだへにて 二条良基
前句が「白雪」ですからこの一連は冬季を指しており、後句の「時雨」は冬となります。