冬野虹、也有を語る
今日、2月11日は亡妻である冬野虹の命日ですから、彼女の話をさせてもらいましょう。
彼女は横井也有のファンで、『鶉衣』を勉強していました。おそらく永井荷風の「雨瀟瀟」を読んで知ったのでしょう。上に画像を掲載した岩田九郎著『完本うずら衣新講』は、彼女が古書店で入手して読んでいたものです。前回も書いたとおり『鶉衣』を学びたいと思う人には最初に手に取るようお勧めしたい名著です。
冬野虹は「むしめがね」15号(2000年9月)に、「はつなつの七つの椅子」という奇想にあふれた文章を発表しているのですが、これは自分が好きな人物を招いて架空の座談会を開くという内容。七人とは、ヤカナケリ大使、行基、ミシェル・ド・モンテーニュ、式子内親王、ガストン・バシュラール、平等院の飛天、横井也有、冬野虹という組み合わせです(実は八人)。也有に関係するところを抜きだしてみましょう。
唐傘を斜めにさし、黒鳶のめくら縞の着物の裾をからげ、足に、紺の鼻緒の朴歯の高下駄姿にて也有現る。虹は、その姿を見て、飯島晴子さんの「これ着ると梟が啼くめくら縞」という一句をなつかしく思い出している。
也有 おのおの方、すでに来ておられますか。遅くなったこと、おゆるし下され。
ミシェル あなたが也有さん? ボンジュール、はじめてお目にかかります。私は、あなたがお書きになった俳文集「鶉衣」を読んでいたく感動いたしましたのですぞ。私が、ボルドーの葡萄畑の中にある城館の三階の書斎にこもって考えていたことと、相通じるものを、あなたの美しい日本語の中に見つけたのです。そして、あなたとあなたの文章にとても親しみを感じました。たとえば、「奈良団扇について」の短いエッセイと、文尾のあなたの俳句、
袴着る日はやすまする團(うちは)かな
は、とても好きです。私の言い表わしたいこと、私の、分厚いEssais(エッセイ)三巻、の中に、書かれているであろうことを、この詩(俳句)の一行は、みごとに、簡潔に、そして深々と、あざやかに、指し示してくれているように思われるのです。日本の俳句という詩は、なんとすばらしいのでしょう。私も、もっと早く、日本のことを知っていたら、この風雅なるもの、俳句、に魅せられていたにちがいありません。「鶉衣」の中の、日本の四季折々に呼び名を変えて言い表される「餅」のことを、美しい織物のように書き綴られた「餅辞」の章。かき餅のいじり焼、とか、時雨こがらしの寒きまどゐに、火鉢のもとのやき餅もおもしろき時節……、など、私は切に、体験したいのです。実に豊かな精神が、ここに息づいているではありませんか?
ミシェル 私のEssais(エッセイ)の中のひとつ、「おどろおどろしい怪物のような子供について」という章を、虹さんは読みましたか? 奇怪な子供の、二つの肉がひとつになり、奇形児の、未熟児の、四方八方に手や脚がでていて、頭はひとつ、臍、不完全さ、不調和さ……。私が、この章で何を言いたかったのか? おわかりですね。式子さんの、「ほの語らひし空ぞわすれぬ」と、共通の精神が、この中にもあるはずです。そして、飯島晴子さんの「八頭いづこより刃を入るるとも」の宇宙の中にも。
ヤカナ ミシェルさんが今、言ってらっしゃること、は、也有さんの「鶉衣」の中の、「臍頌」の文末の一句、
友とせむ臍物いはゞ秋の暮
に、ひかりを送り、また、私達、人間というものの存在の骨の継ぎ目を揺るがしもするようです。
ガストン ああ、よい俳句ですねえ。この句を頭の中にひろげると、わたしは、今、突然、故郷、バール・シュル・オーブの町の、私が授業をするために、オーブ川の橋を渡って通っていた高校の校庭の、ベージュ色の空間が眼にうかびます。その校庭の上の空は、消毒ガーゼに沁みこんだ水の匂いがしていました。
冬野虹にとってはミシェル・ド・モンテーニュとガストン・バシュラールが恋人で、二人の写真を机の前に飾っていましたから、彼らに也有のことを自由に語らせていますね。現実世界に束縛されない伸び伸びとした文章でした。
私は私で前から也有の発句に関心を持っていたので、彼女から影響を受けたということはないのですが、今回の連載にあたっては虹の蔵書であった岩田先生の本を大いに参考にさせてもらいました。その意味ではこの也有研究は二人の共同作業と言えないこともありません。
「餅を語る」
さてそれでは、虹の原稿にも出てくる「餅を語る」(原題「餅ノ辞」)を現代語訳してみましょう。28歳前後の文章だと思われます。也有の友人、夏爐亭が大の餅好きだったので、彼のために餅を賛美する文を書いてやったという、楽しい一編です。
餅を語る 夏爐亭に贈る
君も知っているだろう、餅には恒例の俳味もあれば季節ごとの流行もある。
まずは新年、松も竹も新しく飾られる朝、食事には当然ながら餅が鎮座、奈良茶粥や麺類ではしまりがないので雑煮と趣向が定められているのは、神代からあれこれと案じた果てのことだろう。
具足に供えた鏡餅を開くうちに寒い睦月も終わり、二月には彼岸団子を「花よりは団子と誰かいはつゝじ」と詠んだ人もおり、草餅の節句とは三月三日のことで桃の花も散り、躑躅に山吹と春がふけゆくままに饅頭売りの声も眠たげで、蛙が空に雲を呼んで春雨があてどなく降りだす頃は、かき餅をひっくり返したり延ばしたりして焼きながらあの源氏物語の右馬頭(うまのかみ)が雨夜の品定めでもすればしみじみと心に伝わるだろう。
「餅には恒例の俳味もあれば季節ごとの流行もある」というのは、芭蕉の「不易流行」の説にひっかけて大げさに言ってみた。
「花よりは団子と誰かいはつゝじ」は山崎宗鑑の『新撰犬筑波集』の句で、「言ふ」と「岩躑躅」をひっかけたシャレ。
「雨夜の品定め」は源氏物語の帚木の巻で光源氏らが女性の品定めをする話ですが、そんな夜にはかき餅でもひっくり返して焼きながら語り合えばしみじみするだろうと、物語の世界を俳諧的に滑稽な場面にしています。
卯月はその季節の卯花曇に蚊帳の香りも新鮮で、藪蚊が軒にちらつく頃には牡丹の花を見ながら食う牡丹餅がとてもうまく、三井寺の栴檀講では千団子を供えると聞くのもありがたい。
粽はそのまま見ているだけでたいへん涼しげで、ほどいてみると笹の匂いがするのがまた結構だ。
水無月のついたちは、氷室を開き氷餅を食すといってやんごとなき上流階級の皆さまはもてはやすのだが、草葉もしなびる土用の頃に水餅を錫の鉢に浮ばせるのこそ、上層の方が知らない涼しさである。
このあたりは餅のことをとてもうまそうに記述しています。粽の描写、嗅覚にも訴えるところが巧みですし、土用の頃の冷し餅の冷熱感覚も冴えています。也有は諧謔だけではなく感覚描写にもすぐれていることがよくわかるでしょう。
風も文月の音となり七夕に牽牛と織女が逢う夜は、神酒だけ奉げて、源氏物語に言うねのこ餅も献上しないのは葛餅の恨みである――というのは葛の葉は「風に裏を見せる」ものだからね――が、「鵲のわたせる橋におく霜の白きを見れば夜ぞふけにける」と七夕の鵲を詠んだのがやか餅、いや家持であると聞けば味わいがある。
このへんはかなりアクロバティックに引用を交差させています。源氏物語のねのこ餅というのは、源氏と紫の上が結ばれて、翌日惟光が「亥の子餅」を差し上げると、源氏が餅は三日目に出すものだから明日持ってくるようにと言った。それでは「亥」の次だから「子」の子餅ですねと惟光が洒落を言った。この話をベースに、牽牛と織女も結ばれるのだからねの子餅でも出せばいいのにと也有は言う。餅を出さずに酒だけ献上するのは恨めしい→葛の葉は風に裏を見せるから「うらみ」→餅にひっかけて「葛餅の恨み」と連想ゲームをやっています。
続いて「鵲の」の歌の作者が大伴家持なので(この歌自体は冬の歌だが、七夕の歌と見立てた)、「やか餅」と駄洒落。もうこのへんはハチャメチャに洒落をひねりつづけて、也有の才気爆発です。大田蜀山人のような狂歌師が也有の文章を読んで大喜びした理由が納得できます。
盂蘭盆では魂送りとして団子を供え、萩の花が咲くとおはぎが出て秋もたけ、こもち月もち月の団子に続き、栗の子餅をいただく重陽の節句も過ぎれば、十月は亥の子餅の季節で猪が暴れるように風雨が荒れ、時雨や木枯らしの寒い集まりに火鉢のそばで餅を焼くのも楽しい時節であろう。
報恩講の餅が始まる頃、粉雪ももち雪もあられも積もるが(あられ酒というのがあるけれど)酒の名ではないのだよ。水難除けになるという弟子(おとご)の餅は十二月一日に祝い、師走はおおむね餅の世界なのでいちいち取り上げて言うまでもない。
さてそれでは、なぜ詩人は酒だけを友の数に入れているのだろう、李白も杜甫も餅をうたっていないけれど、雅俗混合の俳諧の分野では、竹林の七賢の一人、劉伶が底無しに酒を飲んだのも、夏爐亭が餅好きなのも、どちらも俳諧の題材に通じるのだから、わが家では上戸も結構下戸もさらに結構なのだよ。
もち雪とは綿雪のこと。粉・餅・あられとどれも餅に関係する語なので、雪と餅を強引にひっつけています。
夏爐亭は酒は苦手で餅が大好き。実は也有も、酒がそれほど強くなかったらしい。唐詩では酒ばかりが讃えられるし、和歌の世界でも餅は卑俗なものとしてそれほど詠まれていないようです。しかし雅俗混合の俳諧では、餅も大いに詠まれるべきだろうと気炎を上げる也有でした。