2023-02-10

横井也有 荷風も認めた名文家(8) 『鶉衣』を読む②


映画『雷電』で大田蜀山人を演じる沼田曜一

蜀山人が発見した『鶉衣』

名匠中川信夫監督による映画に、『雷電』(1959)があります。江戸時代の相撲力士・雷電為右衛門(宇津井健)を主人公とした物語で、各所に中川監督によるオーソン・ウェルズ監督へのオマージュ(長回しやパンフォーカス撮影の活用)が埋め込まれているところがとても面白い作品です。

この中で、雷電の危機を救う人物として活躍するのが狂歌師の大田蜀山人(1749~1823)です。蜀山人には大田南畝、四方山人、四方赤良などさまざまな別号があり、いわゆる「天明狂歌」を主導した文人として有名です。映画では沼田曜一さんの好演が光りました。

さて、横井也有の俳文集『鶉衣』の価値を発見し、刊行を実現したのがこの蜀山人でした。『鶉衣』の序文で蜀山人自身がその経緯を書いていますので紹介しましょう。(現代語訳)

さる安永年間、隅田川のほとりの長楽寺に行った際、也有翁の俳文「借物の弁」を見ることができたのだが、あまりに面白かったので写して帰った。それ以来尾張の人に会うたびにこの話をして質問するようにしたところ、金森桂五が『鶉衣』2巻を持ってきて見せてくれた。翁はすでに逝去されたというので、亡くなる前に残した文章はもっとないかと知りたく思っていたが、細井春幸・天野布川を介して、也有門人の紀六林が書き写した完全本を送ってもらうことができた。

読み終えるにつけ、このような書が世に知られないのは唐錦が畳まれたまま放置されているようなものだと思い、急ぎ版木を彫る業者に命じて世間に披露する晴着としたのである。翁の文章は、美しい内容をわかりやすく表現し、角張った議論をまろやかにつづり、よく人の心を文章に投映させ、想像力を巧みにはるかへと働かせている。

「鶉衣のつぎはぎのようなもの」というのは翁みずから言ったことであるが、実際には千金の毛皮にも匹敵する価値のある作品ではないだろうか。私のつたない文章は恥ずかしいものだが、何か書く必要もあろうととにもかくにも序とする次第である。

四方山人 

蜀山人は狂歌師として活躍するのみならず、当代一級の知識人・文化人でもありました。『鶉衣』の発見と刊行は、彼の大いなる功績の一つに数えられています。

『鶉衣』執筆、刊行、そして現在の研究へ

『鶉衣』が執筆され、刊行されるについては、さまざまな経緯を経ています。主な編集過程を挙げていくと次のようになります。

①也有自身による執筆および清書稿の作成(1727~1783) 
②友人知人による写本の作成
大田蜀山人による『鶉衣』板本刊行(1787~1788) 
④石井垂穂による拾遺文を加えた『鶉衣』板本刊行(1823)
⑤岩田九郎著『完本うづら衣新講』刊行(1958)
⑥野田千平編『横井也有全集 中』(『鶉衣』含む)刊行(1973)
⑦山本祐子による自筆本の再検討(2012)

この中で、①、②は筆記による原稿で、野田先生はこれらを「稿本」と呼んでいます。③、④は版木に彫って書籍として刊行したものでこちらは「板本」と呼ばれます。実は、稿本と板本では文章の数や配列順がかなり異なるのです。板本は紀六林や石井垂穂による再編集が加わっていると見られます。稿本にあって板本に無い文章もあれば、板本にあって稿本に見つからないものもあります。

⑤は板本を底本にして、ほとんどの文章に口語訳を付けたもので、板本の研究書として決定版と言えるものです。⑥は、稿本をベースとして板本に含まれない文章も収録し、制作年代順にあらためて並べ替えを行った画期的な新バージョンです。注釈や口語訳は付いていません。

①の自筆本は部分的にしか残されていなかったのですが、新たに発見された自筆本があり、それらに関して研究を加えたのが⑦の「新出・横井也有自筆『鶉衣』をはじめとする也有書写本について」(「名古屋市博物館研究紀要第35巻」所収)で、⑥に収録されていない文章が4編見つかったとのことです。くずし字で書かれたそれらの稿本は論文の末尾に写真版が掲載されています。

⑤には228編の文章、⑥には325編が収録されています。『鶉衣』を徹底的に読み尽くしたいという方には、この2冊がお勧めです。今後⑦の新研究を含めた新たなバージョンが刊行される可能性もあります。

他に入手しやすい書籍としては、堀切実校注による岩波文庫版(2011)が出版され、校異の注記などに見るべきところがあります。しかし口語訳がついておらず、素人にはなかなか読み切れないのではないかと思われます。収録内容や解釈は基本的に⑤の版に準じています。

前回紹介した「茄子の話」は、⑥に収録されて⑤にはない文章です。ひょっとすると内容が尾籠なところに及ぶので、也有が清書本を作る過程で削除したのかもしれません。しかしそういう章が面白かったりするので、也有ファンとしては一編でも多くを読みたいものなのです。

「借物の弁」

今回は蜀山人が最初に読んで「あまりに面白かった」と興じた也有の「借物の弁」を現代語訳して読んでいきたいと思います。39歳の時に書いた文章です。

借物の弁

天上の月でさえ太陽の光を借りて照るのであり、露もまた月の光を借りて「つらぬきとめぬ玉ぞちりける」という具合になるのだ。昔、とある命(みこと)も兄君の釣り針を借りたという。まして人の世になってからはあらゆる道具を借りるようになり、貸し借りはお互い様だが、砥石だの挽臼だのといったたぐいは貸すたびに磨り減り、鰹節は借りられると背が縮んで戻ってくるのが悲しい。

「白露に風の吹きしく秋の野はつらぬき留めぬ玉ぞ散りける 文屋朝康」の歌は百人一首にも採用されていますから、ご存知の人は多いでしょう。最初からお得意の古典引用が全開です。

「兄君の釣り針を借りた」というのは記紀における山幸彦と海幸彦の話ですね。

こんな風に、天文気象や神話などの高雅なところから語りはじめて、いきなり砥石だの鰹節だのといった俗なところへ話を落とすのが、也有の語り術。

金銀の場合利子がついて戻ってくるので、元金を借りるのは難しくないが、返すのが難しいから、結局今は借りることも大変になっている。むかしある男は奈良の都の春日の里に狩に行ったというが、実のところは生計が成らず金を貸す人のところに行ったのだろう。そんな具合なのでやんごとなき殿上人である在原業平は深草の女に「野とならば鶉となりて鳴きをらむ狩にだにやは君はこざらむ」と詠まれて、「借りに来ざらむ」と理解して深草の里に深入りし借金漬けになったのである。

伊勢物語の挿話を借金の話に読み替えてしまうギャグです。 「奈良」を「成らず」、「狩」を「借り」に置き換えるという駄洒落。「むかし男ありけり」と言われたむかし男(在原業平を想定)は、伊勢物語において奈良に狩に行ったり深草の女から狩に来てくださいと言われたりしたのだけれど、それを実は「借金をしに行ったのだ」とこじつけてみた。

鬼のように強そうな侍も、霜月ごろになってくると地蔵さんのようなまろやかな顔になる。「たのむの雁」ならぬ「返済を延ばしてくれと頼む借り金」は、「尾羽うちからし」たために「春が来ても帰らない・返せない」。

年末には掛取りが借金の返済を迫ってくるので、そのひと月前の霜月ぐらいから侍も何とか勘弁してもらえないかと愛想笑いをし始める。伊勢物語に「みよし野のたのむの雁もひたぶるに君がかたにぞよると鳴くなる」とあるのをパロディにして、返済猶予を頼んでいる図に見立てます。雁は春になると北へ帰るけれど、借金は春になっても返せない。

「狩」や「雁」を「借り」に読み替えるというのは、蜀山人自身もやっています。也有から拝借したアイディアかもしれません。「かりがねをかへしもあへず桜がり汐干がりとてかりつくしけり 四方赤良」

「この世は仮の宿であるから執着するな」と人に説教する出家たちも、仮の宿では借りを作らないとやっていけない。盆と暮の台所には借金取りの衆生が来て、高位の長老でもこれを拝んで返済猶予を願う。またある寺では、すぐれた知識を身につけ――その知識とは金儲けの知識だが――こちらは自分から金を貸し付け、期限の返済が滞れば、貧しい檀家を責めつけなさる。金を借りるのも貸すのも、どちらも仏の御心には合わないのではないだろうか。

僧侶は衆生のために祈るのが仕事なのに、逆に衆生を拝んだり借金で痛めつけたりしている。仏教を批判しているというよりも、逆説を面白がっているような感じですけれどね。 

そもそも孔子の弟子の顔回は、一杯の飯、瓢箪一杯の酒で暮らし、貧しい生活を楽しんでいたという。それなのに今の人々は借金の山を築いて、際限ないほど苦心している。「百歳までは生きない身、さほど悲しんでいてもしかたがない、一寸先は闇の世だ」などと放言し腹を叩いて、「自分は貧に甘んじている」などと顔回の真似をして貧しさを楽しんでいるかのようなことを言うのは、苦しみをまぎらわすためのまじないみたいなものだろうが、実際のところ心得違いである。

このへんは借金を戒めて、真面目な調子です。尾張藩主だった徳川宗春が贅沢好きで、そのせいで藩の財政は借金の山となり、前年に幕府から隠居を命じられてしまいます。也有がこの「借物の弁」を書いたのも、ひょっとするとその苦い経験を噛みしめようとしたからかもしれません。

この世にある人が、衣服や調度をはじめとして、人並ではないと恥ずかしいと思って、そのために金を借りて、それで世間の恥はつくろえるかもしれない。しかし人から物を借りて返さないのを恥と思わないのは、傾城がお客の前では飯を食う口元を見せるのを恥ずかしがるのに、嘘をつく口を恥ずかしいと思わないのと同じである。
かく言う私も、借金していないわけではない。貸してくれる人がいるならば、誰でも仮の浮世に借りますよ。金銀道具はもとより、借り親、借り養子もやりよう次第だが、女房だけは貸し借りができない世の掟こそありがたいことである。

  かる人の手によごれけり金銀花

也有自身も借金に苦しめられた経験があるようです。

「借り親(仮親)」というのは結婚の場合などに家柄を整えるために養子にしてもらうこと。「借り養子(仮養子)」は一時的に相続人を指名する必要がある場合に仮の養子をとること。

「女房だけは貸し借りができない」とは、ひょっとすると也有サンは「俺の女房を誰か借りてくれないかなあ」と思っていたかも。女性たちから総攻撃を受けそうな問題発言ですが、文句がある人は私ではなく也有に言ってください。

最後の句、「金銀花」とはすいかずらの花。白い花がやがて黄変するので、金と銀が混ざったように華やかになることから、この名を得ました。