連作『マリー・ド・メディシスの生涯』より
俳文とは何か
今回で横井也有の俳文集『鶉衣』を読んでいくシリーズの4回目ですが、そもそも「俳文」とはどんな文章のことなのでしょうか。
よく誤解されるのですが(とくに海外でそう誤解されるのですが)、俳文とは散文と俳句を組み合わせた文章ではありません。これまで見てきた「茄子の話」や「餅を語る」には発句は全然登場しません。
俳文とは何かについては、芭蕉が去来宛の書簡の中で説明しており、簡単にまとめると「実用文の反対である」ということを言っています。実用文とは、記事、論文、説明文、史書など何らかの目的を持って書かれたものでしょう。逆にはっきりした目的を定めずに文章の味わいだけを楽しむのが俳文ということになりましょうか。ただし小説的なものは含まれませんし、また内容的に俳諧的な要素--現世的な名誉・利益・華美などを度外視し、卑俗で簡潔で貧しいものに積極的関心をもつ--を有することが条件とされると言っていいでしょう。
俳文には芭蕉の『幻住庵記』のような格調高い真面目なものもありますが、『鶉衣』のように自由でくだけたスタイルのものもあり、一茶の『おらが春』のように日記的な体裁をとったものもあります。厳密な定義は難しいジャンルかもしれません。
「臍(へそ)の話」-かいま見える也有の本音
今回は「臍の話」(原題「臍ノ説」)と「臍をほめる」(原題「臍ノ頌」)の2つの文章を読んでみたいと思います。どちらも57歳ごろの文章です。前者は臍の悪口を言い、後者は臍をほめてみせた文で、セットになっている2編。後者は前回の冬野虹の文章にも出てきましたね。
「臍の話」のほう、実は稿本と板本ではテキストが一部異なっています。その違いの中に也有の本音が見え隠れして、非常に興味深い俳文です。
臍の話
世を捨てた法師(吉田兼好)が物くれる友を良い友のうちに数えたのは、かの人が書いたにしては似つかわしくない気がするが、よく考えてみれば、法師の庵では一杯の食事を用意するのさえ咳の苦しみに邪魔をされ、吸い物に入れる藜も冬には枯れてしまう。物をくれる友がとりわけうれしい日もあったのだろうか、あるいはくれた物を喜ぶのではなく、くれる心に欲がないことを喜ぶのだろうか。
私はこのように世を捨てたけれども、ありがたき俸禄を代々いただいてその恩恵の陰に養われるので、凍えたり飢えたりする心配はない。ただ虫干しや掃除の面倒もないようにしたいと思って、無用の物を溜めないようにし、置いてある調度品も最低限使うものだけにして、ひとつの用事に使う物が多いのを嫌い、一つの物を多くの用事に使うようにしている。杓子は定規にならないが煙草箱は枕となり、頭巾で酒は漉さないが炬燵のやぐらは踏み台には使える。
『徒然草』117段の中で吉田兼好が「よき友」の筆頭に「物くるる友」を挙げたのは、侘びを重んじた兼好に似つかわしくないというので、昔から非常に問題とされてきた個所です。也有もそこを不思議がっています。
「杓子は定規にならないが」というのは「杓子定規」の熟語をもじった駄洒落。「頭巾で酒は漉さないが」というのは、陶淵明が濁った酒を自分の頭巾で濾して飲用とし、そのあとでまた被っていたという話を引いたもの。也有の淵明への愛がほのめいています。
さて、臍がなかなか出てきませんが、どうなるのでしょうか……。
そもそも一つの物を多くの用途に使って物を省略するというのは、天地開闢以来考慮されてきたことである。見てみるがいい、鼻は呼吸を通わせると同時に匂いをかぐ用途を兼ね、口は飲食しながら言語を発する用を兼ねている。天がもし人間をもっと立派にしようとして、二つの鼻を与え、目を三つも四つも付けたならば、「親の因果が子にめぐり」とばかり御開帳の日に出る芝居小屋の見世物にされてしまうだろう。そうならないのは、天が余計なものを付けないからである。また鼻柱は眼鏡の台にもなるし、耳が笠の紐を結びつける個所となるといったたぐいのことは、天の道理に従ったもので聖人もそのことを教えたのではないだろうか。
その中にあって臍というものは、蓬生のかげにかくれて、表に出す飾にもならず、何の益にもならない道具であって、長いことなぜそんなものがあるのか不審の思いが晴れなかった。
肉体の器官はたいてい1つで2つ以上の機能を持っているのに、臍は何の役にも立たない。臍はけしからんと言いだす也有です。これがこの文章の本題ですが、ここまで来るのに吉田兼好やら陶淵明やら、大げさに遠回りするのが笑えるところ。まさに実用文の反対を行く語りです。
「臍というものは、蓬生のかげにかくれて」というのは下の毛を連想させますね。ニヤニヤしながら書いたことでしょう。「表に出す飾にもならず」とありますが、今日のへそ出しルックを見たら、也有さん卒倒するかもしれません。
今、このような生活になってようやく理由がわかった。確かに臍は、天地開闢の時にこちらからお断りを言いにくい方からいただいた貰い物なのだろう。それはどういう理屈かというと、私はかく不要の物を置くのを嫌っているのだが、飲み食いする物や使ってしまえば後に残らない料紙のような物はうれしい時もあるだろう。そうではない調度のたぐいについて、「これは趣向が風流だ、こちらは細工が面白い」などと言いながら人がくれる物があるのだが、こちらが望んでいるふりをして頂戴しないと相手の心を害する。そうは言ってもうれしい顔をしてもらってしまうと、一つ二つと物が溜まってしまうのがまことに心外だと思うのだが、どうしたらいいものか。
ここに世の例を考えてみると、昔、西行が鎌倉で源頼朝に呼びとどめられて、銀製の猫をもらったのだが、帰りに門前にいた子どもにくれてやって去っていったそうだ。この人の気持を想像するに、王侯や将軍にこびへつらう心などあるはずがない。だが猫は要らないとは言いかねて、その座では受け取って頂戴したので、門前までは携えて出た。
このことから私自身の場合について考えると、私はまして行脚の僧ではなく、わが子の禄で命をつないでいるのであるから、さすがに人の心を傷つけるわけにはいかない。これはただ、かの臍と同じである。また臍とはこうした理屈で付いているのではないか。
さて、ここでこの文章の隠れた主題が出てきます。それは「迷惑な贈り物」についての話。モノなんかほしくないのに、勝手に持ってこられるのをどうしたらいいかと悩んでいます。人間にとっての臍とは、天から与えられたそうした相手勝手な贈り物の一つなのではないかと、無茶な理屈を言い立てます。
このような具合で、今の私にとって良い友を三つ数えるなら、「物くれぬ人」「物たのまぬ人」「物とがめぬ人」であり、面白くない友を三つ挙げると「挨拶がやたら丁寧な人」「一向に物をわきまえぬ人」「人に利口に思われたがる人」である。そうした感情は表には出さないようにしているが、遁世した身からするとそれもむずかしい。面白くない友には、心の中で白眼を剝いて対座するであろう。
吉田兼好の向うを張って、也有にとっての良い友を3種類挙げています。そして面白くない友も3種類。これを見て興味深いのは、也有にとって好ましい人というのは「人の生活に干渉してこない人」なのです。逆に彼が嫌うのは「他人をしつこく構う人、自分を売り込んでくる人」です。そういう嫌いな奴には心の中で白眼を剝いてやるとまで言っています。ここに、也有の人生観がはっきり出ています。彼にとって重要なのは自分の生活の自由を守ることであり、それを侵害されることに強い警戒感を示します。
ところでこの最後の段落は、也有自筆本にだけ見られるもので、板本のほうでは脱落しています。つまり、稿本を底本とする『横井也有全集』では読むことができますが、板本を底本とするほとんどの市販の『鶉衣』からは抜けているのです。
これはどういうことか、私なりに推理すると、也有自身が何度も清書稿を作り直しているうちに自分で削ったのではないでしょうか。板本の編集に関わった紀六林や大田蜀山人が勝手に修正したとは考えにくい。也有は自筆本を何回も書き直しているので、その中で推敲を行ったと考えるのが自然ではないでしょうか。板本に使ったのは最終稿ですが、全集には初期稿が使われたのではないか。
なぜ也有はここを削除したのか。それはどうもこの段落が攻撃的で、「余計なことをするヤツは白眼で睨んでやるぞ」という言いかたが読者を傷つけるかもしれないと懸念したのではないかなあ。読んだ知人が、「あれっ、これオレのことを言っているのかな」とか気にするかもしれない。
しかし削除したのは、それこそ也有のむき出しの本音がここに表れているからではないかと考えることも可能でしょう。自分の露骨な感情を、ユーモアと韜晦でくるんで隠してきたのですが、ここで思わずポロッと生の形でそれが出た。後になってから気づいて修正した。削除したから重要性がないのではなく、削除したところにこそ核心があると私は見るのです。
結局のところ、この文章は臍のことを語っているのではなくて、臍にかこつけて最後の段落のようなことが言いたかったのだろうと私は考えています。
「臍をほめる」
続いて、上の文章とは逆に臍をほめた文章を紹介します。
最初からこの2編をセットにして逆のことを書いてやろうと狙っていたのか、それとも「臍の話」を書いた後で、どうもユーモア不十分だった、テーマをひっくり返して書き直し、笑いをとろうと思ったのか、どちらかはわかりません。
臍をほめる
臍は要らないものであるとは、私も悪口を言った人間の一人である。そういうのは、他人の欠点は一寸のものでも見えるが自分の短所は一尺でも見えないということわざのとおりであった。世の中で役に立たないものを比べるならば、まず自分こそその筆頭であろう。
そもそもかの臍は、物を食うだろうか、いや食いはしない。だから無駄飯食いと言われることもない。それなら物を言うだろうか、いや言いはしない。だから口を三重に塞がれるというようなこともない。私はこの世にあって物を消費しているが、臍はそれに似るべくもない。
人の身体の部分で不要なものと言えば、男の乳には益があるようには見えないけれども、いまさら臍や乳を取り去ってしまったら、腹は荘子の言う渾沌王のような風貌になってしまって、のっぺらぼうで味気ないものとなってしまうだろう。
今回は打って変わって臍の賛美です。臍はあってもムダなように思えますが、腹を手術して臍が無くなってしまった人が、やはり無いと恥ずかしいというので整形手術で作ってもらったという話もあって、たしかに人間には大事なものです。
渾沌王というのは荘子に出てくる耳目鼻口がない王様のこと。他の王様が穴を開けてやったら渾沌王は死んでしまったというお話で、人間の小賢しい知恵を否定したたとえ話なのですが、也有はこれをひっくり返して穴のあいていない渾沌王は味気ないよねと冗談を言っています。
さてこの臍は、急な病気で死にそうになって手の打ちようがない時に、とりあえずといってここに灸を据えると、あの世への旅立ちを押しとどめた例も多い。「ただ頼めしめじが原のさしも草われ世の中にあらむ限りは」というが、「原(腹)」には「さしも草(艾)」が効くから「ただ頼め」と詠んだのであろう。
「原」を「腹」に読み替えて和歌を冗談にしてしまうのは、也有の得意の手口。
古代中国の項羽将軍の力が山を引っこ抜くほどであったと言われるにしても、「臍のごまを取ると力がなくなる」という俗説がある。漢文の古語では後悔することを「臍をかむ」と言い、日本では他人を嘲笑するとき「臍が笑う」という。一方ではしまり屋の隠居がいて、「臍くり」というのを溜めるから、天のかみなり様も臍を好もしく思ってつまみ取ってやろうとするようになり、そのせいで女や子どもが雷を恐れることといったら、ジャコウジカが狩人を恐れること以上である。
かみなりさまが臍を取りに来るのは、へそくりを狙っているからだという、突拍子もない屁理屈。
昔芭蕉翁が故郷に帰って、「古郷や臍の緒に泣くとしの暮」と詠み懐旧の情から袖を涙で濡らしたのだが、臍の代りに耳とか鼻とか言ったのでは及びもつかない。
臍はこのように俳諧においても大きな功績があるのだが、自分ごとき者はそれにひきかえ何にたとえることができようか。臍を私より下だと言うのはおこがましいが、私もまた臍の下であると言ってしまうと何となく場所が悪い。臍に並ぼうとしても、太陽が二つ無いのと同様、腹に臍が二つあったためしがない。そうであってみれば、上下の品評はやめて、今日から臍の悪口を言わないようにしよう。
友とせむ臍(ほぞ)物いはゞ秋の暮
也有が臍の下に行ってしまったら大変だ~。というわけで、最後はちょっとエッチな方向で締めくくっておしまい。