2022-08-26

俳人・連句人・能楽愛好者のための寄合入門(5)-発句の場合


飯島耕一『『虚栗』の時代』

発句と「付合」-西鶴の場合

ここまで寄合(付合)が連歌・謡曲・連句でどのように利用されてきたかを見てきました。では最後に、発句の中では付合がどう用いられていたかを、井原西鶴を例にして見ていきたいと思います。

連句の場合は前句と後句が付合語によって結ばれたわけですが、発句の場合は一句の中に付合関係にある二つ以上の題材が埋めこまれることになります。

では、西鶴の発句です。

蛤や塩干(しおい)に見へぬ沖の石

「汐」に「蛤」が付合。百人一首にも収録された二条院讃岐の「わが袖は汐干に見えぬ沖の石の人こそ知らね乾く間もなし」のパロディです。「干潮でも見えない沖の石・・・ありゃ違った、見えないのは石じゃなくて蛤だった」とひっくり返してみせたパロディ句。ひょっとするとエロ句? (「見へぬ」は「見えぬ」が正しい表記)

脉(みゃく)のあがる手を合してよ無常鳥

奥さんが亡くなった時の句。「無常鳥」はホトトギスの別名。俳諧類船集には「郭公(ほととぎす)」の付合に「死出の山」が挙がっています。死後の世界に通じるというホトトギスよ、脈の止まった妻の手を合掌させてやってくれ、という句。

以下、句意の説明は略して付合語だけを赤字で表示してみます。

花にや暮れて無常を観心寺
二のや一もり長者箕面
きげん方(はう)是も庭鳥あはせ (奇験方=瘡の薬)
ぞ時をしらざる山卯木
古里やに匂ひける(かや)のから
荒し宿やびんぼうまねく
/\の朝也夕食(ゆふげ)也
人の気に船さす池の(はちす)哉
竿持すに年の暮
や不断時雨るゝ元箱根

これらは一例ですが、西鶴が発句の内部でもしばしば付合を使用していたことがわかります。これは西鶴が、定番のマンネリ題材を好んでいたことを示します。彼は「梅に鴬、松に雪、藤に松、紅葉に鹿、花に蝶、水に蛙というような決まった付けをするのが正しい道である」と言っています。同時代の芭蕉が付合の類型化した発想を避けようとしたのとは、まさに正反対の方向だと言えるでしょう。当時の風潮としては、芭蕉よりも西鶴のほうが俳壇全体の志向に近かったのではないかと考えられますが。

芭蕉と其角ではどちらが新しかったのか

さてここで、松尾芭蕉の有名な

古池や蛙飛こむ水のをと

の句について考えてみましょう。 

この句は最初、「蛙飛こむ水のをと」の部分があって上五が定まっていなかった。弟子たちに「上五はどのような表現がよいか?」と尋ねると、其角が「山吹や」ではどうかと答えた。芭蕉はそれを退けて、「古池や」と定めたとされています。

ここで注目されるのは、「山吹」と「蛙」は寄合であり付合でもあったということです。連珠合璧集と俳諧類船集から、「山吹」の項目を見てみましょう。

山吹トアラバ、八重山吹
花色衣 いはぬ色 とへどこたへず 口なし 河津鳴 井でのさ名所猶多  あがたの糸井戸  事のはしげき 連珠合璧集)

款冬ヤマブキ) (一名)おもかげ草
霞の笆 鴬  衣の色 井手の玉川 吉野川 清滝川 蛤 河辺 宇治の川頼 神なび川の岸 橘のこじま 木曽殿の妾 鮒なます 真かね 水無
しろききぬやまぶきなどのなれたるきてとは紫上北山にての事也。
かはづ鳴まのの池辺を見わたせば岸の山吹花さきにけり。(後略) (俳諧類船集)

其角の案について、支考は「山吹といふ五文字は風流にしてはなやかなれど、古池といふ五文字は質素にして実(じつ)也。実は古今の貫道なればならし」と記述しています(各務支考『葛の松原』)。其角は定番の「山吹-蛙」の組み合わせがいいのではないかと考えたのに対し、芭蕉は常套を排して実感を重視すべきだと考えた。ここだけ見ると、其角は西鶴同様に守旧的で芭蕉は革新的というように見えます。

しかしこれを、其角の側から考えてみましょう。この句のポイントは、蛙が飛びこむ水の音を描いたというところにあります。和歌や連歌では、蛙は鳴き声を賞美すべきものだとされていた。それをひっくり返して「飛びこむ音」に注目したのが大発見。其角からするとその点だけで十分、それ以外の部分は既成の常套表現を使ったほうが、芭蕉の発見がきわだつと思ったのではないでしょうか。

こうした其角の考えは、「既製品(レディ・メイド)」についての現代美術の思想を連想させます。マルセル・デュシャンという美術家は、たとえば市販の便器に「泉」という題を付けてそのまま展示したり、モナリザの安物の絵葉書にヒゲを書き加えて彼女はお尻が熱い」という作品を発表したりしました。こうした彼の試みは、「芸術の真の価値は作品の中だけにあるのではなく、作者の見かた、あるいは鑑賞者の見かたそのものの中にある」ということを主張したと思われます。あらゆる芸術は見かた次第だ、ということです。デュシャンの思想は大きな影響を与え、アンディ・ウォーホルはスープの缶をそのままのっぺりと描いたりマリリン・モンローの写真を利用した版画を大量生産したりしました。ジャスパー・ジョーンズは銃の標的星条旗を絵の題材としました。

其角の俳諧では、古い伝統的な表現を再利用し、その一部を壊すことで元の世界をひっくり返そうとするやりかたをしばしば見ることができます。デュシャン的です。芭蕉のように根本から写実的に描こうとするのではなく、既製品を利用しながら内容を換骨奪胎する方法です。そのようなデペイズマン的手法が現代のダダイストの興味を引き寄せ、たとえば加藤郁乎のような其角支持者を生んだと言えるでしょう。

芭蕉は俳諧に独創性をもとめ、個性の実現を追求した。そのために、より現実に接近することをこころざした。対して其角はレディ・メイドの中から新鮮な視点を掘りだそうとした。さて、芭蕉と其角ではどちらの考えが現代的なのでしょう。あるいは、「古池」と「山吹」ではどちらが発句として優れているでしょう。それについては、ここでは答えを保留したいと思います。皆さん自身が考えてみてください。

詩人の飯島耕一は、次のようなことを書いています。なかなか含蓄のある言いまわしだと思うので、ここで紹介しておきます。

「古池や」はたしかに面白い句であるが、「山吹や」も捨て難い。そういう視点を持たないと其角びいきにはなれないのだ。 
「古池や」を玄妙な、さらに幽邃な境地を詠んだ句と見るか、和歌にあっては蛙は山吹とともに静かに詠まれるべき題材であって、それを古池にポチャンととびこませたりする、芭蕉の滑稽好みの句と見るかは、一つの句解釈のわかれ目というものである。
  --飯島耕一『『虚栗』の時代 芭蕉と其角と西鶴と』より