2022-12-28

横井也有 荷風も認めた名文家(5) 也有と一茶

 
やせ蛙まけるな一茶是にあり
(東京都足立区のマンホール蓋)

也有と一茶は似ているか?

前々回に、高浜虚子が也有句について「その句は概して軽妙、滑稽を主としたものでありますが、一種の趣を蔵しておって後世の一茶を思わしめるような所がないでもありません」と書いていることを紹介しました。

たしかに也有と小林一茶は、ともに世の中を反対側から眺め、人間の滑稽な姿を描き、卑俗な題材を遠慮なく取り上げるという、俳人として似かよった部分があります。しかし両者には決定的に違うところが一つあります。

也有が諧謔的にものごとを見るのは、人間というのはみんな同じようなものだと観じているからです。「侍も農民も、金持ちも貧乏人も、若い美女も長屋のおかみさんも、しょせんはみな一緒。誰でもオナラをするし、おなかが空くし、自分勝手だし、最後はお墓に入るのさ」というように考えるからです。

也有が人間の等しさを言っていると思われる発句を挙げてみましょう

仏さへ生れた時は木下やみ

釈迦の誕生日(灌仏)は4月8日で、江戸時代の旧暦では初夏の季語だったということに注意が必要です。お釈迦さんが生まれたときも世には闇があったんだよと、仏をからかってしまうところに、人を特別視しない也有の見かたが出ています。

大名は日当(ひなた)を通る暑(あつさ)哉

「日陰者」の反対で大名はいつも日の当たるところを通るのですが、この暑さではそれも大変だねえと、偉い人をからかう感じ。

分限者の子に下手のある躍(をどり)かな

分限者(ぶげんしゃ)とは富豪のこと。金持ちの子はすべてに恵まれているように思うけど、運動神経は悪かった。なにもかも思うようにはいかないものさ。

辻番も一もと菊のあるじかな

辻番というのは今で言えば交番のお巡りさんとかガードマンといった人ですが、辛い仕事の人でも菊を一鉢大事にしている。その一鉢が、殿様の豪華な菊の庭にも劣らない貴さであることよ。

蕣(あさがほ)の世にさへ紺の浅黄のと

たかだか朝顔の世界にも、やれ紺が良いだの浅黄は貴重だのと種別がやかましい。人間が家柄だの身分だのをうるさくいうのも、これと変わらない話、馬鹿馬鹿しいと也有は言いたげです

強盗(がんだう)もとがめず雛の犬はりこ
盗人の捨たもそへて大根引

也有には盗人や強盗を扱った句が多い。やっていいとは言わないが、世の中にそういう人間がいるのは理解するといったところでしょうか。

野送りをけふも見て居る案山子哉

人間誰でも最後は野辺送りであの世行き。案山子だけがいつもそれを見ている。

このように、也有は上流階級も下層の人々も結局は似たようなものであり、醒めた目で見ればどちらも同じ人間、大差はないと考えるのです。

ところが一茶は...

ところが一茶の場合は、強い者と弱い者、金持ちと貧乏人はけっして同じではない

やせ蛙まけるな一茶是にあり  一茶

太った蛙と痩せた蛙は同じではない。そして一茶は痩せ蛙のほうに味方するのです

づぶ濡の大名を見る巨燵(こたつ)哉

上の也有の「大名は日当を通るあつさ哉」に似ている句です。しかし也有にはからかいの気分があるのに対し、一茶のほうには「ざまあみろ」という反感がより強く見てとれます

涼(すずま)んと出(いづ)れバ下ニ下ニ哉
花陰も笠ぬげしたにしたに哉

涼もうとしても、あるいは花を見ていても、「下に下に」と言って大名行列がやってきて這いつくばらせられる。偉そうな大名と土下座する庶民との対比

武士(さむらひ)ニ蠅を追(おは)する御馬哉
春雨や侍二人犬の供

さむらいという階級自体、一茶から見れば上位の身分ですが、そんな武士も殿様の馬の蠅を追ったり、二人がかりで犬の供をさせられたり。上の奴にはさらに上がいて、人をこき使う。

御仏や銭の中より御誕生

灌仏の際には誕生仏の像が飾られ、賽銭が要求される。尊げな顔をしていても仏様も金集めかいという皮肉。

也有の俳諧には、現実を諷刺してもその中に諦念があり、達観が見てとれます。結局人間、死んだら一緒だよという。しかし一茶の場合は現実とはそう簡単に諦めきれるものではありません。この世の身分差や生い立ちの差に何としても納得がいかない

孤(みなしご)の我は光らぬ蛍かな

と自分の不幸を嘆いてみせる。

二人はどちらも娘を亡くしていますが、そのときの両者の句を以下に見てみましょう

娘におくれし頃
蓑虫よ父もこひしと泣く物を   也有
同じく百ケ日に
一日の花も帰らず百日紅
 
露の世ハ露の世ながらさりながら 一茶
さと女笑貌して夢に見えけるままを
頬べたにあてなどしたる真瓜(まくは)哉

どちらの句も悲しみにあふれていますが、一茶が身も世もなくという感じで慟哭しているのに対し、也有のほうは「蓑虫はちちよと鳴く」という俗説を利用するとか、一日と百日を掛け合わせるとか、俳人としての立場を押さえた句作りになっています。

一茶の娘さとは彼が55歳のときにやっと生まれた初子で、翌年には病没してしまう。いっぽう也有は二男三女に恵まれており、次女さいはとにもかくにも19歳まで生きて他家に嫁して後の死でした。それだけ悲しみの量にも差があったでしょうが、それだけではなく、現実重視の一茶と醒めた也有の世界観の違いが微妙に弔句に反映しているように思えてなりません。

也有が弟の藤次郎を失った際の句に

弟の武州にて失ける悼に
鳳巾(たこ)きれてはかなき風の便かな   也有

があります。この句にはいちだんと諦観、無常観が濃く見えますね(藤次郎との関係については後述)

也有の境涯

人間を皆同じようなものだと見る也有と、現実の格差を糾弾する一茶の違いは、二人の生まれ育ちの離れ具合が大きく反映していると考えざるをえません。尾張徳川家の臣下であった横井家と、地方の農家の息子で継母と折り合いが悪く家庭に恵まれなかった一茶の境遇の隔絶です。

しかしだからといって、也有を上流階級代表であるかのように見るのは間違いだと思います。横井家には先代からの借財があって、それを返済するのにはかなりの苦労があったようです。

この点で注目されるのが弟の藤次郎の件で、実はこれは也有の父、横井時衡(ときひら)が51歳のとき、20歳年下の下働きの町娘に手をつけて生ませた子なのです。也有と弟とは24歳も年齢差があり、しかも弟が生れて3年後に時衡が死去したので、父親代わりとして諸事面倒を見ることになったのでした。

借財の原因が何であったかはよくわかりませんが、このような行状を見るからに、少なくとも父・時衡が返済に熱心であったようには思えません。

だいたい公務員というのは昔も今も、身分は安定しているものの、まっとうに勤めている限りそう抜きんでた収入を得られるものではないでしょう。也有自身、若いころは家に金がなかったので、金持ちの家に頼みこんで俳書を見せてもらったということを書いています。也有には也有なりの苦労があったということです。

也有と一茶を比べて、どちらが上でどちらが下と比較する必要はないと思います。私にはどちらも貴重で、どちらも面白い。諦観も、現実主義も、どちらも良いではありませんか。

しかしWikipediaで「小林一茶」を調べると、膨大な解説が載っているのに、「横井也有」の記事は短めなのが残念なんだよなあ。永井荷風が「日本文の模範」とまで評した大文筆家なんだから、もう少し記述があってもいいと思うのですが。

次回は「横井也有100句選」をアップします。

2022-12-27

横井也有 荷風も認めた名文家(4) 掟破りの作句術


石川淳『江戸文学掌記』

タブーを超えた也有の句

也有の発句を読んでいて驚かされるのは、俳句入門書で「こういうことはやってはいけません」と書いてあるタブーを平気で踏み破っていることです。踏み破っているからダメな句だと断罪できれば話は簡単なのですが、そういう発句がめっぽう面白い。

どういうタブーかというと、擬人法、見立て、トンチ、季重なりといった、一般に良くないと思われる手法を堂々と使うのです。私も、他人の俳句を批評するときに「この句は安易な擬人法で幼稚だ」「見立て俳句は詩的ではない」などと批判的に言うことが多いのですが、也有の場合はその常識が当てはまりません。なぜ例外なのかを、一つ一つ考えてみましょう。

まず擬人法ですが、これがなぜ幼稚になりがちかというと、動植物や物体を心あるもののように見るのは、自分の見かたや気持をそれらに押し付けていることになりがちだからです。「カラスなぜ鳴くの、カラスの勝手でしょ」という替え歌がありましたが、まさにそのとおりで、「カラスはこういう気持に違いない」というように擬人法で表現するのは、自分の思い入れたっぷりの小主観をさも大したことであるかようにもてあそぶだけに終わりがちです。也有の場合はどうでしょうか。

我とわが蛻(カラ)や弔ふ蟬のこゑ

蝉が鳴いているのは自分の脱ぎ捨てた殻を弔っているのだという。実に馬鹿馬鹿しくて笑えますね。蝉が弔っているというだけで擬人法なのに、殻が死んでいると見るのは二重に擬人法です。こういう句を読むと私は

空蝉を拾い跡見る見損かな  永田耕衣
落蝉や誰かが先に落ちている

などを思い出します。耕衣の場合は擬人法ではありませんが、蝉のことをナンセンスに描いていているところが共通していて、おかしく面白い。 

さみだれや蚊遣りも雲に成たがり

蚊遣火の煙が雲になりたがっているという。極小のものと極大のものを組み合わせたところが常識を絶した発想でびっくり。笑えますねえ。

風止(やん)で本気にかへる柳哉
すゝ掃の跡や鼠のさびしがる

このあたりの句になるとやや俗臭があることは否定できませんが、それでも愉快で読む人を楽しい気分にさせてくれます。前句、柳は風に揺れているのが本来の姿だと人は思いがちだが、揺れているのはラクをしているのであって風が止んでこそ柳は本気になる。後句、年末に大掃除をして人間は気持ち良いが、鼠にとっては住み家が荒らされたようなものだ。逆転の発想です。

このように也有の擬人法にはユーモアがあり、発想が飛躍しているという美点があります。下品さや気どりがありませんし、押しつけがましい主観の強制にはなっていないと感じるのです。

次に見立て。これは比喩の一種でありますが、純粋に形態や性質を何かにたとえるというだけではなく、そこにストーリーというか理屈というか、落ちを用意する方法と言えるでしょう。下手をすると大喜利のようになります。

鼻かむで捨たる果や白木槿

たぶん八重の白木槿だな。人が美しさを賞美する木槿を捨てチリ紙に見立てたところが滑稽。

質屋へも通ふこゝろや土用干

干してるものを見ると、なんだか質屋に出すものを見繕っているような気がしてくるぜ。優雅ではない方向に徹底的に風景を落とすところが愉快。

蓮の花ひらくや筆の莟より

これはきれいな見立てです。蓮の花を墨で描いている。まるで筆がつぼみのようで、そこから花が咲くように見えるというのです。

也有の見立てはウィットの切れ味がいい。情景の本質をパッとつかむような感じです。理屈だけで比喩を言うのではなく、いかにもそうだったのだろうなあと実感を伝えるような見立てなのです。表現にもってまわったところがなくて、声調よくズバッと断言しているところが、鮮明な印象をもらたらすのでしょう。

次にトンチ。トンチというのは、ともするとサラリーマン川柳のようになるのですが、也有の場合はどうか。

螢とる子供や昼は付木うり

子供は夜は蛍火と遊び、昼は付木(マッチみたいなもの)売りのアルバイトをしている。昼も夜も火をいじっているよという冗談です。実経験ではなくことばの洒落を楽しんで作った句でしょう。

炭うりや跡から白き豆腐売

これも同じような発想。炭売りの黒と豆腐売りの白を対比させて喜んでいます。

芋むしに啼(なく)音もあらばけふの月

梅に鴬、藤にほととぎすと、鳴き声のよい鳥は花と組み合わせて賞美されますが、芋虫もいい声で鳴きさえすれば名月といっしょに讃えてもらえるのにね。

見立てと同様、トンチの切れ味が鋭い。表現に迷いがなく、発想するスピードが速い。炭売りと豆腐売りの句など、色彩がパッパッと素早く切り替わる感じです。

石川淳の也有観

石川淳は『江戸文学掌記』の「也有」の章中で「也有の俳諧はすべて雑俳といいきってはどうか」と言っています。雑俳とは前句付や笠付など、いろいろ制約を設けたうえで面白おかしい表現技巧を競うもので、川柳も雑俳の一種だったと見ることもできます。石川は藤井乙男(紫影)博士の「也有の句が余りに雑俳趣味に傾いたのは、紀逸の武玉川や川柳の家内喜多留の影響もないではなかろう」という指摘を引用しています。

也有の俳諧をすべて雑俳と見なすことには賛成できませんが、享保の前後というのは雑俳が大いに栄えた時期であるわけで、『武玉川』や『家内喜多留(柳多留)』もこのころ刊行された雑俳の句集です。也有自身が雑俳の点者になることはありませんでしたが、当時の風潮の影響を受けていた可能性は大です。最初に「也有の句はタブーを平気で踏み破っている」と書きましたが、むしろ「擬人法・見立て・トンチ」等の手法は当時としてはタブーではなく流行だったわけで、それが後に下等視されるようになったとも言えるでしょう。

季重なりの句

也有の季重なりの句についても見ていきましょう。

私は季重なりの句に対してはきびしく批評するほうです。俳句は17音しかないのに、そのうち2つ以上の題材を歳時記の中から選んでくればいいのだったら、こんな楽なことはありません。それに季語というのは連想力が強い語であるので、複数あると句の焦点がぼけやすいという弱点もあります。

もちろん絶対に季重なりがダメだというのではありません。ケースバイケースです。しかし季重なりの句の比率が非常に多い俳人を見ると、「この人ラクをしてるな」と思いますね。

では也有に多い季重なりはどうなのでしょうか。

山寺の春や仏に水仙花

水仙は冬の季語ですが、ここでは「春」と季重なりになっています。これは「すでに春であるが、山の中の寺は寒いのでまだようやく水仙が咲き始めたところである」ということを言っているわけで、山の冴えた空気を強調するためにわざと季重なりにして、平地との季節感の違いを表現しているわけです。

憎い蚊と同じ盛のほたる哉

蚊と蛍が季重なり。これは蛍を賞美したいが蚊に刺されるということで、同じ季節に良い虫と迷惑な虫がいるということを滑稽に言ってみせた。季重なりで二つの虫を比べること自体が句のねらいになっている。

犬ひとつ鹿めく庭のもみぢ哉

鹿と紅葉は、花札でわかるとおり典型的な定番組み合わせですが、庭の紅葉に犬がいると鹿みたいに見えるぜとおどけてみせた句。

このように、也有の季重なりは季語同士をぶつけるということが句のテーマになっている。必然性がある季重なりであり、けっして楽をするために季語を乱用して俳句を作っているわけではない。

現代において、写生的な作風なのに季重なりを乱用するような俳人はいかがなものかと思いますが、 也有の場合は季重なり自体が諷刺表現をねらいとしているので、それとは一線を画していると言えるでしょう

也有の価値

也有の発句をひとことで評するとすれば、「頭がいい人の句だなあ」ということになります。もし物の見かたがもうすこし低俗だったら、擬人法は鼻につく独り芝居になっていたでしょう。もしことばの切れ味が鈍かったら、見立ては小理屈に終わっていたでしょう。発想がぶっ飛んでいなかったら、トンチはただのオヤジギャグに帰結するでしょう。そしてつねにユーモアを忘れず楽天的であることが、彼の発句を愛すべきものにしています。

也有のような方法を頭の悪い人が真似をすると、とても見ていられない下品で愚かしいくすぐりに止まってしまいます。人間はともすればそうした下級のほうに流れやすいものです。前回述べたように、高浜虚子は俳句を大衆に普及する上で也有の爆笑俳句を排除し客観写生を主としましたが、そのほうが無難だからでしょう。写生のほうが嫌味が少なく、失敗しても不快な感じにはなりにくいのです。しかしその後ホトトギス派の花鳥諷詠の大勢はマンネリの袋小路に入ってしまい、今日では平板なただごと描写や小粒なデザインになりがちなように見える。そうした現在、也有の爆笑俳句もまた再評価されるべきではないでしょうか。

石川淳が「也有の俳諧はすべて雑俳といいきってはどうか」というのは、そういう考えかたもできるだろうといった程度の軽い問題提起だったろうとは思います。しかし也有を正当な俳諧からはじきだして別ジャンルに押しこめることには同意できません(雑俳そのものをいやしむつもりはありません。雑俳は雑俳で興味深い表現法です。なぜなら諧謔は俳句(俳諧)の重要な要素だからです。もし也有を俳諧の道から除外してしまったら、俳人たちはユーモアを忘れて、芭蕉の精神性や蕪村の審美性や一茶の境涯性のみが俳句の求める方向性だと思いこんでしまうでしょう。

違う言いかたをすれば、われわれが也有の俳句を常識破りと感じるとすれば、それはわれわれの感受性のほうが子規や虚子によるマインドコントロールを受けているためであるとも言えると思います。もともと也有の手法や精神は俳諧に含まれるものであった。それがホトトギスの近代的合理主義には適合しにくいものであったため脇に追いやられ、俳句の本道から逸れたものであるかのようにわれわれは思わされてきた。

ユーモアは想像力と表現の源泉として大切なものです。シェークスピアが喜劇と悲劇の両方を書いたように、あるいは能と狂言がお互いを補完しあっているように、一つのジャンルに真面目なものと笑いが同居することはきわめて重要なのです。悲劇ですらその裏にはウイットとユーモアの感覚が存在していなければなりません。

前々回、関悦史の俳句を引き合いに出して説明したように、也有の句には今後の俳句の祖型となりうるような可能性が多分にあります。彼の句を他ジャンルに押しやってしまうと、そのようなルートを断ち切ることにもなってしまいます。

也有もっと知られるべし。也有読まれるべし。このことを声を大にして申し上げる次第です。

次回は也有と一茶の比較をしてみたいと思います。

2022-12-23

横井也有 荷風も認めた名文家(3) 写実・繊細発句編

高浜虚子「俳句史」(『俳句読本』所収)

虚子の也有観

高浜虚子に「俳句史」という著述があります。山崎宗鑑以降の俳句(発句)の歴史を概観したものですが、この中で横井也有について次のように書いています。

俳句精神の堕落は享保年間にその極に達したのでありますが、その間特異な存在をなすものは横井也有であります。也有は尾張の藩士で、致仕して城南前津に卜居し、『鶉衣』以下多くの俳文を遺しております。その句は概して軽妙、滑稽を主としたものでありますが、一種の趣を蔵しておって後世の一茶を思わしめるような所がないでもありません。

「致仕」とは退職して隠居すること、「卜居」とは住所を移すことを意味します。

この数行の内容について検討すべき点があるのですが、とりあえず措いておいて、続いて也有の発句を12句挙げて紹介しています。たとえば次のような句です。

山寺の春や仏に水仙花
信濃路は雪間を彼岸参りかな
二三枚絵馬見て晴(はる)るしぐれかな
朝々の釣瓶にあがる落葉かな

さすがに虚子が選んだだけあって、どれも立派な句ですが、しかしここには前回紹介したような爆笑句は一句もないのです。花鳥諷詠、あるいは客観写生の枠内に入る、お行儀のよい句ばかりが並んでいます。虚子にとって都合よい選句ですが、こうなると私としては面白くない。也有と言えばゲラゲラ笑って読めるところが楽しいのであって、こういう正座した作だけなら、ほかにも詠める俳人はいくらもいる。

虚子の記事の内容についてはあらためて次回以降に考察してみたいと思いますが、今回は「写実・繊細発句編」ということで、也有の中でも折り目正しい発句を紹介したいと思います。虚子先生には今回の句のほうがお気に召しそうです

也有の写実俳句

出がはりや行燈(あんど)に残す針の跡

江戸時代、奉公人の雇用期間は半年または一年と定められ、3月と9月が契約終了日とされていました。つまり非正規労働者保護のため、最低半年間は雇用しなければいけないと決まっていたわけですね。3月に契約が終了し、新しい奉公人と入れ替わることを「出代」と呼んでいました(9月の交替は「後の出代」という)去っていった奉公人が、あんどんの紙に針の穴を残していった。暗いので、少しでも光量を上げて草紙本でも読もうと穴を開けたのでしょうか。細かいところを写実的に描いています。

蜘の囲のはしらによはき薄かな

クモの巣を家に見立てるなら、巣を張る草は柱といったところですが、ススキに張ったこの巣は弱そうだなあ。大丈夫かなあ

いなづまの明りは低し富士の雪

一転して激しく豪快な句。富士山の下のほうに雲がかかっていて、頂上は突き抜けて見えている。稲妻は下の雲の中を走っている。頂上の雪と低い稲妻の組み合わせが、玄妙にして美しい。
也有は参勤交代のお供で一年おきに江戸に赴いていましたから、富士山を遠くから近くから見る機会がありました

鐘つきのおこしてゆくや雪の竹

雪に埋もれた鐘撞堂。そこまで歩いて到達するだけでたいへん

老の腰摘にもたゝく薺かな

自分のことを詠んでいるととってもいいし、そのほうが自然かもしれませんが、他人を描いたと見ても面白い。じいさん、薺摘みなんかやるから、言わんこっちゃない腰を叩いてるよ

かたびらの背中放(はな)るゝすゞみ哉

汗でシャツがべったり身体にくっつくといやなものですね。かたびらとは薄い一重の着物のことですが、貼りついた着物がはがれた瞬間に涼しさを感じた。よくわかる、鋭敏な感覚の句です

秋来ぬと聞(きく)や豆腐の磨(すり)の音

豆腐作りは、早起きして前日水に漬けておいた大豆を磨り潰すところから始まります。今はグラインダーで磨るようですが、昔は臼を使ったのでしょう。じょりじょりって音がするのかな。響きが立秋の空気の中を伝わっていく感じ、聞いてみたい

しからるゝ子の手に光る螢かな

蛍がいてくれてよかった

花生に葉は惘然(もうぜん)と散る椿

椿の花は床に落ち、花生けに葉ばかりが茂っている。「惘然」は気がぬけてぼんやりしているさまですが、気がぬけたとは言っても葉の生命力は強そう。モウゼンという音がいいし、「惘」は「網」を連想させて網のように葉が広がっている感じもします。

馬かたの烟捨行(すていく)かれ野哉

馬方というと、煙管を持っていて暇な時は一服しているというイメージです。馬方がトントンと煙管を打ち付けて立ち上がり去っていく。「煙を捨てていった」と鋭い表現

幻影を描く也有

也有には写実の技量もあることがわかっていただけたと思います。一方で彼には、目に見えない幻影を描く方向性もある。

ないものゝ有物つゝむかすみ哉

この句なんか典型的。霞とそれが包む景色のことを描いているのですが、具体的なものは何も出てきません。「無い物」「有る物」の抽象的な対比だけ。こういうのって、現代美術みたいですごくモダン

傘にふり下駄に消(きえ)けり春の雪

春の雪が傘から下駄へと落ちる間に融けてしまう。牡丹雪のはかなさを巧みに描いて写実的でもあるのですが、「まぼろしのように消えていくもの」に着眼するところに也有の指向が出ています

夏立つや衣桁にかはる風の色

実際には夏になって衣替えして、そのため衣桁に掛けた衣の色も変わったということなのでしょうが、それを「風の色が変わった」と把握したところが鋭い。「風の色」という表現自体は中世の和歌にもありますが、衣桁に転用した発想がいい

影法師に綿を入けり後の月

自分が綿入れを着ているのですが、影法師に綿を入れたと見た

来べき宵蜘は告(つげ)ずも魂祭り

お盆には死者が家に帰ってくる。妖しげな虫であるクモはいつ魂が戻ってくるか知っていそうだが、それを知らせることもなく黙ってじっとしている。冷ややかで美しい句です

ひつそりと跡に秋あるをどり哉

盆踊りが終わって櫓も片づけられた。広場には何もない。ただ、本格的な秋だけがそこに残った。ぞくぞくするような感覚的な句
ちなみに、也有は「跡」が好きでこの字を使った句をたくさん作っています。「
すゝ掃の跡や鼠のさびしがる」「引越た鍛冶やの跡の寒かな」「あし跡を浪にとらる ゝ千鳥かな」など。消えてしまったもの、目に見えないものへの也有の嗜好がよく表れていますね。

客が来て置て行(いき)けり秋の暮

これも似た発想の句。静かになったわが家にはただ秋の暮だけが残っている

耳におく霜や夜明のかねの声

夜明けの鐘の音のさむざむとした様子を、「耳に霜を置いている」と表現した。ものすごくシャープな感覚。

どうですか、爆笑の発句だけではなくて、しみじみとしたいい句も也有にはたくさんありますね。

ところで、也有の句には仮名遣いの間違いがけっこうあります。私は必然性さえあれば俳句の表記は正書法どおりでなくても良いと考える者ですが、彼の場合は必然性があって意図的に誤記しているわけではなさそうです。原句どおりだと意味がわかりにくい個所もあるので、直してあることをお断りしておきます。

也有の発句については、もうあと何回か続けるつもりです。

2022-12-20

横井也有 荷風も認めた名文家(2) 爆笑発句編

  
横井也有
(『蘿葉集』東京大学総合図書館所蔵)

笑いが止まらない也有句集

前回も書きましたが、横井也有の発句集は読んでいてとにかくオカシくて、笑いが止まりません。

ただし、そういう笑いの句ばかり作っていたわけではありません。彼の句の中には骨格のしっかりしたもの、繊細な感受性にあふれたものも数多く含まれています。

也有にはいろいろな側面があることをわかっていただくために、発句の紹介は2回に分けて、今回は「爆笑発句編」、次回は「写実・繊細発句編」ということで仕分けて鑑賞したいと思います。なかなか一筋縄ではいかない俳人ですぞ。

さっそく読んでみます。

井戸ほりの浮世へ出たる暑(あつさ)かな

井戸を掘る地の底は真っ暗。まるで地獄だあ、と思ったら地上は暑くてもっと地獄だあ。

はたをりや娵(よめ)の宵寢を謗(そし)る時

キリギリスだって夜は寝ないで機を織っているのにさ、ウチの嫁ったら早々に寝やがって。姑のきびしい追及。

雨乞をした顔もせず月見哉

夏には「旱です助けてください、雨を降らしてください」ってお祈りしていたのに、秋には「晴れてよかった月見だ酒だ」とは調子が良すぎるじゃねえか。

黒木うりをのが揬(くど)には落葉かな

「黒木」とは生木を蒸して黒くして薪に使うもの。「くど」はかまど。黒木売は外では「焚きつけには黒木が最高ですよ」と言ってるけど、自分の家ではけちって落葉をかまどに詰めているんだよなあ。紺屋の白袴、医者の不養生。

ひろうたを嗅げば坊主の頭巾かな

ゆかしげな布切れが落ちている。ひょっとして妙齢の女性が落としていった袱紗かしら。拾って嗅いでみたら、うわあ線香くせえ、坊主の頭巾じゃねえか

掛乞の地獄の中や寒念仏(かんねぶつ)

極楽往生を願って念仏をとなえ町中を歩く信徒たち。でも年末の町中は借金取り立てが金をはがしに来る地獄なんだよなあ

  蚊帳に女の絵に
こぬ人につられて広き蚊帳(かちやう)哉

アノ人がやってきたら、あんなこともして遊ぼう、こんなこともしようと楽しみにして女が広い蚊帳を吊っておいた。それなのにすっぽかし。いったい何して遊ぼうと思ってたんでしょうねえ

山茶花は贋で有たと椿哉

山茶花も椿も似たようなものなのに、なぜか椿は偉そうに。

酒は最(も)う懲りた人あり遅桜

花見をやりすぎて連日の二日酔い。もう懲りた、遅桜では酒は飲まないぞ。とか言いながら月見だ菊見だとまた飲んでしまうのだけれど

小便はよその田へして早苗とり

こんな米は食いたくない

捨た身も喰せまいとてかやり哉

出家して肉体は捨てたが、やっぱり蚊に食われるのはいやだ。

土用干や袖から出たる巻鰑(まきするめ)

巻鰑って、スルメのげそが干からびたやつ。脱いだときにちゃんと袖を裏返さなかったからこうなる
(ここは間違っていました。巻きするめとは「洗ったするめに葛粉を振りかけて巻き,熱灰に埋めるか,ゆでるもの」だそうです)

花野には人を立(たた)せて案山子哉

視点を変えれば人もまたカカシ

こちの木を隣でもはく落ば哉

ありゃ、わが家の木の落葉が行って隣でも掃いてる。賠償請求されないかしら

爰(ここ)が漏るとをしふる指か花御堂

お釈迦さんは生まれたとたんに天を指して「天上天下唯我独尊」って唱えたそうですが(かわいくないガキだ)、そのため4月8日の誕生日、寺院では仏が天上を指さす像を飾った花御堂を安置します。あれ、「ここが雨漏りしてるよ」と教えてる姿にしか見えないぜ

罠からを先(まづ)習ひけりくすりぐひ

「薬食」とは冬に薬と称して肉を食うこと。殺生の戒めから肉食は良くないと言われていたので、「薬だ」と言ってごまかして食べるわけ。まず獲物を捕獲するための罠づくりから習うとは、本格的

平皿に海をちゞめて海雲(もづく)哉

小鉢にただようモズクを海の縮図と見立てるなんで風流だねえ。イキだねえ

喰れたる蚊を見送りて昼寝哉

暑くて蚊を追いかける気力もない

生(いき)た客交りてせはし魂祭り

お盆は戻ってくる死者のお相手をするだけで忙しいのに、生きてる客までやってくるなよ~

うつかりと盜(スリ)も見て居る踊哉

スリも盆踊りにみとれて仕事を忘れてる。気をつけないと警察も警戒中ですぞ

悋気(りんき)からまくられて居る火燵哉

やばい、浮気がばれた! 炬燵にこもって知らん顔してたら、鬼の形相の妻に蒲団まくられちゃったよ。

也有の句はあの人の句に似ている

いかがでしょう、也有の句に笑っていただけましたか。

こういう彼の句を読んでいて、あれ、なんだかこれと似た作風の人を知っているぞという気になりました。その人とは、関悦史さん。こう言うと、ご本人は「ぜんぜん違うぞ」と思うかもしれませんが、具体的な方法というよりも世の中に対する見かたに共通性があるように感じます。

たとえば、最近出た「翻車魚」6号に掲載された関の句と、それに似た也有の句を並べてみましょう

春の虹から繃帯を垂らすなり    悦史

稲妻の炷(た)キがら白し明の雲  也有

表現としては関のほうが飛躍が大きいのですが、大空の虹から繃帯を幻想する前者と、朝の雲を前夜の稲妻の燃え残りの煙と見る後者。着眼が似ている気がするんですね。

水打たれはや血痕のなかりけり   悦史

去年見た蔵の跡なり虫の声     也有

事故現場もたちまち打水に消されてしまうと言う悦史。去年立っていた金持ちの蔵が、破産したのか跡形もなくなっていたという也有。どちらも現実のはかなさを皮肉に眺めてますね。

アリアドネの糸なく渋谷駅は梅雨  悦史

鵲(かささぎ)も是を手本か渡月橋 也有

複雑怪奇に入り組んだ渋谷駅をミノタウロスの迷宮にたとえる悦史。七夕の日にはカササギたちが翼を連ねて天の川に橋をかけ、そこを牽牛が渡るという伝説がありますが、カササギのほうが渡月橋を真似したんじゃないかと見る也有。伝説と現実を混ぜこむ見かたが似てるなあ

くまモン着ぐるみ口から腕を垂らせる暑 悦史

  福禄寿のあたま傘の破れより出たる画賛
山はぬつと出たり麓の村時雨      也有

前書を含めて見れば、二人の着眼はそっくり

晩秋や傘の骨めく友来たる     悦史

花の骨紅葉のほねや冬木立     也有

友人の肉体を傘の骨に見立てる悦史。冬の枯木を桜や紅葉が残した骨と見る也有。

関の前句集『花咲く機械状独身者たちの活造り』には次のような句が入っています。

ゴギブリホイホイ駅のトイレに置かれ秋 悦史
蛞蝓をトイレに流し四十代
排尿と同時に打球音や秋

トイレや排泄物を描くのは関の好むところですが、実は也有もトイレを描くのが大好き。

雪隠に去年ながらのうちはかな     也有
萩かれて雪隠見ゆる寒(さむさ)かな
雪隠で覚えて来たる夜寒哉
蜂の巣や山臥にげる野雪隠

●ンコにこそ人間の真実はありと、二人とも考えているのでしょうか。

さっきからざっと見ただけでこれだけ共通点が見つかるのですから、仔細にチェックしていけばもっと類似句はありそうです。この二人に相通ずるのは、世の中を裏返して逆から見るという姿勢、それにもかかわらず性格の底には善良さがあって、けっして世界を否定したり人をそねんだりはしない大らかさを持っているという点ではないでしょうか。

関悦史の俳句はある意味無茶苦茶に飛躍していて超現代的に見えますが、原型となる視座がすでに江戸時代にあったというのは興味深いことです。人間の生みだすものに100%新規の発想などありえないということを、この例は考えさせます。

横井也有の爆笑句、いかがだったでしょう。笑える句はもっともっとあるんですけどね。次の機会に回しましょう。

次回は、也有の写実的な句、繊細な句を紹介していきます。

2022-12-03

横井也有 荷風も認めた名文家(1)


 
『横井也有全集』より

永井荷風が絶賛したエッセイ集『鶉衣』

永井荷風といえば近代の名文家ですが、その彼が「死ぬまでにこの人のような文章を一、二篇なりとも書いてみたい」と絶賛した文章家が2人います。一人は井原西鶴。もう一人が横井也有(よこい・やゆう)です。西鶴は『好色一代男』などの浮世草子で有名ですが、也有は『鶉衣』という俳文集がよく知られています。荷風の傾倒ぶりを見てみましょう。

わたしは唯自分だけの心やりとして死ぬまでにどうかして小説は西鶴美文は也有に似たものを一、二篇なりと書いて見たいと思っていたのである。『鶉衣』に収拾せられた也有の文は既に蜀山人の嘆賞措かざりし処今更後人の推賞を俟つに及ばぬものであるが、わたしは反復朗読するごとに案を拍ってこの文こそ日本の文明滅びざるかぎり日本の言語に漢字の用あるかぎり千年の後といえども必ず日本文の模範となるべきものとなすのである。その故は何かというに『鶉衣』の思想文章ほど複雑にして蘊蓄深く典故によるもの多きはない。それにもかかわらず読過其調の清明流暢なる実にわが古今の文学中その類例を見ざるもの。和漢古典のあらゆる文辞は『鶉衣』を織成緯となり元禄以後の俗体はその経をなしこれを彩るに也有一家の文藻と独自の奇才とを以てす。渾成完璧の語ここに至るを得て始て許さるべきものであろう。
(永井荷風「雨瀟瀟」)

荷風さん、「日本文の模範」「渾成完璧」と口をきわめて『鶉衣』をほめちぎっていますね。ここにも書いてあるとおり、也有の文章は狂歌師の大田蜀山人がその価値を認めたもので、也有死後に彼がこの文集を編集出版したのでした。

西鶴と也有の二人はどちらも俳諧師であったというのが興味ぶかいところです。西鶴の名前は皆さんご存知でしょうが、現代の俳人の中にも横井也有の名を知らない人が結構いるのは残念なことです。江戸時代の俳諧の紹介が芭蕉・蕪村・一茶あたりに偏っていることの弊害だと言えるでしょう。

也有は文章がすばらしいのは当然として、発句もじつにいい。今回あらためて全発句を読み直してみたのですが、面白くておかしくて、終始ゲラゲラ笑いながら読み進めました。俳人たるもの、これを知らないのはもったいない。ぜひあらためて、也有の俳諧や文章を紹介したいと思います。

将軍吉宗に拝謁した也有

さて、也有は元禄15年(1702)生まれ、天明3年(1783)没。芭蕉の死後8年目に生れましたが、数えで82歳という長寿だったので、蕪村の死の前年まで生きていました。芭蕉時代と蕪村時代の間は享保俳諧と呼ばれ、俳諧の堕落時代であったと見るのが一般的になっています。そのような俳句史観に対して加藤郁乎は異論を唱えているので再検討が必要ですが、この享保期にあって燦然と輝いた異色の俳人が也有であったと言えるでしょう。

也有には文筆家としての面のほかに、尾張徳川家に務める用人としての顏がありました。享保に生きたことからわかるとおり、彼の時代の将軍は徳川吉宗でした。そして彼が仕えたのは尾張藩の徳川宗春。也有は藩主のお供をして吉宗にも拝謁しています。

「大岡越前」や「暴れん坊将軍」のテレビドラマを視聴していた人ならわかると思いますが、将軍吉宗と宗春は反りが合わず、1739年に宗春は蟄居を命じられてしまいます。(テレビドラマでは宗春が吉宗を追い落とすためにさまざまな画策をしたことになっていますが、これはもちろんフィクションです)ちょうどこの時、也有は宗春に従って江戸に詰めていましたので、藩主交代騒動の渦中に巻きこまれたようです。

尾張藩重臣としての也有については、このシリーズの続きの中であらためて語るつもりですが、そもそも江戸時代に俳諧を主に支えていたのは町人層で、それに下級武士や農民が加わっていたと言えるでしょう。大名が俳諧師のパトロンになる場合もありましたが、名のある俳諧師たちはおおむねそれほど高い身分ではありませんでした。その中で也有は先祖代々の家柄で、いわば上級地方公務員の役職にありました。主要な俳諧師たちの中でも也有は高い地位にあった人物であったということは、頭に入れておきたい点です。

也有の漫画

也有は実に多芸多才の人で、俳諧や俳文のほかに和歌・狂歌・漢詩・武芸・平家琵琶・謡曲・書画などさまざまな分野に手を出しています。

俳諧については次回以降に紹介したいと思いますが、今回は也有の人物像を感じてもらうために彼が描いた漫画を紹介したいと思います。『也有大人即興漫画』として刊行され、後に『半掃菴也有翁戯作』という写しも作られた絵本の漫画です。(上の写真参照)

植物、象や犀などの動物、虫、魚、鳥などの漫画を描いて、その隣にそれらを人間に見立てたユーモア文を付け加えるという体裁をとっています。たとえばゴキブリの絵の横には次のような文章があります。

 あぶら虫
人に付て芝居などへ行。
ひとのべんとうを喰ふ。 

「日本国語大辞典」で「あぶらむし【油虫】」を引くと、「⑤人につきまとい、害を与えたり、無銭で飲食、遊楽などしたりするのを常習とする者をあざけっていう語。たかり」とあります。太鼓持ちのように芸を売るというのでもなく、ただ他人にからんでおこぼれを頂戴する人間のことを指すようです。也有サンもそうしたたかり屋に悩まされたことがあったかもしれません。

蚊の絵にはこんな説明文がついています。

 家(か)蚊 
小借屋に多し。声甚だ高し。しり大きにして手足ふとし。手の長きもあり。足袋のうらなどをさす。角あるりんきの枝などにすむ。

なんだこれはという感じですが、要するにこれは「嬶(かかあ)」のことなんですね。キンキン声で、尻が大きくて手足が太く、ヒステリーを起こすと角を出すという裏長屋のおかみさんのことを言っているわけ。今こんなことを書こうものならフェミニストの皆さんに吊るし上げられて、大炎上しそうです。

也有が何のためにこんな漫画を描いたかですが、彼自身は「若いころに親戚の病気の子に付き添ったことがあり、慰めてあげるためにこのような絵を描いた」と言っています。でもこれは信用できませんね。「あぶらむし」にしても「家蚊」にしても、子ども向けの文章とはとても思えません。本人の老後の気晴らしのために楽しんで書いたというのが本当でしょう。いい年の老人が(それも元は藩の重臣が)漫画などを描いていると馬鹿にされそうなので、子どもをだしにして言いつくろったのではないでしょうか。

ちょっと斜に構えて世の中を面白おかしく見るという也有の人柄が、これらの漫画からうかがえますね。

次回から也有の発句を読んでいきます。