笑いが止まらない也有句集
前回も書きましたが、横井也有の発句集は読んでいてとにかくオカシくて、笑いが止まりません。
ただし、そういう笑いの句ばかり作っていたわけではありません。彼の句の中には骨格のしっかりしたもの、繊細な感受性にあふれたものも数多く含まれています。
也有にはいろいろな側面があることをわかっていただくために、発句の紹介は2回に分けて、今回は「爆笑発句編」、次回は「写実・繊細発句編」ということで仕分けて鑑賞したいと思います。なかなか一筋縄ではいかない俳人ですぞ。
さっそく読んでみます。
井戸ほりの浮世へ出たる暑(あつさ)かな
井戸を掘る地の底は真っ暗。まるで地獄だあ、と思ったら地上は暑くてもっと地獄だあ。
はたをりや娵(よめ)の宵寢を謗(そし)る時
キリギリスだって夜は寝ないで機を織っているのにさ、ウチの嫁ったら早々に寝やがって。姑のきびしい追及。
雨乞をした顔もせず月見哉
夏には「旱です助けてください、雨を降らしてください」ってお祈りしていたのに、秋には「晴れてよかった月見だ酒だ」とは調子が良すぎるじゃねえか。
黒木うりをのが揬(くど)には落葉かな
「黒木」とは生木を蒸して黒くして薪に使うもの。「くど」はかまど。黒木売は外では「焚きつけには黒木が最高ですよ」と言ってるけど、自分の家ではけちって落葉をかまどに詰めているんだよなあ。紺屋の白袴、医者の不養生。
ひろうたを嗅げば坊主の頭巾かな
ゆかしげな布切れが落ちている。ひょっとして妙齢の女性が落としていった袱紗かしら。拾って嗅いでみたら、うわあ線香くせえ、坊主の頭巾じゃねえか。
掛乞の地獄の中や寒念仏(かんねぶつ)
極楽往生を願って念仏をとなえ町中を歩く信徒たち。でも年末の町中は借金取り立てが金をはがしに来る地獄なんだよなあ。
蚊帳に女の絵に
こぬ人につられて広き蚊帳(かちやう)哉
アノ人がやってきたら、あんなこともして遊ぼう、こんなこともしようと楽しみにして女が広い蚊帳を吊っておいた。それなのにすっぽかし。いったい何して遊ぼうと思ってたんでしょうねえ。
山茶花は贋で有たと椿哉
山茶花も椿も似たようなものなのに、なぜか椿は偉そうに。
酒は最(も)う懲りた人あり遅桜
花見をやりすぎて連日の二日酔い。もう懲りた、遅桜では酒は飲まないぞ。とか言いながら月見だ菊見だとまた飲んでしまうのだけれど。
小便はよその田へして早苗とり
こんな米は食いたくない。
捨た身も喰せまいとてかやり哉
出家して肉体は捨てたが、やっぱり蚊に食われるのはいやだ。
土用干や袖から出たる巻鰑(まきするめ)
巻鰑って、スルメのげそが干からびたやつ。脱いだときにちゃんと袖を裏返さなかったからこうなる。
(ここは間違っていました。巻きするめとは「洗ったするめに葛粉を振りかけて巻き,熱灰に埋めるか,ゆでるもの」だそうです)
花野には人を立(たた)せて案山子哉
視点を変えれば人もまたカカシ。
こちの木を隣でもはく落ば哉
ありゃ、わが家の木の落葉が行って隣でも掃いてる。賠償請求されないかしら。
爰(ここ)が漏るとをしふる指か花御堂
お釈迦さんは生まれたとたんに天を指して「天上天下唯我独尊」って唱えたそうですが(かわいくないガキだ)、そのため4月8日の誕生日、寺院では仏が天上を指さす像を飾った花御堂を安置します。あれ、「ここが雨漏りしてるよ」と教えてる姿にしか見えないぜ。
罠からを先(まづ)習ひけりくすりぐひ
「薬食」とは冬に薬と称して肉を食うこと。殺生の戒めから肉食は良くないと言われていたので、「薬だ」と言ってごまかして食べるわけ。まず獲物を捕獲するための罠づくりから習うとは、本格的。
平皿に海をちゞめて海雲(もづく)哉
小鉢にただようモズクを海の縮図と見立てるなんで風流だねえ。イキだねえ。
喰れたる蚊を見送りて昼寝哉
暑くて蚊を追いかける気力もない。
生(いき)た客交りてせはし魂祭り
お盆は戻ってくる死者のお相手をするだけで忙しいのに、生きてる客までやってくるなよ~。
うつかりと盜(スリ)も見て居る踊哉
スリも盆踊りにみとれて仕事を忘れてる。気をつけないと警察も警戒中ですぞ。
悋気(りんき)からまくられて居る火燵哉
やばい、浮気がばれた! 炬燵にこもって知らん顔してたら、鬼の形相の妻に蒲団まくられちゃったよ。
也有の句はあの人の句に似ている
いかがでしょう、也有の句に笑っていただけましたか。
こういう彼の句を読んでいて、あれ、なんだかこれと似た作風の人を知っているぞという気になりました。その人とは、関悦史さん。こう言うと、ご本人は「ぜんぜん違うぞ」と思うかもしれませんが、具体的な方法というよりも世の中に対する見かたに共通性があるように感じます。
たとえば、最近出た「翻車魚」6号に掲載された関の句と、それに似た也有の句を並べてみましょう。
春の虹から繃帯を垂らすなり 悦史
稲妻の炷(た)キがら白し明の雲 也有
表現としては関のほうが飛躍が大きいのですが、大空の虹から繃帯を幻想する前者と、朝の雲を前夜の稲妻の燃え残りの煙と見る後者。着眼が似ている気がするんですね。
水打たれはや血痕のなかりけり 悦史
去年見た蔵の跡なり虫の声 也有
事故現場もたちまち打水に消されてしまうと言う悦史。去年立っていた金持ちの蔵が、破産したのか跡形もなくなっていたという也有。どちらも現実のはかなさを皮肉に眺めてますね。
アリアドネの糸なく渋谷駅は梅雨 悦史
鵲(かささぎ)も是を手本か渡月橋 也有
複雑怪奇に入り組んだ渋谷駅をミノタウロスの迷宮にたとえる悦史。七夕の日にはカササギたちが翼を連ねて天の川に橋をかけ、そこを牽牛が渡るという伝説がありますが、カササギのほうが渡月橋を真似したんじゃないかと見る也有。伝説と現実を混ぜこむ見かたが似てるなあ。
くまモン着ぐるみ口から腕を垂らせる暑 悦史
福禄寿のあたま傘の破れより出たる画賛
山はぬつと出たり麓の村時雨 也有
前書を含めて見れば、二人の着眼はそっくり。
晩秋や傘の骨めく友来たる 悦史
花の骨紅葉のほねや冬木立 也有
友人の肉体を傘の骨に見立てる悦史。冬の枯木を桜や紅葉が残した骨と見る也有。
関の前句集『花咲く機械状独身者たちの活造り』には次のような句が入っています。
ゴギブリホイホイ駅のトイレに置かれ秋 悦史
蛞蝓をトイレに流し四十代
排尿と同時に打球音や秋
トイレや排泄物を描くのは関の好むところですが、実は也有もトイレを描くのが大好き。
雪隠に去年ながらのうちはかな 也有蜂の巣や山臥にげる野雪隠
萩かれて雪隠見ゆる寒(さむさ)かな
雪隠で覚えて来たる夜寒哉
●ンコにこそ人間の真実はありと、二人とも考えているのでしょうか。
さっきからざっと見ただけでこれだけ共通点が見つかるのですから、仔細にチェックしていけばもっと類似句はありそうです。この二人に相通ずるのは、世の中を裏返して逆から見るという姿勢、それにもかかわらず性格の底には善良さがあって、けっして世界を否定したり人をそねんだりはしない大らかさを持っているという点ではないでしょうか。
関悦史の俳句はある意味無茶苦茶に飛躍していて超現代的に見えますが、原型となる視座がすでに江戸時代にあったというのは興味深いことです。人間の生みだすものに100%新規の発想などありえないということを、この例は考えさせます。
横井也有の爆笑句、いかがだったでしょう。笑える句はもっともっとあるんですけどね。次の機会に回しましょう。
次回は、也有の写実的な句、繊細な句を紹介していきます。