2022-12-28

横井也有 荷風も認めた名文家(5) 也有と一茶

 
やせ蛙まけるな一茶是にあり
(東京都足立区のマンホール蓋)

也有と一茶は似ているか?

前々回に、高浜虚子が也有句について「その句は概して軽妙、滑稽を主としたものでありますが、一種の趣を蔵しておって後世の一茶を思わしめるような所がないでもありません」と書いていることを紹介しました。

たしかに也有と小林一茶は、ともに世の中を反対側から眺め、人間の滑稽な姿を描き、卑俗な題材を遠慮なく取り上げるという、俳人として似かよった部分があります。しかし両者には決定的に違うところが一つあります。

也有が諧謔的にものごとを見るのは、人間というのはみんな同じようなものだと観じているからです。「侍も農民も、金持ちも貧乏人も、若い美女も長屋のおかみさんも、しょせんはみな一緒。誰でもオナラをするし、おなかが空くし、自分勝手だし、最後はお墓に入るのさ」というように考えるからです。

也有が人間の等しさを言っていると思われる発句を挙げてみましょう

仏さへ生れた時は木下やみ

釈迦の誕生日(灌仏)は4月8日で、江戸時代の旧暦では初夏の季語だったということに注意が必要です。お釈迦さんが生まれたときも世には闇があったんだよと、仏をからかってしまうところに、人を特別視しない也有の見かたが出ています。

大名は日当(ひなた)を通る暑(あつさ)哉

「日陰者」の反対で大名はいつも日の当たるところを通るのですが、この暑さではそれも大変だねえと、偉い人をからかう感じ。

分限者の子に下手のある躍(をどり)かな

分限者(ぶげんしゃ)とは富豪のこと。金持ちの子はすべてに恵まれているように思うけど、運動神経は悪かった。なにもかも思うようにはいかないものさ。

辻番も一もと菊のあるじかな

辻番というのは今で言えば交番のお巡りさんとかガードマンといった人ですが、辛い仕事の人でも菊を一鉢大事にしている。その一鉢が、殿様の豪華な菊の庭にも劣らない貴さであることよ。

蕣(あさがほ)の世にさへ紺の浅黄のと

たかだか朝顔の世界にも、やれ紺が良いだの浅黄は貴重だのと種別がやかましい。人間が家柄だの身分だのをうるさくいうのも、これと変わらない話、馬鹿馬鹿しいと也有は言いたげです

強盗(がんだう)もとがめず雛の犬はりこ
盗人の捨たもそへて大根引

也有には盗人や強盗を扱った句が多い。やっていいとは言わないが、世の中にそういう人間がいるのは理解するといったところでしょうか。

野送りをけふも見て居る案山子哉

人間誰でも最後は野辺送りであの世行き。案山子だけがいつもそれを見ている。

このように、也有は上流階級も下層の人々も結局は似たようなものであり、醒めた目で見ればどちらも同じ人間、大差はないと考えるのです。

ところが一茶は...

ところが一茶の場合は、強い者と弱い者、金持ちと貧乏人はけっして同じではない

やせ蛙まけるな一茶是にあり  一茶

太った蛙と痩せた蛙は同じではない。そして一茶は痩せ蛙のほうに味方するのです

づぶ濡の大名を見る巨燵(こたつ)哉

上の也有の「大名は日当を通るあつさ哉」に似ている句です。しかし也有にはからかいの気分があるのに対し、一茶のほうには「ざまあみろ」という反感がより強く見てとれます

涼(すずま)んと出(いづ)れバ下ニ下ニ哉
花陰も笠ぬげしたにしたに哉

涼もうとしても、あるいは花を見ていても、「下に下に」と言って大名行列がやってきて這いつくばらせられる。偉そうな大名と土下座する庶民との対比

武士(さむらひ)ニ蠅を追(おは)する御馬哉
春雨や侍二人犬の供

さむらいという階級自体、一茶から見れば上位の身分ですが、そんな武士も殿様の馬の蠅を追ったり、二人がかりで犬の供をさせられたり。上の奴にはさらに上がいて、人をこき使う。

御仏や銭の中より御誕生

灌仏の際には誕生仏の像が飾られ、賽銭が要求される。尊げな顔をしていても仏様も金集めかいという皮肉。

也有の俳諧には、現実を諷刺してもその中に諦念があり、達観が見てとれます。結局人間、死んだら一緒だよという。しかし一茶の場合は現実とはそう簡単に諦めきれるものではありません。この世の身分差や生い立ちの差に何としても納得がいかない

孤(みなしご)の我は光らぬ蛍かな

と自分の不幸を嘆いてみせる。

二人はどちらも娘を亡くしていますが、そのときの両者の句を以下に見てみましょう

娘におくれし頃
蓑虫よ父もこひしと泣く物を   也有
同じく百ケ日に
一日の花も帰らず百日紅
 
露の世ハ露の世ながらさりながら 一茶
さと女笑貌して夢に見えけるままを
頬べたにあてなどしたる真瓜(まくは)哉

どちらの句も悲しみにあふれていますが、一茶が身も世もなくという感じで慟哭しているのに対し、也有のほうは「蓑虫はちちよと鳴く」という俗説を利用するとか、一日と百日を掛け合わせるとか、俳人としての立場を押さえた句作りになっています。

一茶の娘さとは彼が55歳のときにやっと生まれた初子で、翌年には病没してしまう。いっぽう也有は二男三女に恵まれており、次女さいはとにもかくにも19歳まで生きて他家に嫁して後の死でした。それだけ悲しみの量にも差があったでしょうが、それだけではなく、現実重視の一茶と醒めた也有の世界観の違いが微妙に弔句に反映しているように思えてなりません。

也有が弟の藤次郎を失った際の句に

弟の武州にて失ける悼に
鳳巾(たこ)きれてはかなき風の便かな   也有

があります。この句にはいちだんと諦観、無常観が濃く見えますね(藤次郎との関係については後述)

也有の境涯

人間を皆同じようなものだと見る也有と、現実の格差を糾弾する一茶の違いは、二人の生まれ育ちの離れ具合が大きく反映していると考えざるをえません。尾張徳川家の臣下であった横井家と、地方の農家の息子で継母と折り合いが悪く家庭に恵まれなかった一茶の境遇の隔絶です。

しかしだからといって、也有を上流階級代表であるかのように見るのは間違いだと思います。横井家には先代からの借財があって、それを返済するのにはかなりの苦労があったようです。

この点で注目されるのが弟の藤次郎の件で、実はこれは也有の父、横井時衡(ときひら)が51歳のとき、20歳年下の下働きの町娘に手をつけて生ませた子なのです。也有と弟とは24歳も年齢差があり、しかも弟が生れて3年後に時衡が死去したので、父親代わりとして諸事面倒を見ることになったのでした。

借財の原因が何であったかはよくわかりませんが、このような行状を見るからに、少なくとも父・時衡が返済に熱心であったようには思えません。

だいたい公務員というのは昔も今も、身分は安定しているものの、まっとうに勤めている限りそう抜きんでた収入を得られるものではないでしょう。也有自身、若いころは家に金がなかったので、金持ちの家に頼みこんで俳書を見せてもらったということを書いています。也有には也有なりの苦労があったということです。

也有と一茶を比べて、どちらが上でどちらが下と比較する必要はないと思います。私にはどちらも貴重で、どちらも面白い。諦観も、現実主義も、どちらも良いではありませんか。

しかしWikipediaで「小林一茶」を調べると、膨大な解説が載っているのに、「横井也有」の記事は短めなのが残念なんだよなあ。永井荷風が「日本文の模範」とまで評した大文筆家なんだから、もう少し記述があってもいいと思うのですが。

次回は「横井也有100句選」をアップします。

2022-12-27

横井也有 荷風も認めた名文家(4) 掟破りの作句術


石川淳『江戸文学掌記』

タブーを超えた也有の句

也有の発句を読んでいて驚かされるのは、俳句入門書で「こういうことはやってはいけません」と書いてあるタブーを平気で踏み破っていることです。踏み破っているからダメな句だと断罪できれば話は簡単なのですが、そういう発句がめっぽう面白い。

どういうタブーかというと、擬人法、見立て、トンチ、季重なりといった、一般に良くないと思われる手法を堂々と使うのです。私も、他人の俳句を批評するときに「この句は安易な擬人法で幼稚だ」「見立て俳句は詩的ではない」などと批判的に言うことが多いのですが、也有の場合はその常識が当てはまりません。なぜ例外なのかを、一つ一つ考えてみましょう。

まず擬人法ですが、これがなぜ幼稚になりがちかというと、動植物や物体を心あるもののように見るのは、自分の見かたや気持をそれらに押し付けていることになりがちだからです。「カラスなぜ鳴くの、カラスの勝手でしょ」という替え歌がありましたが、まさにそのとおりで、「カラスはこういう気持に違いない」というように擬人法で表現するのは、自分の思い入れたっぷりの小主観をさも大したことであるかようにもてあそぶだけに終わりがちです。也有の場合はどうでしょうか。

我とわが蛻(カラ)や弔ふ蟬のこゑ

蝉が鳴いているのは自分の脱ぎ捨てた殻を弔っているのだという。実に馬鹿馬鹿しくて笑えますね。蝉が弔っているというだけで擬人法なのに、殻が死んでいると見るのは二重に擬人法です。こういう句を読むと私は

空蝉を拾い跡見る見損かな  永田耕衣
落蝉や誰かが先に落ちている

などを思い出します。耕衣の場合は擬人法ではありませんが、蝉のことをナンセンスに描いていているところが共通していて、おかしく面白い。 

さみだれや蚊遣りも雲に成たがり

蚊遣火の煙が雲になりたがっているという。極小のものと極大のものを組み合わせたところが常識を絶した発想でびっくり。笑えますねえ。

風止(やん)で本気にかへる柳哉
すゝ掃の跡や鼠のさびしがる

このあたりの句になるとやや俗臭があることは否定できませんが、それでも愉快で読む人を楽しい気分にさせてくれます。前句、柳は風に揺れているのが本来の姿だと人は思いがちだが、揺れているのはラクをしているのであって風が止んでこそ柳は本気になる。後句、年末に大掃除をして人間は気持ち良いが、鼠にとっては住み家が荒らされたようなものだ。逆転の発想です。

このように也有の擬人法にはユーモアがあり、発想が飛躍しているという美点があります。下品さや気どりがありませんし、押しつけがましい主観の強制にはなっていないと感じるのです。

次に見立て。これは比喩の一種でありますが、純粋に形態や性質を何かにたとえるというだけではなく、そこにストーリーというか理屈というか、落ちを用意する方法と言えるでしょう。下手をすると大喜利のようになります。

鼻かむで捨たる果や白木槿

たぶん八重の白木槿だな。人が美しさを賞美する木槿を捨てチリ紙に見立てたところが滑稽。

質屋へも通ふこゝろや土用干

干してるものを見ると、なんだか質屋に出すものを見繕っているような気がしてくるぜ。優雅ではない方向に徹底的に風景を落とすところが愉快。

蓮の花ひらくや筆の莟より

これはきれいな見立てです。蓮の花を墨で描いている。まるで筆がつぼみのようで、そこから花が咲くように見えるというのです。

也有の見立てはウィットの切れ味がいい。情景の本質をパッとつかむような感じです。理屈だけで比喩を言うのではなく、いかにもそうだったのだろうなあと実感を伝えるような見立てなのです。表現にもってまわったところがなくて、声調よくズバッと断言しているところが、鮮明な印象をもらたらすのでしょう。

次にトンチ。トンチというのは、ともするとサラリーマン川柳のようになるのですが、也有の場合はどうか。

螢とる子供や昼は付木うり

子供は夜は蛍火と遊び、昼は付木(マッチみたいなもの)売りのアルバイトをしている。昼も夜も火をいじっているよという冗談です。実経験ではなくことばの洒落を楽しんで作った句でしょう。

炭うりや跡から白き豆腐売

これも同じような発想。炭売りの黒と豆腐売りの白を対比させて喜んでいます。

芋むしに啼(なく)音もあらばけふの月

梅に鴬、藤にほととぎすと、鳴き声のよい鳥は花と組み合わせて賞美されますが、芋虫もいい声で鳴きさえすれば名月といっしょに讃えてもらえるのにね。

見立てと同様、トンチの切れ味が鋭い。表現に迷いがなく、発想するスピードが速い。炭売りと豆腐売りの句など、色彩がパッパッと素早く切り替わる感じです。

石川淳の也有観

石川淳は『江戸文学掌記』の「也有」の章中で「也有の俳諧はすべて雑俳といいきってはどうか」と言っています。雑俳とは前句付や笠付など、いろいろ制約を設けたうえで面白おかしい表現技巧を競うもので、川柳も雑俳の一種だったと見ることもできます。石川は藤井乙男(紫影)博士の「也有の句が余りに雑俳趣味に傾いたのは、紀逸の武玉川や川柳の家内喜多留の影響もないではなかろう」という指摘を引用しています。

也有の俳諧をすべて雑俳と見なすことには賛成できませんが、享保の前後というのは雑俳が大いに栄えた時期であるわけで、『武玉川』や『家内喜多留(柳多留)』もこのころ刊行された雑俳の句集です。也有自身が雑俳の点者になることはありませんでしたが、当時の風潮の影響を受けていた可能性は大です。最初に「也有の句はタブーを平気で踏み破っている」と書きましたが、むしろ「擬人法・見立て・トンチ」等の手法は当時としてはタブーではなく流行だったわけで、それが後に下等視されるようになったとも言えるでしょう。

季重なりの句

也有の季重なりの句についても見ていきましょう。

私は季重なりの句に対してはきびしく批評するほうです。俳句は17音しかないのに、そのうち2つ以上の題材を歳時記の中から選んでくればいいのだったら、こんな楽なことはありません。それに季語というのは連想力が強い語であるので、複数あると句の焦点がぼけやすいという弱点もあります。

もちろん絶対に季重なりがダメだというのではありません。ケースバイケースです。しかし季重なりの句の比率が非常に多い俳人を見ると、「この人ラクをしてるな」と思いますね。

では也有に多い季重なりはどうなのでしょうか。

山寺の春や仏に水仙花

水仙は冬の季語ですが、ここでは「春」と季重なりになっています。これは「すでに春であるが、山の中の寺は寒いのでまだようやく水仙が咲き始めたところである」ということを言っているわけで、山の冴えた空気を強調するためにわざと季重なりにして、平地との季節感の違いを表現しているわけです。

憎い蚊と同じ盛のほたる哉

蚊と蛍が季重なり。これは蛍を賞美したいが蚊に刺されるということで、同じ季節に良い虫と迷惑な虫がいるということを滑稽に言ってみせた。季重なりで二つの虫を比べること自体が句のねらいになっている。

犬ひとつ鹿めく庭のもみぢ哉

鹿と紅葉は、花札でわかるとおり典型的な定番組み合わせですが、庭の紅葉に犬がいると鹿みたいに見えるぜとおどけてみせた句。

このように、也有の季重なりは季語同士をぶつけるということが句のテーマになっている。必然性がある季重なりであり、けっして楽をするために季語を乱用して俳句を作っているわけではない。

現代において、写生的な作風なのに季重なりを乱用するような俳人はいかがなものかと思いますが、 也有の場合は季重なり自体が諷刺表現をねらいとしているので、それとは一線を画していると言えるでしょう

也有の価値

也有の発句をひとことで評するとすれば、「頭がいい人の句だなあ」ということになります。もし物の見かたがもうすこし低俗だったら、擬人法は鼻につく独り芝居になっていたでしょう。もしことばの切れ味が鈍かったら、見立ては小理屈に終わっていたでしょう。発想がぶっ飛んでいなかったら、トンチはただのオヤジギャグに帰結するでしょう。そしてつねにユーモアを忘れず楽天的であることが、彼の発句を愛すべきものにしています。

也有のような方法を頭の悪い人が真似をすると、とても見ていられない下品で愚かしいくすぐりに止まってしまいます。人間はともすればそうした下級のほうに流れやすいものです。前回述べたように、高浜虚子は俳句を大衆に普及する上で也有の爆笑俳句を排除し客観写生を主としましたが、そのほうが無難だからでしょう。写生のほうが嫌味が少なく、失敗しても不快な感じにはなりにくいのです。しかしその後ホトトギス派の花鳥諷詠の大勢はマンネリの袋小路に入ってしまい、今日では平板なただごと描写や小粒なデザインになりがちなように見える。そうした現在、也有の爆笑俳句もまた再評価されるべきではないでしょうか。

石川淳が「也有の俳諧はすべて雑俳といいきってはどうか」というのは、そういう考えかたもできるだろうといった程度の軽い問題提起だったろうとは思います。しかし也有を正当な俳諧からはじきだして別ジャンルに押しこめることには同意できません(雑俳そのものをいやしむつもりはありません。雑俳は雑俳で興味深い表現法です。なぜなら諧謔は俳句(俳諧)の重要な要素だからです。もし也有を俳諧の道から除外してしまったら、俳人たちはユーモアを忘れて、芭蕉の精神性や蕪村の審美性や一茶の境涯性のみが俳句の求める方向性だと思いこんでしまうでしょう。

違う言いかたをすれば、われわれが也有の俳句を常識破りと感じるとすれば、それはわれわれの感受性のほうが子規や虚子によるマインドコントロールを受けているためであるとも言えると思います。もともと也有の手法や精神は俳諧に含まれるものであった。それがホトトギスの近代的合理主義には適合しにくいものであったため脇に追いやられ、俳句の本道から逸れたものであるかのようにわれわれは思わされてきた。

ユーモアは想像力と表現の源泉として大切なものです。シェークスピアが喜劇と悲劇の両方を書いたように、あるいは能と狂言がお互いを補完しあっているように、一つのジャンルに真面目なものと笑いが同居することはきわめて重要なのです。悲劇ですらその裏にはウイットとユーモアの感覚が存在していなければなりません。

前々回、関悦史の俳句を引き合いに出して説明したように、也有の句には今後の俳句の祖型となりうるような可能性が多分にあります。彼の句を他ジャンルに押しやってしまうと、そのようなルートを断ち切ることにもなってしまいます。

也有もっと知られるべし。也有読まれるべし。このことを声を大にして申し上げる次第です。

次回は也有と一茶の比較をしてみたいと思います。

2022-12-23

横井也有 荷風も認めた名文家(3) 写実・繊細発句編

高浜虚子「俳句史」(『俳句読本』所収)

虚子の也有観

高浜虚子に「俳句史」という著述があります。山崎宗鑑以降の俳句(発句)の歴史を概観したものですが、この中で横井也有について次のように書いています。

俳句精神の堕落は享保年間にその極に達したのでありますが、その間特異な存在をなすものは横井也有であります。也有は尾張の藩士で、致仕して城南前津に卜居し、『鶉衣』以下多くの俳文を遺しております。その句は概して軽妙、滑稽を主としたものでありますが、一種の趣を蔵しておって後世の一茶を思わしめるような所がないでもありません。

「致仕」とは退職して隠居すること、「卜居」とは住所を移すことを意味します。

この数行の内容について検討すべき点があるのですが、とりあえず措いておいて、続いて也有の発句を12句挙げて紹介しています。たとえば次のような句です。

山寺の春や仏に水仙花
信濃路は雪間を彼岸参りかな
二三枚絵馬見て晴(はる)るしぐれかな
朝々の釣瓶にあがる落葉かな

さすがに虚子が選んだだけあって、どれも立派な句ですが、しかしここには前回紹介したような爆笑句は一句もないのです。花鳥諷詠、あるいは客観写生の枠内に入る、お行儀のよい句ばかりが並んでいます。虚子にとって都合よい選句ですが、こうなると私としては面白くない。也有と言えばゲラゲラ笑って読めるところが楽しいのであって、こういう正座した作だけなら、ほかにも詠める俳人はいくらもいる。

虚子の記事の内容についてはあらためて次回以降に考察してみたいと思いますが、今回は「写実・繊細発句編」ということで、也有の中でも折り目正しい発句を紹介したいと思います。虚子先生には今回の句のほうがお気に召しそうです

也有の写実俳句

出がはりや行燈(あんど)に残す針の跡

江戸時代、奉公人の雇用期間は半年または一年と定められ、3月と9月が契約終了日とされていました。つまり非正規労働者保護のため、最低半年間は雇用しなければいけないと決まっていたわけですね。3月に契約が終了し、新しい奉公人と入れ替わることを「出代」と呼んでいました(9月の交替は「後の出代」という)去っていった奉公人が、あんどんの紙に針の穴を残していった。暗いので、少しでも光量を上げて草紙本でも読もうと穴を開けたのでしょうか。細かいところを写実的に描いています。

蜘の囲のはしらによはき薄かな

クモの巣を家に見立てるなら、巣を張る草は柱といったところですが、ススキに張ったこの巣は弱そうだなあ。大丈夫かなあ

いなづまの明りは低し富士の雪

一転して激しく豪快な句。富士山の下のほうに雲がかかっていて、頂上は突き抜けて見えている。稲妻は下の雲の中を走っている。頂上の雪と低い稲妻の組み合わせが、玄妙にして美しい。
也有は参勤交代のお供で一年おきに江戸に赴いていましたから、富士山を遠くから近くから見る機会がありました

鐘つきのおこしてゆくや雪の竹

雪に埋もれた鐘撞堂。そこまで歩いて到達するだけでたいへん

老の腰摘にもたゝく薺かな

自分のことを詠んでいるととってもいいし、そのほうが自然かもしれませんが、他人を描いたと見ても面白い。じいさん、薺摘みなんかやるから、言わんこっちゃない腰を叩いてるよ

かたびらの背中放(はな)るゝすゞみ哉

汗でシャツがべったり身体にくっつくといやなものですね。かたびらとは薄い一重の着物のことですが、貼りついた着物がはがれた瞬間に涼しさを感じた。よくわかる、鋭敏な感覚の句です

秋来ぬと聞(きく)や豆腐の磨(すり)の音

豆腐作りは、早起きして前日水に漬けておいた大豆を磨り潰すところから始まります。今はグラインダーで磨るようですが、昔は臼を使ったのでしょう。じょりじょりって音がするのかな。響きが立秋の空気の中を伝わっていく感じ、聞いてみたい

しからるゝ子の手に光る螢かな

蛍がいてくれてよかった

花生に葉は惘然(もうぜん)と散る椿

椿の花は床に落ち、花生けに葉ばかりが茂っている。「惘然」は気がぬけてぼんやりしているさまですが、気がぬけたとは言っても葉の生命力は強そう。モウゼンという音がいいし、「惘」は「網」を連想させて網のように葉が広がっている感じもします。

馬かたの烟捨行(すていく)かれ野哉

馬方というと、煙管を持っていて暇な時は一服しているというイメージです。馬方がトントンと煙管を打ち付けて立ち上がり去っていく。「煙を捨てていった」と鋭い表現

幻影を描く也有

也有には写実の技量もあることがわかっていただけたと思います。一方で彼には、目に見えない幻影を描く方向性もある。

ないものゝ有物つゝむかすみ哉

この句なんか典型的。霞とそれが包む景色のことを描いているのですが、具体的なものは何も出てきません。「無い物」「有る物」の抽象的な対比だけ。こういうのって、現代美術みたいですごくモダン

傘にふり下駄に消(きえ)けり春の雪

春の雪が傘から下駄へと落ちる間に融けてしまう。牡丹雪のはかなさを巧みに描いて写実的でもあるのですが、「まぼろしのように消えていくもの」に着眼するところに也有の指向が出ています

夏立つや衣桁にかはる風の色

実際には夏になって衣替えして、そのため衣桁に掛けた衣の色も変わったということなのでしょうが、それを「風の色が変わった」と把握したところが鋭い。「風の色」という表現自体は中世の和歌にもありますが、衣桁に転用した発想がいい

影法師に綿を入けり後の月

自分が綿入れを着ているのですが、影法師に綿を入れたと見た

来べき宵蜘は告(つげ)ずも魂祭り

お盆には死者が家に帰ってくる。妖しげな虫であるクモはいつ魂が戻ってくるか知っていそうだが、それを知らせることもなく黙ってじっとしている。冷ややかで美しい句です

ひつそりと跡に秋あるをどり哉

盆踊りが終わって櫓も片づけられた。広場には何もない。ただ、本格的な秋だけがそこに残った。ぞくぞくするような感覚的な句
ちなみに、也有は「跡」が好きでこの字を使った句をたくさん作っています。「
すゝ掃の跡や鼠のさびしがる」「引越た鍛冶やの跡の寒かな」「あし跡を浪にとらる ゝ千鳥かな」など。消えてしまったもの、目に見えないものへの也有の嗜好がよく表れていますね。

客が来て置て行(いき)けり秋の暮

これも似た発想の句。静かになったわが家にはただ秋の暮だけが残っている

耳におく霜や夜明のかねの声

夜明けの鐘の音のさむざむとした様子を、「耳に霜を置いている」と表現した。ものすごくシャープな感覚。

どうですか、爆笑の発句だけではなくて、しみじみとしたいい句も也有にはたくさんありますね。

ところで、也有の句には仮名遣いの間違いがけっこうあります。私は必然性さえあれば俳句の表記は正書法どおりでなくても良いと考える者ですが、彼の場合は必然性があって意図的に誤記しているわけではなさそうです。原句どおりだと意味がわかりにくい個所もあるので、直してあることをお断りしておきます。

也有の発句については、もうあと何回か続けるつもりです。

2022-12-20

横井也有 荷風も認めた名文家(2) 爆笑発句編

  
横井也有
(『蘿葉集』東京大学総合図書館所蔵)

笑いが止まらない也有句集

前回も書きましたが、横井也有の発句集は読んでいてとにかくオカシくて、笑いが止まりません。

ただし、そういう笑いの句ばかり作っていたわけではありません。彼の句の中には骨格のしっかりしたもの、繊細な感受性にあふれたものも数多く含まれています。

也有にはいろいろな側面があることをわかっていただくために、発句の紹介は2回に分けて、今回は「爆笑発句編」、次回は「写実・繊細発句編」ということで仕分けて鑑賞したいと思います。なかなか一筋縄ではいかない俳人ですぞ。

さっそく読んでみます。

井戸ほりの浮世へ出たる暑(あつさ)かな

井戸を掘る地の底は真っ暗。まるで地獄だあ、と思ったら地上は暑くてもっと地獄だあ。

はたをりや娵(よめ)の宵寢を謗(そし)る時

キリギリスだって夜は寝ないで機を織っているのにさ、ウチの嫁ったら早々に寝やがって。姑のきびしい追及。

雨乞をした顔もせず月見哉

夏には「旱です助けてください、雨を降らしてください」ってお祈りしていたのに、秋には「晴れてよかった月見だ酒だ」とは調子が良すぎるじゃねえか。

黒木うりをのが揬(くど)には落葉かな

「黒木」とは生木を蒸して黒くして薪に使うもの。「くど」はかまど。黒木売は外では「焚きつけには黒木が最高ですよ」と言ってるけど、自分の家ではけちって落葉をかまどに詰めているんだよなあ。紺屋の白袴、医者の不養生。

ひろうたを嗅げば坊主の頭巾かな

ゆかしげな布切れが落ちている。ひょっとして妙齢の女性が落としていった袱紗かしら。拾って嗅いでみたら、うわあ線香くせえ、坊主の頭巾じゃねえか

掛乞の地獄の中や寒念仏(かんねぶつ)

極楽往生を願って念仏をとなえ町中を歩く信徒たち。でも年末の町中は借金取り立てが金をはがしに来る地獄なんだよなあ

  蚊帳に女の絵に
こぬ人につられて広き蚊帳(かちやう)哉

アノ人がやってきたら、あんなこともして遊ぼう、こんなこともしようと楽しみにして女が広い蚊帳を吊っておいた。それなのにすっぽかし。いったい何して遊ぼうと思ってたんでしょうねえ

山茶花は贋で有たと椿哉

山茶花も椿も似たようなものなのに、なぜか椿は偉そうに。

酒は最(も)う懲りた人あり遅桜

花見をやりすぎて連日の二日酔い。もう懲りた、遅桜では酒は飲まないぞ。とか言いながら月見だ菊見だとまた飲んでしまうのだけれど

小便はよその田へして早苗とり

こんな米は食いたくない

捨た身も喰せまいとてかやり哉

出家して肉体は捨てたが、やっぱり蚊に食われるのはいやだ。

土用干や袖から出たる巻鰑(まきするめ)

巻鰑って、スルメのげそが干からびたやつ。脱いだときにちゃんと袖を裏返さなかったからこうなる
(ここは間違っていました。巻きするめとは「洗ったするめに葛粉を振りかけて巻き,熱灰に埋めるか,ゆでるもの」だそうです)

花野には人を立(たた)せて案山子哉

視点を変えれば人もまたカカシ

こちの木を隣でもはく落ば哉

ありゃ、わが家の木の落葉が行って隣でも掃いてる。賠償請求されないかしら

爰(ここ)が漏るとをしふる指か花御堂

お釈迦さんは生まれたとたんに天を指して「天上天下唯我独尊」って唱えたそうですが(かわいくないガキだ)、そのため4月8日の誕生日、寺院では仏が天上を指さす像を飾った花御堂を安置します。あれ、「ここが雨漏りしてるよ」と教えてる姿にしか見えないぜ

罠からを先(まづ)習ひけりくすりぐひ

「薬食」とは冬に薬と称して肉を食うこと。殺生の戒めから肉食は良くないと言われていたので、「薬だ」と言ってごまかして食べるわけ。まず獲物を捕獲するための罠づくりから習うとは、本格的

平皿に海をちゞめて海雲(もづく)哉

小鉢にただようモズクを海の縮図と見立てるなんで風流だねえ。イキだねえ

喰れたる蚊を見送りて昼寝哉

暑くて蚊を追いかける気力もない

生(いき)た客交りてせはし魂祭り

お盆は戻ってくる死者のお相手をするだけで忙しいのに、生きてる客までやってくるなよ~

うつかりと盜(スリ)も見て居る踊哉

スリも盆踊りにみとれて仕事を忘れてる。気をつけないと警察も警戒中ですぞ

悋気(りんき)からまくられて居る火燵哉

やばい、浮気がばれた! 炬燵にこもって知らん顔してたら、鬼の形相の妻に蒲団まくられちゃったよ。

也有の句はあの人の句に似ている

いかがでしょう、也有の句に笑っていただけましたか。

こういう彼の句を読んでいて、あれ、なんだかこれと似た作風の人を知っているぞという気になりました。その人とは、関悦史さん。こう言うと、ご本人は「ぜんぜん違うぞ」と思うかもしれませんが、具体的な方法というよりも世の中に対する見かたに共通性があるように感じます。

たとえば、最近出た「翻車魚」6号に掲載された関の句と、それに似た也有の句を並べてみましょう

春の虹から繃帯を垂らすなり    悦史

稲妻の炷(た)キがら白し明の雲  也有

表現としては関のほうが飛躍が大きいのですが、大空の虹から繃帯を幻想する前者と、朝の雲を前夜の稲妻の燃え残りの煙と見る後者。着眼が似ている気がするんですね。

水打たれはや血痕のなかりけり   悦史

去年見た蔵の跡なり虫の声     也有

事故現場もたちまち打水に消されてしまうと言う悦史。去年立っていた金持ちの蔵が、破産したのか跡形もなくなっていたという也有。どちらも現実のはかなさを皮肉に眺めてますね。

アリアドネの糸なく渋谷駅は梅雨  悦史

鵲(かささぎ)も是を手本か渡月橋 也有

複雑怪奇に入り組んだ渋谷駅をミノタウロスの迷宮にたとえる悦史。七夕の日にはカササギたちが翼を連ねて天の川に橋をかけ、そこを牽牛が渡るという伝説がありますが、カササギのほうが渡月橋を真似したんじゃないかと見る也有。伝説と現実を混ぜこむ見かたが似てるなあ

くまモン着ぐるみ口から腕を垂らせる暑 悦史

  福禄寿のあたま傘の破れより出たる画賛
山はぬつと出たり麓の村時雨      也有

前書を含めて見れば、二人の着眼はそっくり

晩秋や傘の骨めく友来たる     悦史

花の骨紅葉のほねや冬木立     也有

友人の肉体を傘の骨に見立てる悦史。冬の枯木を桜や紅葉が残した骨と見る也有。

関の前句集『花咲く機械状独身者たちの活造り』には次のような句が入っています。

ゴギブリホイホイ駅のトイレに置かれ秋 悦史
蛞蝓をトイレに流し四十代
排尿と同時に打球音や秋

トイレや排泄物を描くのは関の好むところですが、実は也有もトイレを描くのが大好き。

雪隠に去年ながらのうちはかな     也有
萩かれて雪隠見ゆる寒(さむさ)かな
雪隠で覚えて来たる夜寒哉
蜂の巣や山臥にげる野雪隠

●ンコにこそ人間の真実はありと、二人とも考えているのでしょうか。

さっきからざっと見ただけでこれだけ共通点が見つかるのですから、仔細にチェックしていけばもっと類似句はありそうです。この二人に相通ずるのは、世の中を裏返して逆から見るという姿勢、それにもかかわらず性格の底には善良さがあって、けっして世界を否定したり人をそねんだりはしない大らかさを持っているという点ではないでしょうか。

関悦史の俳句はある意味無茶苦茶に飛躍していて超現代的に見えますが、原型となる視座がすでに江戸時代にあったというのは興味深いことです。人間の生みだすものに100%新規の発想などありえないということを、この例は考えさせます。

横井也有の爆笑句、いかがだったでしょう。笑える句はもっともっとあるんですけどね。次の機会に回しましょう。

次回は、也有の写実的な句、繊細な句を紹介していきます。

2022-12-03

横井也有 荷風も認めた名文家(1)


 
『横井也有全集』より

永井荷風が絶賛したエッセイ集『鶉衣』

永井荷風といえば近代の名文家ですが、その彼が「死ぬまでにこの人のような文章を一、二篇なりとも書いてみたい」と絶賛した文章家が2人います。一人は井原西鶴。もう一人が横井也有(よこい・やゆう)です。西鶴は『好色一代男』などの浮世草子で有名ですが、也有は『鶉衣』という俳文集がよく知られています。荷風の傾倒ぶりを見てみましょう。

わたしは唯自分だけの心やりとして死ぬまでにどうかして小説は西鶴美文は也有に似たものを一、二篇なりと書いて見たいと思っていたのである。『鶉衣』に収拾せられた也有の文は既に蜀山人の嘆賞措かざりし処今更後人の推賞を俟つに及ばぬものであるが、わたしは反復朗読するごとに案を拍ってこの文こそ日本の文明滅びざるかぎり日本の言語に漢字の用あるかぎり千年の後といえども必ず日本文の模範となるべきものとなすのである。その故は何かというに『鶉衣』の思想文章ほど複雑にして蘊蓄深く典故によるもの多きはない。それにもかかわらず読過其調の清明流暢なる実にわが古今の文学中その類例を見ざるもの。和漢古典のあらゆる文辞は『鶉衣』を織成緯となり元禄以後の俗体はその経をなしこれを彩るに也有一家の文藻と独自の奇才とを以てす。渾成完璧の語ここに至るを得て始て許さるべきものであろう。
(永井荷風「雨瀟瀟」)

荷風さん、「日本文の模範」「渾成完璧」と口をきわめて『鶉衣』をほめちぎっていますね。ここにも書いてあるとおり、也有の文章は狂歌師の大田蜀山人がその価値を認めたもので、也有死後に彼がこの文集を編集出版したのでした。

西鶴と也有の二人はどちらも俳諧師であったというのが興味ぶかいところです。西鶴の名前は皆さんご存知でしょうが、現代の俳人の中にも横井也有の名を知らない人が結構いるのは残念なことです。江戸時代の俳諧の紹介が芭蕉・蕪村・一茶あたりに偏っていることの弊害だと言えるでしょう。

也有は文章がすばらしいのは当然として、発句もじつにいい。今回あらためて全発句を読み直してみたのですが、面白くておかしくて、終始ゲラゲラ笑いながら読み進めました。俳人たるもの、これを知らないのはもったいない。ぜひあらためて、也有の俳諧や文章を紹介したいと思います。

将軍吉宗に拝謁した也有

さて、也有は元禄15年(1702)生まれ、天明3年(1783)没。芭蕉の死後8年目に生れましたが、数えで82歳という長寿だったので、蕪村の死の前年まで生きていました。芭蕉時代と蕪村時代の間は享保俳諧と呼ばれ、俳諧の堕落時代であったと見るのが一般的になっています。そのような俳句史観に対して加藤郁乎は異論を唱えているので再検討が必要ですが、この享保期にあって燦然と輝いた異色の俳人が也有であったと言えるでしょう。

也有には文筆家としての面のほかに、尾張徳川家に務める用人としての顏がありました。享保に生きたことからわかるとおり、彼の時代の将軍は徳川吉宗でした。そして彼が仕えたのは尾張藩の徳川宗春。也有は藩主のお供をして吉宗にも拝謁しています。

「大岡越前」や「暴れん坊将軍」のテレビドラマを視聴していた人ならわかると思いますが、将軍吉宗と宗春は反りが合わず、1739年に宗春は蟄居を命じられてしまいます。(テレビドラマでは宗春が吉宗を追い落とすためにさまざまな画策をしたことになっていますが、これはもちろんフィクションです)ちょうどこの時、也有は宗春に従って江戸に詰めていましたので、藩主交代騒動の渦中に巻きこまれたようです。

尾張藩重臣としての也有については、このシリーズの続きの中であらためて語るつもりですが、そもそも江戸時代に俳諧を主に支えていたのは町人層で、それに下級武士や農民が加わっていたと言えるでしょう。大名が俳諧師のパトロンになる場合もありましたが、名のある俳諧師たちはおおむねそれほど高い身分ではありませんでした。その中で也有は先祖代々の家柄で、いわば上級地方公務員の役職にありました。主要な俳諧師たちの中でも也有は高い地位にあった人物であったということは、頭に入れておきたい点です。

也有の漫画

也有は実に多芸多才の人で、俳諧や俳文のほかに和歌・狂歌・漢詩・武芸・平家琵琶・謡曲・書画などさまざまな分野に手を出しています。

俳諧については次回以降に紹介したいと思いますが、今回は也有の人物像を感じてもらうために彼が描いた漫画を紹介したいと思います。『也有大人即興漫画』として刊行され、後に『半掃菴也有翁戯作』という写しも作られた絵本の漫画です。(上の写真参照)

植物、象や犀などの動物、虫、魚、鳥などの漫画を描いて、その隣にそれらを人間に見立てたユーモア文を付け加えるという体裁をとっています。たとえばゴキブリの絵の横には次のような文章があります。

 あぶら虫
人に付て芝居などへ行。
ひとのべんとうを喰ふ。 

「日本国語大辞典」で「あぶらむし【油虫】」を引くと、「⑤人につきまとい、害を与えたり、無銭で飲食、遊楽などしたりするのを常習とする者をあざけっていう語。たかり」とあります。太鼓持ちのように芸を売るというのでもなく、ただ他人にからんでおこぼれを頂戴する人間のことを指すようです。也有サンもそうしたたかり屋に悩まされたことがあったかもしれません。

蚊の絵にはこんな説明文がついています。

 家(か)蚊 
小借屋に多し。声甚だ高し。しり大きにして手足ふとし。手の長きもあり。足袋のうらなどをさす。角あるりんきの枝などにすむ。

なんだこれはという感じですが、要するにこれは「嬶(かかあ)」のことなんですね。キンキン声で、尻が大きくて手足が太く、ヒステリーを起こすと角を出すという裏長屋のおかみさんのことを言っているわけ。今こんなことを書こうものならフェミニストの皆さんに吊るし上げられて、大炎上しそうです。

也有が何のためにこんな漫画を描いたかですが、彼自身は「若いころに親戚の病気の子に付き添ったことがあり、慰めてあげるためにこのような絵を描いた」と言っています。でもこれは信用できませんね。「あぶらむし」にしても「家蚊」にしても、子ども向けの文章とはとても思えません。本人の老後の気晴らしのために楽しんで書いたというのが本当でしょう。いい年の老人が(それも元は藩の重臣が)漫画などを描いていると馬鹿にされそうなので、子どもをだしにして言いつくろったのではないでしょうか。

ちょっと斜に構えて世の中を面白おかしく見るという也有の人柄が、これらの漫画からうかがえますね。

次回から也有の発句を読んでいきます。

2022-09-27

几董『附合てびき蔓』を訳してみた(後編)

几董の春夜楼があったと思われる鴨川東岸。
彼は1784年にここから聖護院の塩山亭に転居しており、
『附合てびき蔓』はそちらで執筆されたようである。

高井几董著「附合てびき蔓」の現代語訳、最終回です。途中、今日では差別的とされている身体表現がありますが、当時の時代背景を考えてそのままにしています(訳語には多少配慮しています)。なにとぞご了承ください。

『附合てびき蔓』超現代語訳(つづき)

<4.実際の作例に見る付けの手法のいろいろ-4句目以後>

四ッ谷注:この章で几董は実際の連句に即して付の手法を見ていく。まず「牡丹散て打かさなりぬ二三片 蕪村」を発句とした歌仙の8句目から解説は始まる。この歌仙の発句と脇については「中編」参照。

山田の小田の早稲を刈比(かるころ) 蕪村
夕月におくれてわたる四十雀     几董

これは景気を延ばす(叙景の句を2句続ける)という付である。かの八体に言う時節前句に詠まれた出来事の起こった状況を想定し、それが発生した季節を付句で詠む)の付でもある。

夕月におくれてわたる四十雀     几董
秋をうれひてひとり戸に倚(よる)  蕪村

これは起情である。前句の風景から人間へと題材を変えて、人の心をほうふつとさせる。八体に言う観相前句の内容に対し、それを喜怒哀楽の観点から見てその心を詠む)の付でもある。

秋をうれひてひとり戸に倚(よる)     蕪村
目塞(ふたい)で苦き薬を啜(すすり)ける 几董

前句で「秋を愁えて戸に倚る」というのを気鬱病の人と見て、趣向をこらしたものである。

八体に言う其人前句に人物が登場する場合、その身分、職業、年齢、性格、服装などの特徴を見定め、それにふさわしい句を付ける)の付である。

目塞(ふたい)で苦き薬を啜(すすり)ける 几董
当麻(たへま)へもどす風呂敷に文(ふみ) 蕪村
隣にてまだ声のする油うり         几董 

ここは3句にわたって人情が続く付である。「苦き薬を啜る」人の動作として、「当麻に返送したい物がある、誰か来ないか」と人を待つはたらきをつなげた。後句では「油うり」と趣向をこらし、「隣にて」と「他」の句にしたところに一句としての特徴がある。これは七名に言う向附前句に登場する人物に対し、別の人物を付ける)である。

隣にてまだ声のする油うり      几董
三尺つもる雪のたそがれ       蕪村

これは油売りに、たそがれ時というあしらい付を行ったものである。「三尺積もる雪」と言ったところに一句としての特徴がある。七名に言う会釈前句の人物や事物に対し、その属性〈容姿、服装、持ち物、体調、付属品など〉を想定して軽く詠む)である。

三尺つもる雪のたそがれ       蕪村
餌に飢(うゆ)る狼うちにしのぶらん 几董
兎唇(いぐち)の妻の只なきに泣ク  蕪村

「三尺の雪」に対して「餌に飢えるけだもの」を出したところが趣向で、日暮時と想定して「うちに忍ぶらん(家のまわりにひそんでいるだろう)」と一句を結んだ。次の句は、前句で「狼がひそんでいる」と言ったのは狩人であると仮定し、その妻を向附で出し、「兎唇」とした趣向は狩人への(縁語を使って付ける)である(狩人-兎の縁語)。「只泣きになく」と感情を起こしたのは、殺生の職業のために私の身にも疵があるのかもしれない、なんとも嘆かわしいことですと、一人留守をしながら泣いている場面である。これは前句を噂とした(句の上では登場しないものを想定した)感情を入れこんだ向附である。

兎唇(いぐち)の妻の只なきに泣ク  蕪村
鐘鋳(い)ある花のみてらに髪きりて 几董

ここも人情が3句に渡る場面である。狼の句では夫を、前句ではその妻を詠んだが、次はその妻の動きを「自」として(自分のこととして)付けた。さて一句の趣向は、唇に疵をもつ女を見込んで(しっかり見定めて)、悲しい世の中に飽きつくして、わが身の罪障消滅のため鐘供養(新しい鐘の撞きはじめの式、春の季語)に参詣して、髪をおろして尼になるという意味である。

さて、この鐘の句の位置(16句目)は花の定座で、ぜひとも花の句を付けなければいけないところである。しかし、前句が感情を起こしてきたので、それを受けて付けなければつながりも悪く、付をほめられることもない。やはり其人の感情を付けなければいけない。そこで鐘供養として、花の縁語を使ったのだ。山寺などの花の景色も自然と余情にあらわれて、花の句になるように仕上げるため、「花の御寺」という表現を思いついたところがたいへん苦労したところなのだ。

この案じ方は七名に言う有心前句をよく踏まえて、その世界をひっくり返したりせずに言外に想定される状況を補って、詩情豊かに表現する)である。八体で言えば其人である。

鐘鋳(い)ある花のみてらに髪きりて  几董
春のゆくゑの西にかたぶく       蕪村
能登殿の弦(つる)音かすむをちかたに 蕪村

「春のゆくゑ」の句は、前の句に「鐘供養の花の寺に春の夕暮」とあるのを受けて、その景色そのままに付け流した逃句(前句が複雑だったり重い内容だったりして付けが難しい場合、関係のない軽い内容〈季節、時間、天気などを付けて連句の流れをスムーズにする)である。

次の句は、前句の「西に傾く」というところに関連づけて、西国の海をさまよった平家のイメージを付けた。「春の行方」に「霞む遠かた」と収めたところが、前句に気分を合わせたというところである。
四ッ谷注:「能登殿」とは能登守であった平教経のこと。

これは叙景の打添(前句の風情をそのままに従って付ける)であり、付は八体に言う面影前句が歴史・古歌・物語などを連想させる場合、その故事来歴を直接言及せずにそのことをほうふつとさせるような付句を詠む)である。


四ッ谷注:途中飛んで、同じ「牡丹散て」の巻の26句目から再開する。

日はさしながら又あられ降(ふる)  几董

見し恋の児(ちご)ねり出よ堂供養  蕪村

前句、「日はさしながら又」というところに時間が経過する状況が感じられるので、それを受けて堂供養(寺院の落成記念式。寺の周囲を稚児行列がねり歩く)の場に参詣したところと設定し、眼前に見えるにように詠んでいる。さて、「見し恋の」というのは、かねがね見そめていた稚児が今日の供養の儀式のために、さぞかし美しく着飾って出てくるであろう、見たいものだという感情を起こしている。「ねり出よ」というところが話者の心情を命令的な口調で表した句作である。
四ッ谷注:同性愛をテーマとした恋の句。

これは七名で言えば起情の付である

見し恋の児(ちご)ねり出よ堂供養  蕪村
つぶりにさはる人憎き也       几董

前句の稚児を待つ人を、ここで女に読み替えて、髪なども立派に結っている姿であるというように趣向を立てて読み替えた。頭(つぶり)にさわる人というのは、堂供養の場が混雑して我がちに見物しようとしているので人の髪にさわるのも何とも思っていない様子を想定した。女の気持ちとしては髪にさわられることをまことに嫌なことだと思っている感じを一句にしたのである。

「人憎き也」と軽く言い放っているけれども、気持ちはとても強い句。

これは七名で言えば起情の付である

つぶりにさはる人憎き也       几董

いざよひの暗きひまさへ世のいそぎ  蕪村

この付け方をよく味わってみるがいい。打越(2句前)は「児ねり出よ」と言ってただ心に待ち受けているだけである。それに対して「つぶりにさはる人」と付けて一句の面白味を出したので、その触った人に焦点を当てて「暗きひまさへ世のいそぎ」と、暗かったので髪に手が当たってしまったのだという言い分を表現した。「世のいそぎ」と世間の用事に追われているさまを出したため、三句の輪廻を逃れているのだ。「世」の字が大事である。
四ッ谷注:「輪廻」は前に描いてきた世界にまた戻ってしまうことで、連句ではもっとも忌むべきとされた進行である。人情の句が3句続くけれども、この付では「世のいそぎ」と世間一般のことに転じたので、堂供養の場面からは離れたと見るわけである。

これは前句の情を押出す(前句に隠れていた感情を拾い出して付ける)の付であるる。また時分を定めて(昼の景色を暮方の景色に変えて)転じたのである。

いざよひの暗きひまさへ世のいそぎ  蕪村
しころうつなる番場(ばんば)松もと 几董

しころとは砧を打つ槌のこと。番場と松本はどちらも近江の大津と膳所の中間にある集落。付としては、「いざよいの闇」「世のいそぎ」とあるのに着目し、「暮砧急(ぼちんいそがはし)」という杜甫の詩などの面影をとって、砧を付けた、会釈の付である。八体で言えば時節(前句に詠まれた出来事の起こった状況を想定し、それが発生した季節を付句で詠む)である。

しころうつなる番場(ばんば)松もと 几董
駕舁(かごかき)の棒組たらぬ秋の雨 几董

前句の場面をしっかり想定して、「駕舁」という趣向をもうけ、「棒組足らぬ(駕籠かきの相棒が不足している)」は前句の前句の気分を引き継いで付ける)をとった句作りだ(四ッ谷注:前句が砧を打つ淋しい風景なので「たらぬ」とマイナスのイメージを引き継いだ)。「秋の雨」は季節を付け加えたもので、前句と合わせて秋雨の風情を作った。

れは八体で言うと其場前句に詠まれた出来事の起こった状況を想定し、その場所を付句で詠む)の付である。

駕舁(かごかき)の棒組たらぬ秋の雨 几董
鳶も烏もあちら向(むき)ゐる    蕪村

これは八体で言うと逃句である。4~5句を見渡しての付の要領がここに見られる。そもそも堂供養の句から始まって「頭にさはる」「世のいそぎ」と受け、「砧うつ」と場を定め「駕舁」と人を出してきたが、どれも人情句であり、人そのものの存在や人の動作を描き続けたので、ここでは「秋雨」という天象に対し動物を付けて逃げたのである。しかし「あちらを向」かせたところには趣向がある。

この付は三体で見ても逃句(軽い付け)である。

四ッ谷注:続いて「冬木だち月骨髄に入夜哉 几董」を発句とした連句が解説される。この歌仙の発句と脇については「中編」参照。6句目から始まる。


春なつかしく畳紙(でうし)とり出て 蕪村

二の尼の近き霞にかくれ住(すむ)  蕪村

前句は昔をなつかしく思い出して、古いたとう紙などを取り出して眺めている風情だが、これを内裏づとめをした人が今は遁世して、都に近いところに住む様子であると想定し次を付けたものだ。八体で言うと其人の付である。
四ッ谷注:二の尼とは官女の第二にあり、天皇が崩御した際に尼となった者。

二の尼の近き霞にかくれ住(すむ)  蕪村
七ツ限(かぎり)の門敲(たた)く音 几董

前句で尼が出たので寺の場面と趣向を定め、七つ(16時)には閉門しているとしたところが一句としての特徴である。八体で言えば其場である。「叩く」と言って屋外の感じを出した。

七ツ限(かぎり)の門敲(たた)く音       几董
雨のひまに救(すくい)の糧(かて)やおくり来ぬ 蕪村

前句では七ツ限りで人は通さぬ門と言っていたのが、「軍用の兵糧を持ってきたのだから急ぎ開けてくれ」と趣向をこらしたものである。「雨の間に」と考えついたところが一句として特徴がある点である。

雨のひまに救(すくい)の糧(かて)やおくり来ぬ 蕪村
弭(つのゆみ)たしむ能登の浦人         几董

前句で救米を運んできた軍兵は漁民と想定した上で、弭(弓筈を角で作った弓)などを腰に用意した軍勢という趣向。「能登」と想像をふくらませたところが一句としての特徴である。

どんな付句でも、一句としての特徴がない句であっては前句の繰り返し、あるいは前句の講釈に終わってしまって一句の意味がなくなる。この連句の解説で「一句としての特徴」ということを幾度も繰り返して指摘した理由を考えてみるがいい。

弭(つのゆみ)たしむ能登の浦人   几董
女狐の深きうらみを見返りて     蕪村

前句で「弭を用意した」人というのを、獲物を狩る人という意味に転じて、狐を付けの題材と決めたものだ(四ッ谷注:「弓」と「きつねわな」は付合)。「深き恨み」と(夫を射殺された恨みを表現して)句に感情を盛りこみ、「見返る」と姿を描出したところが一句としての特徴である。この案じ方は有心であり、付としては生類の会釈(動物の性質を見極めた付)である。

女狐の深きうらみを見返りて     蕪村
寝顔にかかる鬢(びん)のふくだみ  几董

前句の「うらみ深き」というのを、人間の女に狐が憑りついたさまと想定し、もののけなどに悩まされた宮女という趣向を立て、寝顔に髪の乱れかかる姿を一句の特徴としたもである。鬢のふくだみというのは、耳ぎわの髪がけば立つさまを言う。源氏物語などによく出てくる語だ。

これは付としては起情である。前句、狐は人情ではないからである。

寝顔にかかる鬢(びん)のふくだみ    几董
いとほしと代(かは)りて歌をよみぬらん 蕪村

前句の人物に対して「いとおしい」という語を差し向けて、姫君のために返歌などを代作しようとする付き人を対置させたものである。とある人がこの句を非難して、「『いとほし』というのは話者の感情であるから自の句であるはずなのに、よみぬらん』と終わるのは、他を推量している用語であるから、一句の中に自と他が混在しているのではないか」と言う。答えていわく、「代わりに詠もうと思うけれどもきちんと詠めるかどうかおぼつかないという心があるので『よみぬらん』と表現したのである」と。

連句の付句で「らん」と留めた句があったら、注意して見るがいい。いにしえの連歌や古風な俳諧ではこういう留め方を嫌うものである。

この付は、前句の詞をとる(前句のことばの調子を生かして付ける)という前句の語勢・語調に合わせて付ける)の手法である。七名で言えば向附である。

四ッ谷注:途中飛んで、同じ「冬木だち」の巻の18句目から再開する。

頭痛を忍ぶ遅キ日の影                几董
鄙人(ひなびと)の妻(め)にとられ行(ゆく)旅の春 几董

前句を、春の日のぬくぬくと暖かい時に心に楽しむこともなく、頭も重く憂鬱な気持ちでいる人と想定して、後句は傾城・遊女などが田舎客に請け出されて、遠い国へ連れられて去る旅中の情景である。

この付は其人であり、匈奴に嫁した王昭君などの面影を借りている。

鄙人(ひなびと)の妻(め)にとられ行(ゆく)旅の春 几董
水に残りし酒屋一軒                 蕪村
荒神(くはうじん)の棚に夜明の鶏啼て        几董

「酒屋一軒」の句は前の句の旅行の体に其場を付けて、趣向としては洪水で多くの家が流された中、わずかに一軒残った酒屋があるという情景である。次の句はその洪水真っただ中ということにして、夜明けがたにようやく水も引いておさまったが、洪水に残った家の様子なので鶏は竈の上の棚に上げておいて鳴かせていたというのが趣向である。「棚に」と言い「夜明の鶏」としたところが一句の特徴である。(四ッ谷注:荒神は竈の神で、竈の上に神棚を作って祀る)

これは八体で言うと時分の付である。

荒神(くはうじん)の棚に夜明の鶏啼て 几董
歳暮の飛脚物とらせやる        蕪村

これ、前句の夜明時分の情景を想定した上で、歳暮を届ける飛脚の旅立ちを発想したのが趣向で、祝儀などを渡す場面を一句にしたものだ。

歳暮の飛脚物とらせやる            蕪村
保昌(やすまさ)が任も半(なかば)や過ぬらん 几董

この一句、藤原保昌(四ッ谷注:和泉式部の夫)は丹後の国守となって赴任した人だ。昔は一期三年ほどで都から国守に任命して各国に遣わすことがあった。付の意味は、前句の歳暮の使いを丹後より来たと想定して、保昌の任国を趣向にしたのである。前句に歳の暮が詠まれているので、年末にあたって赴任期間をあらためて数えてみると「半ばは過ぎただろうな」と句を収めたものだ。この句の留は、「や」に対して「らん」と置いて、文法の定めどおりである。もちろん一句は、「他の噂」(他人のことを話題にしている)となる。

そもそもこのような趣向の句で、場所や人物を設定するのに、決まったルールはない。ただ前句をよくよく見た上で付けるなら、土佐とか貫之とかするのも作者の思いつき次第である。この句は「歳暮使」に「丹後」がなんとなく見栄えよいので保昌と仮定したまでのことだ。前句をよく把握していないと、無駄に固有名詞を出したと言われて嫌われてしまう。

この付は、前句の面影をとると同時に、前句が含む動きを引き継いで付ける)もとった手法である。

保昌(やすまさ)が任も半(なかば)や過ぬらん 几董
いばら花白し山吹の後             蕪村
むら雨の垣穂(かきほ)飛こすあまがへる    几董
三ツに畳んでほふるさむしろ          蕪村

「むら雨」の句、前句に「茨・山吹」とあるので垣を連結させた。むら雨を出したのが一句の趣向で、雨蛙は季節を合わせた取り合わせだ。次の句は起情である。前の句は景気を延ばしてきたので、人情句を付けた。急な雨に干してあった莚を畳むという句のつながりである。「垣を飛びこす」に「畳を畳んで投げる」を付けるというのは、七名に言う拍子前句が勢いのある表現である場合、その勢いを引き継いで付ける)の付であろう。

三ツに畳んでほふるさむしろ        蕪村

西国の手形うけ取(とる)小日(こひ)の暮 几董

前句で莚を抛るというのに着想して、小忙しい様子を、西国問屋などの暮れがたの風情として付けた。(四ッ谷注:「小日の暮」とはやや日暮れた時分)

八体では其場の付。

西国の手形うけ取(とる)小日(こひ)の暮 几董

貧しき葬(さう)の足ばやに行(ゆく)   蕪村

前句、問屋の表口の日暮時分と想定し、その前に葬列を通らせたのが趣向である。「足ばやにゆく」のが「貧しき」というところと関連づいていて一句としての特徴が出た。

八体では時分の付。

貧しき葬(さう)の足ばやに行(ゆく) 蕪村
片側は野川流るる秋の風        几董

前句の情景を見定めて、墓地に近い野に面した町と趣向をこらし、秋風は葬礼へのであり、物寂しい旧暦八月ごろ夕暮の風景で、二句の間に余情が生まれている。

これは時候の景色附である。(四ッ谷注:「時候の景色附」というのはここで初めて出てくる用語。八体の時節に近いと考えるべきか)

片側は野川流るる秋の風       几董
月の夜ごろの遠き稲妻        蕪村

前句の野川の秋風という時候を前提として、月も曇りがちで夜の稲妻が薄く光っているとして悲哀の気持を打添した趣向の句作りである。

八体で言えば天相天体や気象を描く)である。

月の夜ごろの遠き稲妻        蕪村
仰ぎ見て人なき車冷じき       蕪村

前句の景色を前提として、秋の夜のもの淋しい情景に、乗り捨てたカラの牛車という趣向を定め、それを仰ぎ見るという姿に感情を掻き起こしたのである。

これは前句のをとる(前句が含む感覚を引き継いで付ける)という方法であり、七名で言えば起情の付である。

仰ぎ見て人なき車冷じき          蕪村
今や相図(あひず)の礫(つぶて)うつらし 几董

前句、「ひとなき車」というのを不審な状況と設定し、幽閉されていた姫君を盗み出そうとしているのだと趣向を立て、内部に知らせる合図の小石を打とうとしていると句作した。

これは前句の情を押出すという付である。

今や相図(あひず)の礫(つぶて)うつらし 几董
添(そひ)ぶしにあすらが眠窺ひつ     蕪村
甕(もたい)の花のひらひらと散る     几董  

合図の小石を打って知らせる相手を女と想定して、その女が阿修羅(あすら)に添い寝していると趣向した。さて、阿修羅というのはあくまで比喩として言った言葉である。たとえばそれはかの酒呑童子などという昔の盗賊の首領の類かもしれない。あるいは清盛入道が常盤御前に添い寝させていると見ることもできるだろう。

次の句は、その場の情景を想定して、酒に酔わせてうまく寝入らせてしまった阿修羅の枕元などに、甕に活けた桜の花がある様子を趣向して付けた。前句の眠りをうかがっている添い寝の女に取材して、女が懐刀などで命を狙おうとすれば壺に活けた花がひらひらと散ってそれにすら心が驚かされるという余情を詠んだ。逃句の付は達人でなければできないと言ったのは、このような場合を言うのだ。蕉門の付句を知らない者は、このような苦心を目にしたことがないから、「この付はどういう心だ、一句は何でもない句じゃないか」と言ってしまうのだ。この呼吸をよく覚えないと、付合の良い連句を見ても納得がいかないだろう。

以上の付についての評釈では、『桃すもも』所収の連句2巻から拾い出して引用した。全体を見るには、その撰集を照らし合わせてもらいたい。

<付記1.名所地名を違附する場合について>

四ッ谷注:違附とは、正反対のもの、対称関係のものを付けること。

はな紙に都の連歌書つけて
暮(くる)る大津に三井の鐘きく

あるいは

いせの音頭も忘れがちなる
難波江に風ひく迄を月の舟

付け方はだいだいこんな感じである。どちらの場合でも、一方の地名は話題にのぼっているだけ(噂)なのに対し、もう一方は実際の現地の景色(現在)であることに注意。

<付記2.畳語(同じものの繰り返し)について>

海棠(かいどう)の花しぼる銀皿
花の陰に海棠の枝きりちらし

前句は海棠の花を銀皿にしぼりとる動作である。後句は花の陰に海棠の枝を剪りちらかした様子である。前句は海棠の花房を詠み、後句は海棠の剪定を言っている。「花の陰」というのは海棠とは別の、根の生えた外の木のことである。したがってこの句を花の座に用いる場合は、正花(花の座で花として扱われるもの)としての桜は別にあると考え、海棠はかかわらないのである。

一句の中に「花」の字と「桜」の字の両方を使った句の場合、花と桜がいっしょくたにならないように詠めるのであれば、正花扱いになる。たとえば

世の花におくれて一木(ひとき)山ざくら

「世の花」は過去の花であり、 「山ざくら」は現前の桜であるから、これは正花になるのである。

道ぬかる花の山口はつざくら

「花の山」が花の本体であり、「はつざくら」はその属性にすぎないから、これも正花になる。

また、

花の比(ころ)うかがへば世はしづかなり
世はしづか也人群(むる)る春

前句は花の盛りなどにあちらこちらに遊びに出てみれば、いかにも太平の御代であるといった句である。後句はそれを受けて、いかにも太平の御代は静かであると語を重ねた上で、「人群る春」と打返し前句とは反対の事柄を付ける) 、民の賑わいを付けたのだ。もっとも、この句は挙句(最後の句)なのでこういった意図を用いたのだが。

<付記3.その他、付に関する注意>

初裏の月から秋の句が3句続いた場合、花の座を迎えるにあたって花前が秋の句になる。その時は注意しなければならない。
(四ッ谷注:初裏とは歌仙形式の場合、表六句に続くいわゆる「裏」の部分でつまり7句目~18句目が相当する。その中で14句目が月の定座になるが、それを受けて2句連続で秋の句を付けた場合(つまり月の句を含め3句連続で秋となった場合)、花の定座が17句目なので、花の前の16句目に秋の句が来てしまう。秋の句に花の句を付けるのは難しいので、その場合の心得をここで述べている。

露・霧・雁・鹿・相撲などは秋の季題であるが、春のものとしても扱うことが可能である。したがって花前はこれらの季題を使って連結し花の句へ渡すようにすべきである。

また冬の句に春を付けるとか、単に月とばかり出た句(春・夏・冬ではない月の句)に秋以外の季を付けていくのは難しいので、前句をよく見定めて、季節に無理が生じないように処理すべきである。

<付記4.花前に名月が出たケース>

其角の撰集『花摘』収録の巻中に、

名月日よし酒(さか)むかへ人    卜宅
かぐや姫かへせと空に花ふりて    其角

という付がある。前句、「酒むかへ人」というのは、俗に坂迎と言って旅より帰る人を迎えることである。それであるから「日よし」と、日柄もいいと上にもってきたのである。さて、「名月」に「かぐや姫」を付けたのは、『竹取物語』に、8月15日の夜に月の都から天人が大勢下りてきてかぐや姫を迎えに来たのを、みかどから二千人の防御の兵が遣わされ防御したのだが、ついに姫に羽衣を着せ、車にお乗せして天にのぼっていたありあさまを、「花ふりて」と一句に作ったのである。これは俳諧の世界では古今未曾有の付句であって、尋常のノウハウではとても実現できないものである。よくよく味わうべきだ。

[出版者後記] (略)

以 上

参考文献:
 『蕪村全集 第二巻 連句』(講談社)
 『連句辞典』(東明雅、杉内徒司、大畑健治編/東京堂出版)