2022-09-25

几董『附合てびき蔓』を訳してみた(前編)

 
高井几董『附合てびき蔓』(1786年)

連句の好著を現代語訳

蕪村一門についていろいろ資料を調べているうち、蕪村の弟子、高井几董(1741〜1789)が著した『附合てびき蔓』という連句創作マニュアルを目にしました。これがなかなかわかりやすくて面白い。原文を収録した集英社版『古典俳文学大系』第14巻の解説には

本書の特色は、余り細かい作法にとらわれず、体験的・実作的立場で、初学者を指導しようとする点にあった。従って読者に相当歓迎されたようであり、また蕪村一派の連句観や傾向を知る上で、貴重な資料である。(清水孝之)

とあります。今日連句をたしなむ人たちにも役立つところがあるように思われました。(というか、今日の連句入門書にも几董の著書の内容がしばしば反映されている)

ただこのマニュアル、文語で書かれたもので、連句用語もちりばめられているので、素人には読みづらい。現代語に訳した本がないか探してみたのですが、見つかりません。見つからないなら、自分で訳してみよう--
というわけで、蛮勇をふるって訳してみます。わかりやすさを重視していますので、できるだけ連句専門用語は使わず、また適宜ことばを付け足します。相当意訳しています。門外漢の訳ですので間違いや不適切な解釈があると思いますが、ご指摘があればおいおい直していくことにしましょう。では。

『附合てびき蔓』超現代語訳

[自序] (略)

<1.発句から第三までの付け方を中心に>

[発句~5句目までの詠みかた]

昔からの教え
発句客が詠む
あるじが詠む
第三相伴する人が詠む
4句目料理人が詠む
四ッ谷注:「料理人」というのは、あたかも板前が座敷にちょっと顔を出すような具合に、一座の低位の人が出しゃばらずにさらりと詠む感じ。

几董の考え
発句詩情豊かに(有心)叙景句または遠景人間が出てくる句または話者自身を描く句叙景句または動きのある句
発句の世界を踏まえてそれを補うように(有心)叙景句または遠景叙景句または他人を描く句前句から導かれる人間が出てくる句またはモノを描いた句
第三中位の重さで(会釈-あしらい)人間が出てくる句または近景叙景句または他人を描く句人間が出てくる句またはモノを描いた句
4句目軽く付ける(逃げ句)人間が出てくる句または近景人間が出てくる句または話者自身を描く句叙景句またモノを描いた句
5句目人間が出てくる句または話者自身を描く句前句から導かれる人間が出てくる句またはモノを描いた句

[脇の付け方5種類(昔からの教え)]

1) 発句に使われた語と同類語を用いる【相対-あいたい】
2) 「頃」という字で終るように付ける【頃-ころ】
3) 発句で使われた語と正反対の語を用いる【対-つい】
4) 発句の風情をそのままに従って付ける【打添-うちそえ】
5) 発句の内容を包みこむような大きな場面・背景を詠む【打着-うちつけ

[付け方の時代ごとの変化を、前句のテーマ別に実例で示す

前句の題材涼しさ暑さ寒さ
貞門時代の付句川端小松原酔い醒める
談林時代の付句拭い縁緋縮緬竈の塗立
芭蕉以後の付句鶴の脚籠の中の鷲塩鯛の歯
四ッ谷注:ここで几董は「物付(貞門時代)」「心付(談林時代)」「余情付(芭蕉以後)」の違いを実例で示している。物付は前句と同種の題材を使う。心付は前句と論理的なつながりがある題材を使う。余情付は前句と直接の関係はないがイメージに通うところがある題材を使う。芭蕉は物付や心付を避け、余情付を重視するよう指導した。

[脇句と第三についての伝統的な考え

  • 原則として脇句は体言でしめくくる。ただし発句次第では助詞・助動詞でしめくくることもある。
    発句では表現しきれなかった、現地の山川、草木、鳥獣などを補って、発句の雰囲気を増幅させるのが大事である。
  • 脇は漢字で留めよというのは、発句と脇を合わせて一首の和歌のように作るためである。だが発句と脇がよくつながっていて一首の歌のようになっているのを「脇の姿」と言って重視するのである。こうした理を理解すべきである。
  • 第三は発句ではないが、平句でもない。作り方に決まりがあって、「て」「らん」「もなし」「に」のいずれかのテニヲハで留めるように決められている。
  • このように第三の終止に特定の文字が決められているのは、第三は発句のような性格を持つけれども、下を留めないようにして4句目へとつなげるためである。この原理をわかってさえいれば、「て」「に」留めに限定しなくてもよい。しかし、全体の中でも「なるほどこれはいかにも第三の句だ」と思わせるような第三のありようを理解していないならば、やはり決められた留めに従うべきである。(以下略)

 [脇句と第三についての几董の考え

  • 発句で始まったものを脇で引き継ぐことで二句で完結させ、和歌一首の形にすることで脇句の価値が生まれる。したがって脇句の留めは体言や助詞・助動詞に限定されるわけではなく、全体が整っていることをルールとする。
    第三からあらためて連句が始まるのだが、そうは言ってもすでに脇句という前句があり、発句という打越(2句前の句)がある。世界を一転させて連句の流れが前に戻らないようにし、発句と脇が一体となって揃ったところを発展させなければならない。なおかつ、第三から始まって連句は次へ次へと続くので、留めについて決まりがあるのである。第三の句は一巻の中でも難しい場所だ。脇と第三の作り方を熟知すれば、百句だろうが千句だろうがいくらでも詠むことは可能になるのである。脇が良くなく、第三がダメであったら、連句一巻もうまく仕上がらない。まずこの二句の付け方をよく修行することで、自在に付けられるような境地になる。

<2.さまざまな付けの技法>

 [伝統的な付けの形8通り

  • 「寄(よせ)」(前句の語の縁語をとって付ける)
  • 志」訳者には不明)
  • 「観相」(前句の内容に対し、それを喜怒哀楽の観点から見てその心を詠む)
  • 「打返し」(前句とは反対の事柄を付ける)
  • 「欺」訳者には不明)
  • 「前句の情を押出す句」(前句に隠れていた感情を拾い出して付ける)
  • 詞をとる句」(前句のことばの調子を生かして付ける)
  • 「意気」訳者には不明)

 [伝統的な発想法7通り(七名-しちみょう)

  • 前句をよく踏まえて、その世界をひっくり返したりせずに言外に想定される状況を補って、詩情豊かに表現する。【有心-うしん】
  • 前句に登場する人物に対し、別の人物を付ける。【向附-むかいづけ】
  • 前句に人物が登場しないとき(場の句)、次の句は人を描き、人の心の動きが感じられるように付ける。【起情-きじょう】
  • 前句の人物や事物に対し、その属性(容姿、服装、持ち物、体調、付属品など)を想定して軽く詠む。【会釈-あしらい】
  • 前句が複雑だったり重い内容だったりして付けが難しい場合、関係のない軽い内容(季節、時間、天気など)を付けて連句の流れをスムーズにする。【逃句-にげく】
  • 前句が勢いのある表現である場合、その勢いを引き継いで付ける。【拍子-ひょうし】
  • 前句が色彩語を含む場合、または特定の色を持つ題材の場合、別の色を示唆する句を付ける。【色立-いろだて】

 [伝統的な付けの着眼点8通り(八体-はったい)

  • 前句に人物が登場する場合、その身分、職業、年齢、性格、服装などの特徴を見定め、それにふさわしい句を付ける。【其人-そのひと】
  • 前句に詠まれた出来事の起こった状況を想定し、その場所を付句で詠む。【其場-そのば】
  • 前句に詠まれた出来事の起こった状況を想定し、それにふさわしい出来事や風俗を描く。【其時-そのとき】
      四ッ谷注:各務支考の七名八体説では【時宜】とする。
  • 天体や気象を描く。【天相-てんそう】
  • 前句の内容に対し、それを喜怒哀楽の観点から見てその心を詠む。【観相-かんそう】
  • 前句に詠まれた出来事の起こった状況を想定し、それが発生した時間帯を付句で詠む。【時分-じぶん】
  • 前句に詠まれた出来事の起こった状況を想定し、それが発生した季節を付句で詠む。【時節-じせつ】
  • 前句が歴史・古歌・物語などを連想させる場合、その故事来歴を直接言及せずにそのことをほうふつとさせるような付句を詠む。【面影-おもかげ】

[伝統的な3通りの形(三体-さんたい)

  • 詩情豊かな付け。【有心-うしん】
  • 中位の重さの付け【会釈-あしらい】
  • 軽い付け【逃句-にげく】

[余情付の手法を示す伝統的な5字(取響-とりひびき)

  • 前句が歴史・古歌・物語などを連想させる場合、その故事来歴を直接言及せずにそのことをほうふつとさせるような付句を詠む。【俤-おもかげ】
  • 前句が含む感覚(寒熱、鋭鈍、緊張弛緩などの感覚か?)を引き継いで付ける。【感-かん】
  • 前句が感じさせる香り(?)を引き継いで付ける。【香-かおり】
  • 前句の気分を引き継いで付ける。【移-うつり】
  • 前句が含む動きを引き継いで付ける。【働-はたらき】

[8句を一単位と見た場合の伝統的な展開のしかた(八句之運-はっくのはこび)

    視覚的な句→視覚的な句→聴覚的な句→聴覚的な句→思いの句→思いの句→動作の句→動作の句
    というように2句ずつ詠むポイントを変えていく。

    [付けの技法についての几董の考え

    前章で発句から5句目までの詠みかたについて、「話者自身を描く句(自)/他人を描く句(他)」「モノを描く句(体)/動きを描く句(用)」「人間を描いた句(人情)/叙景の句(景気)」といった区別によって説明した。一巻の連続のさせ方、4句目5句目の進行はこの規則に沿ってよく理解するべきである。

    人情の句で景気の句をはさむとか、景気の句で人情の句をはさむといったやりかたはよくない。このようなやり方は俗に「観音びらき」と言って、タブーとされている。あるいは人情を2句続け、次は景気を2句続けというように縞を織るように2句ずつ付けるやり方をすると、一巻が無難に進むけれども盛り上がりが欠けてしまう。とは言っても景気の句は2句続けて対にしたい。これを俗に「延ばす法」と言う。次に人情・起情の句が出ることを期待するのである。

    人情が2句続き、3句目も人情となる場合は、「前句に登場する人物に対し、別の人物を付ける(向附)」の手法を導入することで自の句他の句を区別し、そのようにして4句5句と続けていくこともできる。このような変化を入れていかないと、一巻の盛り上がり場所がないことになってしまう。昔の連句には人情が5~6句続いた例もある。よく考えてみること。

    景気の句であってもそこに「見・聞・思・行」の文字が含まれていれば、人事の句だとして人情句との打越を嫌う考えがある。句にもよるけれども、そういうことを言い出すと「花」とか「ほととぎす」といった題材の句でもそこには見る、聞くといった人の動作が関わることは避けられない。こういうことを全部チェックしはじめると細かい詮索におちいってしまって、一巻の勢いがなくなる。句にはこめられた情感があり、作者の意図があるので、景気の句であっても情感を含むものがありうる。情を含むように見えても叙景の句がある。このへんをよくわかった上で議論すべきである。たとえば昔の物語や草紙などに、地の詞(会話や歌を除いた地の文)があることに当てはめて考えてみるといい。連句一巻は、物語を上手に書き綴るのと同じと考えてみるのも、助けになるだろう。