几董の春夜楼があったと思われる鴨川東岸。
彼は1784年にここから聖護院の塩山亭に転居しており、
『附合てびき蔓』はそちらで執筆されたようである。
高井几董著「附合てびき蔓」の現代語訳、最終回です。途中、今日では差別的とされている身体表現がありますが、当時の時代背景を考えてそのままにしています(訳語には多少配慮しています)。なにとぞご了承ください。
『附合てびき蔓』超現代語訳(つづき)
<4.実際の作例に見る付けの手法のいろいろ-4句目以後>
四ッ谷注:この章で几董は実際の連句に即して付の手法を見ていく。まず「牡丹散て打かさなりぬ二三片 蕪村」を発句とした歌仙の8句目から解説は始まる。この歌仙の発句と脇については「中編」参照。
山田の小田の早稲を刈比(かるころ) 蕪村
夕月におくれてわたる四十雀 几董
これは景気を延ばす(叙景の句を2句続ける)という付である。かの八体に言う時節(前句に詠まれた出来事の起こった状況を想定し、それが発生した季節を付句で詠む)の付でもある。
夕月におくれてわたる四十雀 几董
秋をうれひてひとり戸に倚(よる) 蕪村
これは起情である。前句の風景から人間へと題材を変えて、人の心をほうふつとさせる。八体に言う観相(前句の内容に対し、それを喜怒哀楽の観点から見てその心を詠む)の付でもある。
秋をうれひてひとり戸に倚(よる) 蕪村
目塞(ふたい)で苦き薬を啜(すすり)ける 几董
前句で「秋を愁えて戸に倚る」というのを気鬱病の人と見て、趣向をこらしたものである。
八体に言う其人(前句に人物が登場する場合、その身分、職業、年齢、性格、服装などの特徴を見定め、それにふさわしい句を付ける)の付である。
目塞(ふたい)で苦き薬を啜(すすり)ける 几董
当麻(たへま)へもどす風呂敷に文(ふみ) 蕪村
隣にてまだ声のする油うり 几董
ここは3句にわたって人情が続く付である。「苦き薬を啜る」人の動作として、「当麻に返送したい物がある、誰か来ないか」と人を待つはたらきをつなげた。後句では「油うり」と趣向をこらし、「隣にて」と「他」の句にしたところに一句としての特徴がある。これは七名に言う向附(前句に登場する人物に対し、別の人物を付ける)である。
隣にてまだ声のする油うり 几董
三尺つもる雪のたそがれ 蕪村
これは油売りに、たそがれ時というあしらい付を行ったものである。「三尺積もる雪」と言ったところに一句としての特徴がある。七名に言う会釈(前句の人物や事物に対し、その属性〈容姿、服装、持ち物、体調、付属品など〉を想定して軽く詠む)である。
三尺つもる雪のたそがれ 蕪村
餌に飢(うゆ)る狼うちにしのぶらん 几董
兎唇(いぐち)の妻の只なきに泣ク 蕪村
「三尺の雪」に対して「餌に飢えるけだもの」を出したところが趣向で、日暮時と想定して「うちに忍ぶらん(家のまわりにひそんでいるだろう)」と一句を結んだ。次の句は、前句で「狼がひそんでいる」と言ったのは狩人であると仮定し、その妻を向附で出し、「兎唇」とした趣向は狩人への寄(縁語を使って付ける)である(狩人-兎の縁語)。「只泣きになく」と感情を起こしたのは、殺生の職業のために私の身にも疵があるのかもしれない、なんとも嘆かわしいことですと、一人留守をしながら泣いている場面である。これは前句を噂とした(句の上では登場しないものを想定した)感情を入れこんだ向附である。
兎唇(いぐち)の妻の只なきに泣ク 蕪村
鐘鋳(い)ある花のみてらに髪きりて 几董
ここも人情が3句に渡る場面である。狼の句では夫を、前句ではその妻を詠んだが、次はその妻の動きを「自」として(自分のこととして)付けた。さて一句の趣向は、唇に疵をもつ女を見込んで(しっかり見定めて)、悲しい世の中に飽きつくして、わが身の罪障消滅のため鐘供養(新しい鐘の撞きはじめの式、春の季語)に参詣して、髪をおろして尼になるという意味である。
さて、この鐘の句の位置(16句目)は花の定座で、ぜひとも花の句を付けなければいけないところである。しかし、前句が感情を起こしてきたので、それを受けて付けなければつながりも悪く、付をほめられることもない。やはり其人の感情を付けなければいけない。そこで鐘供養として、花の縁語を使ったのだ。山寺などの花の景色も自然と余情にあらわれて、花の句になるように仕上げるため、「花の御寺」という表現を思いついたところがたいへん苦労したところなのだ。
鐘鋳(い)ある花のみてらに髪きりて 几董
春のゆくゑの西にかたぶく 蕪村
能登殿の弦(つる)音かすむをちかたに 蕪村
「春のゆくゑ」の句は、前の句に「鐘供養の花の寺に春の夕暮」とあるのを受けて、その景色そのままに付け流した逃句(前句が複雑だったり重い内容だったりして付けが難しい場合、関係のない軽い内容〈季節、時間、天気など〉を付けて連句の流れをスムーズにする)である。
四ッ谷注:「能登殿」とは能登守であった平教経のこと。
これは叙景の打添(前句の風情をそのままに従って付ける)であり、付は八体に言う面影(前句が歴史・古歌・物語などを連想させる場合、その故事来歴を直接言及せずにそのことをほうふつとさせるような付句を詠む)である。
○
四ッ谷注:途中飛んで、同じ「牡丹散て」の巻の26句目から再開する。
日はさしながら又あられ降(ふる) 几董
見し恋の児(ちご)ねり出よ堂供養 蕪村
四ッ谷注:同性愛をテーマとした恋の句。
これは七名で言えば起情の付である。
見し恋の児(ちご)ねり出よ堂供養 蕪村
つぶりにさはる人憎き也 几董
前句の稚児を待つ人を、ここで女に読み替えて、髪なども立派に結っている姿であるというように趣向を立てて読み替えた。頭(つぶり)にさわる人というのは、堂供養の場が混雑して我がちに見物しようとしているので人の髪にさわるのも何とも思っていない様子を想定した。女の気持ちとしては髪にさわられることをまことに嫌なことだと思っている感じを一句にしたのである。
「人憎き也」と軽く言い放っているけれども、気持ちはとても強い句。
これは七名で言えば起情の付である。
つぶりにさはる人憎き也 几董
いざよひの暗きひまさへ世のいそぎ 蕪村
四ッ谷注:「輪廻」は前に描いてきた世界にまた戻ってしまうことで、連句ではもっとも忌むべきとされた進行である。人情の句が3句続くけれども、この付では「世のいそぎ」と世間一般のことに転じたので、堂供養の場面からは離れたと見るわけである。
これは前句の情を押出す(前句に隠れていた感情を拾い出して付ける)の付であるる。また時分を定めて(昼の景色を暮方の景色に変えて)転じたのである。
いざよひの暗きひまさへ世のいそぎ 蕪村
しころうつなる番場(ばんば)松もと 几董
しころとは砧を打つ槌のこと。番場と松本はどちらも近江の大津と膳所の中間にある集落。付としては、「いざよいの闇」「世のいそぎ」とあるのに着目し、「暮砧急(ぼちんいそがはし)」という杜甫の詩などの面影をとって、砧を付けた、会釈の付である。八体で言えば時節(前句に詠まれた出来事の起こった状況を想定し、それが発生した季節を付句で詠む)である。
しころうつなる番場(ばんば)松もと 几董
駕舁(かごかき)の棒組たらぬ秋の雨 几董
前句の場面をしっかり想定して、「駕舁」という趣向をもうけ、「棒組足らぬ(駕籠かきの相棒が不足している)」は前句の移(前句の気分を引き継いで付ける)をとった句作りだ(四ッ谷注:前句が砧を打つ淋しい風景なので「たらぬ」とマイナスのイメージを引き継いだ)。「秋の雨」は季節を付け加えたもので、前句と合わせて秋雨の風情を作った。
これは八体で言うと其場(前句に詠まれた出来事の起こった状況を想定し、その場所を付句で詠む)の付である。
駕舁(かごかき)の棒組たらぬ秋の雨 几董
鳶も烏もあちら向(むき)ゐる 蕪村
これは八体で言うと逃句である。4~5句を見渡しての付の要領がここに見られる。そもそも堂供養の句から始まって「頭にさはる」「世のいそぎ」と受け、「砧うつ」と場を定め「駕舁」と人を出してきたが、どれも人情句であり、人そのものの存在や人の動作を描き続けたので、ここでは「秋雨」という天象に対し動物を付けて逃げたのである。しかし「あちらを向」かせたところには趣向がある。
この付は三体で見ても逃句(軽い付け)である。
○
四ッ谷注:続いて「冬木だち月骨髄に入夜哉 几董」を発句とした連句が解説される。この歌仙の発句と脇については「中編」参照。6句目から始まる。
春なつかしく畳紙(でうし)とり出て 蕪村
二の尼の近き霞にかくれ住(すむ) 蕪村
四ッ谷注:二の尼とは官女の第二にあり、天皇が崩御した際に尼となった者。
二の尼の近き霞にかくれ住(すむ) 蕪村
七ツ限(かぎり)の門敲(たた)く音 几董
前句で尼が出たので寺の場面と趣向を定め、七つ(16時)には閉門しているとしたところが一句としての特徴である。八体で言えば其場である。「叩く」と言って屋外の感じを出した。
七ツ限(かぎり)の門敲(たた)く音 几董
雨のひまに救(すくい)の糧(かて)やおくり来ぬ 蕪村
前句では七ツ限りで人は通さぬ門と言っていたのが、「軍用の兵糧を持ってきたのだから急ぎ開けてくれ」と趣向をこらしたものである。「雨の間に」と考えついたところが一句として特徴がある点である。
雨のひまに救(すくい)の糧(かて)やおくり来ぬ 蕪村
弭(つのゆみ)たしむ能登の浦人 几董
前句で救米を運んできた軍兵は漁民と想定した上で、弭(弓筈を角で作った弓)などを腰に用意した軍勢という趣向。「能登」と想像をふくらませたところが一句としての特徴である。
どんな付句でも、一句としての特徴がない句であっては前句の繰り返し、あるいは前句の講釈に終わってしまって一句の意味がなくなる。この連句の解説で「一句としての特徴」ということを幾度も繰り返して指摘した理由を考えてみるがいい。
弭(つのゆみ)たしむ能登の浦人 几董
女狐の深きうらみを見返りて 蕪村
前句で「弭を用意した」人というのを、獲物を狩る人という意味に転じて、狐を付けの題材と決めたものだ(四ッ谷注:「弓」と「きつねわな」は付合)。「深き恨み」と(夫を射殺された恨みを表現して)句に感情を盛りこみ、「見返る」と姿を描出したところが一句としての特徴である。この案じ方は有心であり、付としては生類の会釈(動物の性質を見極めた付)である。
女狐の深きうらみを見返りて 蕪村
寝顔にかかる鬢(びん)のふくだみ 几董
前句の「うらみ深き」というのを、人間の女に狐が憑りついたさまと想定し、もののけなどに悩まされた宮女という趣向を立て、寝顔に髪の乱れかかる姿を一句の特徴としたもである。鬢のふくだみというのは、耳ぎわの髪がけば立つさまを言う。源氏物語などによく出てくる語だ。
これは付としては起情である。前句、狐は人情ではないからである。
寝顔にかかる鬢(びん)のふくだみ 几董
いとほしと代(かは)りて歌をよみぬらん 蕪村
前句の人物に対して「いとおしい」という語を差し向けて、姫君のために返歌などを代作しようとする付き人を対置させたものである。とある人がこの句を非難して、「『いとほし』というのは話者の感情であるから自の句であるはずなのに、『よみぬらん』と終わるのは、他を推量している用語であるから、一句の中に自と他が混在しているのではないか」と言う。答えていわく、「代わりに詠もうと思うけれどもきちんと詠めるかどうかおぼつかないという心があるので『よみぬらん』と表現したのである」と。
連句の付句で「らん」と留めた句があったら、注意して見るがいい。いにしえの連歌や古風な俳諧ではこういう留め方を嫌うものである。
この付は、前句の詞をとる(前句のことばの調子を生かして付ける)という響(前句の語勢・語調に合わせて付ける)の手法である。七名で言えば向附である。
○
四ッ谷注:途中飛んで、同じ「冬木だち」の巻の18句目から再開する。
頭痛を忍ぶ遅キ日の影 几董
鄙人(ひなびと)の妻(め)にとられ行(ゆく)旅の春 几董
前句を、春の日のぬくぬくと暖かい時に心に楽しむこともなく、頭も重く憂鬱な気持ちでいる人と想定して、後句は傾城・遊女などが田舎客に請け出されて、遠い国へ連れられて去る旅中の情景である。
この付は其人であり、匈奴に嫁した王昭君などの面影を借りている。
鄙人(ひなびと)の妻(め)にとられ行(ゆく)旅の春 几董
水に残りし酒屋一軒 蕪村
荒神(くはうじん)の棚に夜明の鶏啼て 几董
「酒屋一軒」の句は前の句の旅行の体に其場を付けて、趣向としては洪水で多くの家が流された中、わずかに一軒残った酒屋があるという情景である。次の句はその洪水真っただ中ということにして、夜明けがたにようやく水も引いておさまったが、洪水に残った家の様子なので鶏は竈の上の棚に上げておいて鳴かせていたというのが趣向である。「棚に」と言い「夜明の鶏」としたところが一句の特徴である。(四ッ谷注:荒神は竈の神で、竈の上に神棚を作って祀る)
これは八体で言うと時分の付である。
荒神(くはうじん)の棚に夜明の鶏啼て 几董
歳暮の飛脚物とらせやる 蕪村
これ、前句の夜明時分の情景を想定した上で、歳暮を届ける飛脚の旅立ちを発想したのが趣向で、祝儀などを渡す場面を一句にしたものだ。
歳暮の飛脚物とらせやる 蕪村
保昌(やすまさ)が任も半(なかば)や過ぬらん 几董
この一句、藤原保昌(四ッ谷注:和泉式部の夫)は丹後の国守となって赴任した人だ。昔は一期三年ほどで都から国守に任命して各国に遣わすことがあった。付の意味は、前句の歳暮の使いを丹後より来たと想定して、保昌の任国を趣向にしたのである。前句に歳の暮が詠まれているので、年末にあたって赴任期間をあらためて数えてみると「半ばは過ぎただろうな」と句を収めたものだ。この句の留は、「や」に対して「らん」と置いて、文法の定めどおりである。もちろん一句は、「他の噂」(他人のことを話題にしている)となる。
そもそもこのような趣向の句で、場所や人物を設定するのに、決まったルールはない。ただ前句をよくよく見た上で付けるなら、土佐とか貫之とかするのも作者の思いつき次第である。この句は「歳暮使」に「丹後」がなんとなく見栄えよいので保昌と仮定したまでのことだ。前句をよく把握していないと、無駄に固有名詞を出したと言われて嫌われてしまう。
この付は、前句の面影をとると同時に、働(前句が含む動きを引き継いで付ける)もとった手法である。
保昌(やすまさ)が任も半(なかば)や過ぬらん 几董
いばら花白し山吹の後 蕪村
むら雨の垣穂(かきほ)飛こすあまがへる 几董
三ツに畳んでほふるさむしろ 蕪村
「むら雨」の句、前句に「茨・山吹」とあるので垣を連結させた。むら雨を出したのが一句の趣向で、雨蛙は季節を合わせた取り合わせだ。次の句は起情である。前の句は景気を延ばしてきたので、人情句を付けた。急な雨に干してあった莚を畳むという句のつながりである。「垣を飛びこす」に「畳を畳んで投げる」を付けるというのは、七名に言う拍子(前句が勢いのある表現である場合、その勢いを引き継いで付ける)の付であろう。
三ツに畳んでほふるさむしろ 蕪村
西国の手形うけ取(とる)小日(こひ)の暮 几董
前句で莚を抛るというのに着想して、小忙しい様子を、西国問屋などの暮れがたの風情として付けた。(四ッ谷注:「小日の暮」とはやや日暮れた時分)
八体では其場の付。
西国の手形うけ取(とる)小日(こひ)の暮 几董
貧しき葬(さう)の足ばやに行(ゆく) 蕪村
前句、問屋の表口の日暮時分と想定し、その前に葬列を通らせたのが趣向である。「足ばやにゆく」のが「貧しき」というところと関連づいていて一句としての特徴が出た。
八体では時分の付。
貧しき葬(さう)の足ばやに行(ゆく) 蕪村
片側は野川流るる秋の風 几董
前句の情景を見定めて、墓地に近い野に面した町と趣向をこらし、秋風は葬礼への寄であり、物寂しい旧暦八月ごろ夕暮の風景で、二句の間に余情が生まれている。
これは時候の景色附である。(四ッ谷注:「時候の景色附」というのはここで初めて出てくる用語。八体の時節に近いと考えるべきか)
片側は野川流るる秋の風 几董
月の夜ごろの遠き稲妻 蕪村
前句の野川の秋風という時候を前提として、月も曇りがちで夜の稲妻が薄く光っているとして悲哀の気持を打添した趣向の句作りである。
八体で言えば天相(天体や気象を描く)である。
月の夜ごろの遠き稲妻 蕪村
仰ぎ見て人なき車冷じき 蕪村
前句の景色を前提として、秋の夜のもの淋しい情景に、乗り捨てたカラの牛車という趣向を定め、それを仰ぎ見るという姿に感情を掻き起こしたのである。
これは前句の感をとる(前句が含む感覚を引き継いで付ける)という方法であり、七名で言えば起情の付である。
仰ぎ見て人なき車冷じき 蕪村
今や相図(あひず)の礫(つぶて)うつらし 几董
前句、「ひとなき車」というのを不審な状況と設定し、幽閉されていた姫君を盗み出そうとしているのだと趣向を立て、内部に知らせる合図の小石を打とうとしていると句作した。
これは前句の情を押出すという付である。
今や相図(あひず)の礫(つぶて)うつらし 几董
添(そひ)ぶしにあすらが眠窺ひつ 蕪村
甕(もたい)の花のひらひらと散る 几董
合図の小石を打って知らせる相手を女と想定して、その女が阿修羅(あすら)に添い寝していると趣向した。さて、阿修羅というのはあくまで比喩として言った言葉である。たとえばそれはかの酒呑童子などという昔の盗賊の首領の類かもしれない。あるいは清盛入道が常盤御前に添い寝させていると見ることもできるだろう。
次の句は、その場の情景を想定して、酒に酔わせてうまく寝入らせてしまった阿修羅の枕元などに、甕に活けた桜の花がある様子を趣向して付けた。前句の眠りをうかがっている添い寝の女に取材して、女が懐刀などで命を狙おうとすれば壺に活けた花がひらひらと散ってそれにすら心が驚かされるという余情を詠んだ。逃句の付は達人でなければできないと言ったのは、このような場合を言うのだ。蕉門の付句を知らない者は、このような苦心を目にしたことがないから、「この付はどういう心だ、一句は何でもない句じゃないか」と言ってしまうのだ。この呼吸をよく覚えないと、付合の良い連句を見ても納得がいかないだろう。
以上の付についての評釈では、『桃すもも』所収の連句2巻から拾い出して引用した。全体を見るには、その撰集を照らし合わせてもらいたい。
<付記1.名所地名を違附する場合について>
四ッ谷注:違附とは、正反対のもの、対称関係のものを付けること。
はな紙に都の連歌書つけて
暮(くる)る大津に三井の鐘きく
あるいは
いせの音頭も忘れがちなる
難波江に風ひく迄を月の舟
付け方はだいだいこんな感じである。どちらの場合でも、一方の地名は話題にのぼっているだけ(噂)なのに対し、もう一方は実際の現地の景色(現在)であることに注意。
<付記2.畳語(同じものの繰り返し)について>
海棠(かいどう)の花しぼる銀皿
花の陰に海棠の枝きりちらし
前句は海棠の花を銀皿にしぼりとる動作である。後句は花の陰に海棠の枝を剪りちらかした様子である。前句は海棠の花房を詠み、後句は海棠の剪定を言っている。「花の陰」というのは海棠とは別の、根の生えた外の木のことである。したがってこの句を花の座に用いる場合は、正花(花の座で花として扱われるもの)としての桜は別にあると考え、海棠はかかわらないのである。
一句の中に「花」の字と「桜」の字の両方を使った句の場合、花と桜がいっしょくたにならないように詠めるのであれば、正花扱いになる。たとえば
世の花におくれて一木(ひとき)山ざくら
「世の花」は過去の花であり、 「山ざくら」は現前の桜であるから、これは正花になるのである。
道ぬかる花の山口はつざくら
「花の山」が花の本体であり、「はつざくら」はその属性にすぎないから、これも正花になる。
また、
花の比(ころ)うかがへば世はしづかなり
世はしづか也人群(むる)る春
前句は花の盛りなどにあちらこちらに遊びに出てみれば、いかにも太平の御代であるといった句である。後句はそれを受けて、いかにも太平の御代は静かであると語を重ねた上で、「人群る春」と打返し(前句とは反対の事柄を付ける) 、民の賑わいを付けたのだ。もっとも、この句は挙句(最後の句)なのでこういった意図を用いたのだが。
<付記3.その他、付に関する注意>
(四ッ谷注:初裏とは歌仙形式の場合、表六句に続くいわゆる「裏」の部分でつまり7句目~18句目が相当する。その中で14句目が月の定座になるが、それを受けて2句連続で秋の句を付けた場合(つまり月の句を含め3句連続で秋となった場合)、花の定座が17句目なので、花の前の16句目に秋の句が来てしまう。秋の句に花の句を付けるのは難しいので、その場合の心得をここで述べている。
露・霧・雁・鹿・相撲などは秋の季題であるが、春のものとしても扱うことが可能である。したがって花前はこれらの季題を使って連結し花の句へ渡すようにすべきである。
また冬の句に春を付けるとか、単に月とばかり出た句(春・夏・冬ではない月の句)に秋以外の季を付けていくのは難しいので、前句をよく見定めて、季節に無理が生じないように処理すべきである。
<付記4.花前に名月が出たケース>
其角の撰集『花摘』収録の巻中に、
名月日よし酒(さか)むかへ人 卜宅
かぐや姫かへせと空に花ふりて 其角
という付がある。前句、「酒むかへ人」というのは、俗に坂迎と言って旅より帰る人を迎えることである。それであるから「日よし」と、日柄もいいと上にもってきたのである。さて、「名月」に「かぐや姫」を付けたのは、『竹取物語』に、8月15日の夜に月の都から天人が大勢下りてきてかぐや姫を迎えに来たのを、みかどから二千人の防御の兵が遣わされ防御したのだが、ついに姫に羽衣を着せ、車にお乗せして天にのぼっていたありあさまを、「花ふりて」と一句に作ったのである。これは俳諧の世界では古今未曾有の付句であって、尋常のノウハウではとても実現できないものである。よくよく味わうべきだ。
[出版者後記] (略)
以 上
『蕪村全集 第二巻 連句』(講談社)