韻字って何だ!?
さて、今回から「連歌新式追加並新式今案等」の本文を読んでいきます(以下「連歌新式」)。茶色で書いた部分が、私の現代語訳ですが、逐語訳ではなく、わかりやすいように翻案してあります。
最初の項目は「韻字事」と題されているのですが、ここからして非常に難解です。多くの学者の方々もこの項目の説明を避けているほどです。さいわい、本規則については金子金治郎先生が「連歌韻字考」(『連歌研究の展開』勉誠社、1985)という論考を発表されているので、参考にします。
句留め(韻字)について
名詞(物名)留と用言(詞字)留が打越になるのは問題ない。名詞留と名詞留が打越になるのは避けなければならない。
「つつ」「けり」「かな」「らん」「して」 のような留めは、同じ語を打越で使ってはならない。
最近は「かな」留は発句以外では使わないことになっている。ただし願望を意味する「もがな」だけは使ってもよいが、その場合にも同じ懐紙で使うのは避けること。
(注)物名には「朝」「夕」のような語も含まれる。
(注)名詞留同士であっても、「時雨」と「夕暮」というような場合は最近では嫌わない。
タイトルの「韻字」ですが、この場合は音韻のことを述べているのではありません。一句をどういう語(品詞)で留めるかについて述べているのです。
A句、B句、C句...というように付いていく場合、A句が名詞留だったらC句は名詞留にしてはならない。用言留なら構わないとしています。
またA句が「らん」で終止する場合は、C句は「らん」留にしてはならない。
ということですが、実際はもっとややこしい。まず「物名」を「名詞」、「詞字」を「用言」と訳しましたが、果たして物名=名詞なのか、詞字=用言と限定してよいのかが問題です。
「詞字」は用言だけではなく、助詞や助動詞もそこに含めているのです。つまり物名以外はおおよそ「詞字」というわけです。
「『つつ』『けり』『かな』『らん』『して』 のような留め」というのも、詞字留に含まれる、ただし、これら助詞・助動詞の一部は、テニハ留(てにをは留)としてとくに意識する。
何をテニハ留と考えるかについては、他の文献に次のような言及があります。これらのテニハも打越で使うことを忌避されていたかもしれません。(名詞でもテニハとされているものもある)
- 「ぬ」の用法はよくよく考えるべきである(順徳院『八雲御抄』)
- 「に」留の句の次の句を「て」留にしてはならない(二条良基『僻連抄』)
- テニハ留には「よ」「つつ」「ず」「ば」「らめ」「かた(夕つかた)」「き」「つる」「つ」「かな」「かは」「せん」「そ」「も」などがある(二条良基『撃蒙抄』)
- 「ころ」「ほど」というテニハは重要である(伝宗祇『連歌秘伝抄』)
テニハ留については、後年いくつかの連歌論で問題とされていますが、式目の解説としてはここまでにしておきます。
本文の「最近は『かな』留は発句以外では使わないことになっている」という部分は、鎌倉時代には平句(=発句以外の句)でも「かな」を使っていたけれどもいまどきはやらないよ、ということでしょう。また、古文では濁音を表記しないので「もがな」は「もかな」と書かれていましたが、この「かな」は許容されると言っています。
実例によって句留めを見てみよう
実際の連歌を例にとって、句の留めがどのように推移しているかを見てみましょう。「至徳二年石山百韻」(1385)という石山寺で張行された作品で、これも二条良基が参加しているものです。最初の10句(初裏2句目)まで並べてみます。
初表 月は山風ぞしぐれににほの海 良基公
さざ波さむき夜こそふけぬれ 石山座主坊
松一木あらぬ落葉に色かへで 周阿
花のすぎてものこる秋草 通郷
露ながら野や初霜になりぬらん 師綱
きぬたのおとは遠里もなし 季伊朝臣
柴の庵あれたる庭に鹿鳴きて 千若丸
刈田の後の山ぞさびしき 右大弁三位
初裏 すててわがこころとや身をわするらん 任阿
猶さめがたき夢のよの中 忠頼朝臣
発句は「にほの海」(琵琶湖)なので物名留。脇の「ふけぬれ」は詞字留。第三、「変へで」で詞字留。四句目、「秋草」は物名。五句目、「らん」は特殊な詞字留。六句目、「なし」は詞字留。七句目、「鳴きて」は詞字留。八句目、「さびしき」は詞字留。初裏一句目、「らん」は特殊な詞字留。五句目に「らん」が出ていましたが間に三句はさまっていて、打越ではないからセーフ。初裏二句目、「よの中」は物名留。
以上の並びから見て、やはり名詞留(物名留)が打越に来ることはありません。
詞字留のほうは、特定のテニハ留を除けば打越になっても問題なしとされています。
ところが金子金治郎によると、名詞留が打越で出る事例はひんぱんに見られるというのです。たとえば飯尾宗祇らによる有名な『水無瀬三吟』(1488)でも、名詞留が打越に来ている例が12例もあるといいます。その二表の一部を引用します。
それも友なるゆふぐれの空 宗祇
雲にけふ花散りはつる嶺こえて 宗長
きけばいまはの春のかりがね 肖柏
おぼろげの月かは人もまてしばし 宗祇
かりねの露の秋のあけぼの 宗長
すゑ野なる里ははるかに霧たちて 肖柏
ふきくる風は衣うつこゑ 宗祇
さゆる日も身は袖うすき暮ごとに 宗長
たのむもはかなつま木とる山 肖柏
「空」「かりがね」「あけぼの」「こゑ」「山」と、打越の名詞留が4連発で発生しているのです。
名詞留の打越についての禁則は事実上有名無実化していたと言わざるをえません。ただし、金子はこうした禁則破りが、一の折では少なく、二の折以降に多いことを指摘しています。このことは、少なくとも一の折では韻字の禁則を守ろうという意識が連歌師たちにあったように思われるというのです。
これは感覚的によくわかる話です。われわれが連句を巻くときには、最初は句末の形が打越で同じにならないように気を配るのですが、後半になってくるとさまざまな制約が増えてくるので、配慮し切れずにだんだんグチャグチャになってくるのです。連歌師たちも同じだったのではないかなあと思います。
名詞留の打越を避けるのが理想ではある、ただし守り切ることが難しいので、厳密には問題視しないといったあたりが現実の落としどころだったのではないでしょうか。
物名と詞字の区分
韻字の式目に付された2つの注を見てみましょう。
「物名には『朝』『夕』のような語も含まれる」という注は、物名とは物体・物質や固有名詞だけではなく、「朝」「夕」のような概念語も含みますよ、という意味ではないかと思います。
どこまでを物名とするかは、当時の感覚は今とかなり違っていて、たとえば『連歌秘伝風聞躰』(日意[1444~1519]作?)では次のような語は詞の字になるとしています。
はるか・明がた・暮がた・おもふ中・つらき中・気色
名詞であってもどこか気持が入っているようなものは詞字だよ、と言っているような感じです。連歌新式の注で「朝」「夕」は物名であると言っているのは、「明がた・暮がたというのは詞字だが、朝・夕は物名だよ」と微妙な違いを示唆しているのかもしれません。
次の注、「名詞留同士であっても、『時雨』と『夕暮』というような場合は最近では嫌わない」というのは、金子金治郎は、これらは「しぐれる」「夕ぐれる」というように動作を連想させるので物名から外してもよいということであろうとしています。名詞留の打越禁則が有名無実化しているならば、わざわざこうした特殊な例外を挙げるのも無意味ですが、いちおう物名と詞字の区分について見解を示したというところでしょう。