2025-04-26

連歌のルール(3)~句留めについて

 
金子金治郎編『連歌研究の展開』(勉誠社、1985)

韻字って何だ!?

さて、今回から「連歌新式追加並新式今案等」の本文を読んでいきます(以下「連歌新式」)。茶色で書いた部分が、私の現代語訳ですが、逐語訳ではなく、わかりやすいように翻案してあります。

最初の項目は「韻字事」と題されているのですが、ここからして非常に難解です。多くの学者の方々もこの項目の説明を避けているほどです。さいわい、本規則については金子金治郎先生が「連歌韻字考」(『連歌研究の展開』勉誠社、1985)という論考を発表されているので、参考にします。

句留め(韻字)について

名詞(物名)留と用言(詞字)が打越になるのは問題ない。名詞と名詞が打越になるのは避けなければならない。

「つつ」「けり」「かな」「らん」「して」 のようなめは、同じ語を打越で使ってはならない。

最近は「かな」は発句以外では使わないことになっている。ただし願望を意味する「もがな」だけは使ってもよいが、その場合にも同じ懐紙で使うのは避けること。

(注)物名には「朝」「夕」のような語も含まれる。
(注)名詞同士であっても、「時雨」と「夕暮」というような場合は最近では嫌わない。 

タイトルの「韻字」ですが、この場合は音韻のことを述べているのではありません。一句をどういう語(品詞)で留めるかについて述べているのです。

A句、B句、C句...というように付いていく場合、A句が名詞留だったらC句は名詞留にしてはならない。用言留なら構わないとしています。

またA句が「らん」で終止する場合は、C句は「らん」留にしてはならない。

ということですが、実際はもっとややこしい。まず「物名」を「名詞」、「詞字」を「用言」と訳しましたが、果たして物名=名詞なのか、詞字=用言と限定してよいのかが問題です。

詞字」は用言だけではなく、助詞や助動詞もそこに含めているのです。つまり物名以外はおおよそ詞字」というわけです。

「『つつ』『けり』かな』『らん』『して』 のようなめ」というのも、詞字に含まれる、ただし、これら助詞・助動詞の一部は、テニハ(てにをは)としてとくに意識する。

何をテニハ留と考えるかについては、他の文献に次のような言及があります。これらのテニハも打越で使うことを忌避されていたかもしれません。(名詞でもテニハとされているものもある)

  • 「ぬ」の用法はよくよく考えるべきである(順徳院『八雲御抄』)
  • 「に」留の句の次の句を「て」留にしてはならない(二条良基『僻連抄』)
  • テニハ留には「よ」「つつ」「ず」「ば」「らめ」「かた(夕つかた)」「き」「つる」「つ」「かな」「かは」「せん」「そ」「も」などがある(二条良基『撃蒙抄』)
  • 「ころ」「ほど」というテニハは重要である(伝宗祇『連歌秘伝抄』)

テニハ留については、後年いくつかの連歌論で問題とされていますが、式目の解説としてはここまでにしておきます。

本文の「最近はかな留は発句以外では使わないことになっている」という部分は、鎌倉時代には平句(=発句以外の句)でも「かな」を使っていたけれどもいまどきはやらないよ、ということでしょう。また、古文では濁音を表記しないので「もがな」は「もかな」と書かれていましたが、この「かな」は許容されると言っています。

実例によって句留めを見てみよう

実際の連歌を例にとって、句の留めがどのように推移しているかを見てみましょう。「至徳二年石山百韻」(1385)という石山寺で張行された作品で、これも二条良基が参加しているものです。最初の10句(初裏2句目)まで並べてみます。

初表 月は山風ぞしぐれににほの海     良基公
    さざ波さむき夜こそふけぬれ    石山座主坊
   松一木あらぬ落葉に色かへで     周阿
    花のすぎてものこる秋草      通郷
   露ながら野や初霜になりぬらん    師綱
    きぬたのおとは遠里もなし     季伊朝臣
   柴の庵あれたる庭に鹿鳴きて     千若丸
    刈田の後の山ぞさびしき      右大弁三位
初裏 すててわがこころとや身をわするらん 任阿
    猶さめがたき夢のよの中      忠頼朝臣
 
発句は「にほの海」(琵琶湖)なので物名留。
脇の「ふけぬれ」は詞字留。
第三、「変へで」で詞字留。
四句目、「秋草」は物名。
五句目、「らん」は特殊な詞字留。
六句目、「なし」は詞字留。
七句目、「鳴きて」は詞字
八句目、「さびしき」は詞字留。
初裏一句目、「らん」は特殊な詞字留。五句目に「らん」が出ていましたが間に三句はさまっていて、打越ではないからセーフ。
初裏二句目、「よの中」は物名留。

以上の並びから見て、やはり名詞留(物名留)が打越に来ることはありません。

詞字留のほうは、特定のテニハ留を除けば打越になっても問題なしとされています。

ところが金子金治郎によると、名詞留が打越で出る事例はひんぱんに見られるというのです。たとえば飯尾宗祇らによる有名な『水無瀬三吟』(1488)でも、名詞留が打越に来ている例が12例もあるといいます。その二表の一部を引用します。

 それも友なるゆふぐれの空     宗祇
雲にけふ花散りはつる嶺こえて    宗長
 きけばいまはの春のかりがね    肖柏
おぼろげの月かは人もまてしばし   宗祇
 かりねの露の秋のあけぼの     宗長
すゑ野なる里ははるかに霧たちて   肖柏
 ふきくる風は衣うつこゑ      宗祇
さゆる日も身は袖うすき暮ごとに   宗長
 たのむもはかなつま木とる山    肖柏   

「空」「かりがね」「あけぼの」「こゑ」「山」と、打越の名詞留が4連発で発生しているのです。

名詞留の打越についての禁則は事実上有名無実化していたと言わざるをえません。ただし、金子はこうした禁則破りが、一の折では少なく、二の折以降に多いことを指摘しています。このことは、少なくとも一の折では韻字の禁則を守ろうという意識が連歌師たちにあったように思われるというのです。

これは感覚的によくわかる話です。われわれが連句を巻くときには、最初は句末の形が打越で同じにならないように気を配るのですが、後半になってくるとさまざまな制約が増えてくるので、配慮し切れずにだんだんグチャグチャになってくるのです。連歌師たちも同じだったのではないかなあと思います。

名詞留の打越を避けるのが理想ではある、ただし守り切ることが難しいので、厳密には問題視しないといったあたりが現実の落としどころだったのではないでしょうか。

物名と詞字の区分

韻字の式目に付された2つの注を見てみましょう。

物名にはのような語も含まれる」という注は、物名とは物体・物質や固有名詞だけではなく、「朝」「夕」のような概念語も含みますよ、という意味ではないかと思います。

どこまでを物名とするかは、当時の感覚は今とかなり違っていて、たとえば『連歌秘伝風聞躰』(日意[1444~1519]作?)では次のような語は詞の字になるとしています。

はるか・明がた・暮がた・おもふ中・つらき中・気色

名詞であってもどこか気持が入っているようなものは詞字だよ、と言っているような感じです。連歌新式の注で「朝」「夕」は物名であると言っているのは、「明がた・暮がたというのは詞字だが、朝・夕は物名だよ」と微妙な違いを示唆しているのかもしれません。

次の注、「名詞留同士であっても、時雨夕暮というような場合は最近では嫌わない」というのは、金子金治郎は、これらは「しぐれる」「夕ぐれる」というように動作を連想させるので物名から外してもよいということであろうとしています。名詞留の打越禁則が有名無実化しているならば、わざわざこうした特殊な例外を挙げるのも無意味ですが、いちおう物名と詞字の区分について見解を示したというところでしょう。

2025-04-24

連歌のルール(2)~百韻の構成、打越と去嫌とは何か

 
山田孝雄『連歌概説』(岩波書店、1937)

先日の連句の会「草門会」で、連句の先輩である山地春眠子さんから山田孝雄博士の『連句概説』を貸していただきました。連句を読解するための必読書と言われる名著で、小説家の石川淳も「連歌の方式を知るためには、山田孝雄氏の『連歌概説』を読むがよい」とお勧めしている一冊です。

今まで歯が立たなかった連歌の式目も、この本を命綱にしてようやく理解できるようになってきました。それがこのブログで式目の解説を書いてみようと思い立ったきっかけです。

式目を解読していくに先立って、連歌の常識と言うべき懐紙構成、および去嫌(さりぎらい)の考え方について説明しておきます。今回は予備知識の解説なので、式目の解説は次回からになります。連歌について十分わかっているよという方は読み飛ばしてもらって結構。

百韻の懐紙構成

連句(俳諧連歌)の場合は36句の「歌仙」が標準形式とされていますが、連歌では100句構成の「百韻」が標準とされています。以下の解説も、百韻を前提として叙述することにします。

連歌は紙を横長に折った懐紙に記入していきますが、百韻ではこれを4枚使います。最初の紙を初折(しょおり)、次は二の折、三の折と呼び、最後は名残の折(名残)と呼称します。

初折の表には8句、裏には14句、次が二表、二裏、三表、三裏、名残表と続きそれぞれ14句ずつ記入、名残裏は8句を記します。合計100句というわけです。初折表の8句をとくに「表八句」といい、その一句目を「発句」、二句目を「脇」と呼びます。

初折表、初折裏、二折表……と続く各パートが「面(おもて)」となります。百韻の場合は8・14・14・14・14・14・14・8という八面の構成になります。全体は途切れずに連続的に推移していきますが、折単位、あるいは面単位でのまとまりが意識される場合もあります。

100句の間に花を詠み、月を詠み、恋を詠んでいきます。また春・夏・秋・冬の季節を当てはめ、途中を雑(無季)の句でつないでいきます。

打越と去嫌とは何か

句を付けていくうえでいちばん重要なのは、同じ題材や表現を繰り返さないということです。その際にキーとなるのは、「打越を嫌う」という考え方。

連句でA句、B句、C句...というように付いていく場合、A句とB句はひとつの世界を作る必要がある。またB句とC句もひとつのまとまりを作る。ところがA句とC句は全然別のことを述べなければならない。AとCが似ていると、狭い表現領域をぐるぐる回ってしまうことになるからです。連歌は川の流れのように、とどまることなく進んでいかなければなりません。

後ろから見て、C句を付句、B句を前句、A句を打越と呼びます。C句においてA句と似た題材や表現を嫌うことを、「打越を嫌う」と言う。

とくに似かよった題材の場合には、二句前(打越)を嫌うだけではなく三句前(大打越)と近づくのも嫌いますし、場合によっては「同じ面で再使用してはいけない」「一巻の中で一回しか使ってはいけない」などという制約がある題材もあります。このような、繰り返しについての禁則ルールを「去嫌(さりぎらい)」と言い、連歌式目の大半は去嫌について具体的な例を示したものだと言えます。

実例で懐紙構成を確認

実際の連句に例をとって、百韻がどう構成されているかを確認してみましょう。以下に示すのは、「文和千句第一百韻」(1355)の連歌から、季節と事物区分を抜き取って進行表にしたものです。

初表初裏
11旅、人倫
22春花
3山類、水辺3
4秋月光物、夜分、山類4降物、山類
5光物、聳物5冬月光物、夜分、水辺
6降物、聳物6水辺
7降物、衣裳7水辺、鳥
8居所、衣裳8旅、人倫
9述懐、人倫
10述懐
11秋恋降物、衣裳
12秋恋夜分
13木、草
14水辺、草
二表二裏
1旅、水辺1釈教
2旅、聳物、山類2人倫
33衣裳、虫
44述懐、降物、衣裳
5春月神祇、光物、夜分、居所、衣裳5秋恋夜分
6春花木、人倫6秋月恋光物、夜分
77旅、水辺
88旅、山類
9述懐、降物9聳物
10雑恋10居所、人倫
11雑恋11述懐、人倫
12雑恋12述懐、降物
13夜分13夜分
14釈教、居所14人倫
三表三裏
1旅、山類1
2秋月光物、夜分2夜分
3光物3秋恋降物、人倫
44雑恋
5降物、草5水辺
66
7居所、木7神祇
8述懐、衣裳8雑月神祇
9雑恋夜分、人倫9神祇
10雑恋恋、鳥10山類
11旅、山類11述懐、居所
12山類12述懐、居所
13春花水辺、木13人倫
14光物、木14聳物、草
名残表
名残裏
11
2降物2述懐、人倫
33
4秋月光物、夜分、聳物4
5述懐5水辺
66釈教
77神祇、山類、水辺
8雑恋8神祇、木
9雑恋
10雑恋
11雑恋
12
13春花聳物、山類、木
14春月光物

この連歌は二条良基邸で張行(ちょうぎょう)されたもので、良基自身も加わっています。現存する連歌の中では比較的古い作品です。

「鳥、木、山類...」などと記したところは、それぞれの句で詠まれた事物を連歌の分類に沿って区分してみたものです。分類については別途説明しますので、今のところはこんなものかと思っていてください。

見ていってわかるのは、同じ事物を打越で詠むのが避けられているということです。二句続けて似た題材を詠むのはかまわないのですが、三句目はそこから離れなければなりません。一句おきに似た題材を詠むのもダメです。

ただし、三裏の7句目から9句目にかけて三句連続で神祇(神社や神に関することがら)が出てきていることに気づくでしょう。ここは例外規則があって、恋句は五句まで続けてよい、旅・神祇・釈教・述懐・山類・水辺・居所は三句まで続けてよいとされているのです。(詳しくは別の回に説明します)

月の句は、すべての面で詠む、ただし名残裏だけは詠まなくてもよいという規則になっています。上の例では8回詠まれていますね。気になるのは、三裏の8句目、「雑月」と書いておきましたが、これは「月読宮」という神社をテーマとしていて、実際の月を詠んだわけではありません。こういう場合は月を詠んだことにならないのですけれど、二条良基はどう考えていたでしょうか。

俳諧(連句)では月の座が決められていて、たとえば歌仙なら表5句目、裏8句目、名残表11句目が目安となっていますが、連歌ではそのような定座は決まっていません。それぞれの面で一回(以上)詠めばいいのです。

花の句は、すべての折で詠む。上の例では4回詠まれています。俳諧(連句)では花の座が決められていて、たとえば歌仙なら裏11句目、名残裏5句目と定まっているのですが、連歌では自由で、折のどこかで出せばよいのです。

さあ、連歌についての基礎常識については説明しましたので、次回からいよいよ「連歌新式追加並新式今案等」を読んでいきます。

2025-04-23

連歌のルール(1)~連歌論の種類と式目の歴史

連歌新式追加並新式今案等(牡丹花肖柏、1501)

今回は連歌の規則を勉強していきます。連歌や俳諧は俳句のルーツですから、これらのことも多少は知っておかないと、俳句についての考察がうすっぺらになります。

連歌と俳諧はどのようにして生まれ発展していったのかとか、連歌と連句はどう違うのかといった話は、以前に「俳諧のはじまり」というシリーズにまとめましたので、そちらをご覧ください。

連歌論の種別

鎌倉時代から室町時代にかけて書かれた連歌論にはさまざまなものがありますが、それらは大別して4種類に分かれます。

  1. 連歌故実書
  2. 連歌式目書
  3. 賦物(ふしもの)
  4. 連歌寄合集

それぞれの性格を簡単に言うと、①の故実書は「連歌の歴史、由来、作法、解釈、美意識、精神性」など連歌の本質論を語ったものです。

②の式目書は連歌で守るべき決まりを書いたルールブック。

③賦物は、発句やその他の句ではこういう字を詠みこめという縛りを定めたもの。俳句で言えば題詠とか折句の決め事に近いと言えばわかりやすいかもしれません。

④の寄合集は前句でこういう語が出たら次の句ではこういう語を使うといいよという連想を集めたもので、いわば実践的なアンチョコです。寄合集については「俳人・連句人・能楽愛好者のための寄合入門」のシリーズで詳述しましたので、そちらを参照してください。

これらの4種の連歌論のうち、①の連歌故実書は精神的・本質的なことを語ったもので、最重要といえます。ですが②や③のようなルールブックとか、④のテクニック集についてもひととおりマスターしておかないと、①の本質論が何を言っているのかチンプンカンプンということがあるでしょう。そこで今回は②の式目論を中心に連歌の決まりを学んでみます。③の賦物論についても一章を立てて概観しましょう。

一つの連歌書の中に①~④の要素が混ざっている場合がありますので、すべての連歌書が4つに区分されるわけではありません。これらの中から②と③の要素だけを取り出して眺めてみようというわけです。

連歌式目の変遷

鎖連歌(3句以上の連歌)や長連歌(百韻連歌など句数が決まった連歌)がさかんになるのは平安時代末期の12世紀のことです。とくに後鳥羽上皇が連歌を好んだのですが、句数が増えるとそれをどう進行させるかというルールが必要になります。皆が好き勝手に付句を詠んでいくと、同じことの繰り返しになったり、変化が不足して単調になったりと、一巻のバランスが悪くなるからです。バランスを維持するためのルールが式目で、すでに後鳥羽時代(1200年前後)には何らかの式目が定められていたようです。鎌倉時代(13世紀)にはそれらを集成した「連歌本式」がまとめられました。「連歌本式」の実物は現在遺っておらず、15世紀に猪苗代兼載が復元したものが13か条だけ伝えられているのみです。

連歌が盛んになるにつれて、従来の「本式」では対応しきれない場合が増えて新しいルールが必要とされるようになりました。建治年間(1275~78)に作られたのが「建治新式」です。ほかに弘安新式、藤谷式目などと呼ばれる式目もあったとされますが、どれも遺っていないため、同一のものかまったく別の規則であるかは不明です。承久の乱や文永・弘安の役などにより社会が変動する時代に成立していったもので、世の中の動きにつれて連歌も新局面を迎えたということでしょう。

室町時代に入ってこれら式目を集大成したのが、連歌界の巨人、二条良基です。まず彼は連歌故実書であり式目書でもある「僻連抄」(1345)を執筆。さらに師匠の救済(ぐさい)の指導を仰いで改稿し、「連理秘抄」(1349)を作成しました。これらのうち式目に関する部分を抜き出して改訂したものが「応安新式」(1372)です。独立した「応安新式」自体は遺っていないのですが、のちの「連歌初学抄」(一条兼良、1452)から原形を把握することが可能になっています。

「連歌初学抄」では、一条兼良が宗砌(そうぜい)の意見を基に応安新式に加筆を加えており、これが「連歌新式今案」です。さらに牡丹花肖柏が増補・改編を加えたものが「連歌新式追加並新式今案等」(1501)。

この後も新たな式目は作られていくのですが、話が煩雑になりますので、われわれが連歌の式目を学ぶ上ではこの「連歌新式追加並新式今案等」を教科書にしていくのがわかりやすいでしょう。次回からその内容を読んでいきます。